人を傷つけてはいけない?

今年は、身体はサツマイモの歌を歌い出すんじゃないかと思う位、サツマイモをよくいただきました。サツマイモに限らず種子をまもることは、わたしたちを依存的になってしまわぬ方へ、導きます。

「依存的になってしまう」と自覚できている方が、まずご自身にいってあげたいのは「そんなにつらかったのに、今まで気づかずにいて、本当にごめんね」です。依存的欲求が出てくるとき、強烈な辛さ苦しみが、必ずその人の内側にあります。その苦しみや辛さを過小評価していると「そんなことない、だって、ここで頑張ったんだから、ちょっとご褒美なだけ」のような握りつぶす動きを繰り返して、事を大きくしてしまいます。

依存絡みで法に触れる方が増えていますが、いつもそうしたニュースを見る度に、壮絶な苦しみが伝わってくるなぁと、私は思っています。

あなたが「依存的になってしまう」と自覚できていて、なおかつ複数の第三者が「生活が破たんするような未来は一切みえない」と判断する程度なら、見自分の中に今から引用する5つの考え方があるか/ないかを、考えてみて下さい。

A.危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなる
B.過ちや失敗をしたら、責められるのは当然だ
C.物事が思い通りにならないとき、苛立つのは当然だ
D.誰からも好かれ、愛されなければならない
E.人を傷つけてはいけない

(『アサーション入門』平木典子著、講談社現代新書、2012年/71ページ)

あるかないか、こたえることができましたか?実は上は、主語を入れていないから、人によって読み方が変わる文章なのです。Aを「危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなるものだ。そんなの当たり前じゃないか」と捉えたなら、一般的にそうだと考えたことになるから、主語はWeだと言えます。でも「あぁ、そういえば、人事部のBさんは、危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなったって、話してたなぁ」と捉えたなら、主語には自分が来ていません。「危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなっちゃうのよ、そうなの。兄や親友は違うんだけど、わたしはそうなの」と思ったなら、主語はIだったと言えます。

改めて、三つの主語をそれぞれに当てはめ、「ある」と言えた時をメモしてみてください。ここまでいいでしょうか?

それで、どの主語であっても「ある」と言えたなら、適切に柔軟に主張していくことに、伸びしろがあるのです。依存的な状態だと、適切に柔軟に主張していくことに、うんと伸びしろがあります。先日も書きましたが、改めて依存的な状態にあるなら、アサーティブであることが、助けになるでしょう。