「ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある」

少し前になりますが、年末に竹内まりやさんの歌声に心打たれた方も、多かったんじゃないかと思います。

人工的に条件を設定して作り上げていくような感じでは無い、きっと人生に根ざした言葉なのだろうと思わせる誠実な優しい言葉で書かれた歌詞に、そして全てを傾けるように歌う姿に、私も心打たれました。

「いつもの毎日にこそ、小さな喜びがある」いった表現がいまいちしっくりきてなかったのですが、彼女の歌った「ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある」という表し方がとてもピタッときて、クライアントさんによく言われる「ブログやメルマガをよむと、探していた言葉が見つかる」を、久しぶりに経験しました。

毎日の中に同じように組み込まれた小さな喜びではなくて、その人の中であまりにも細やかであまりにも普通であまりにも気に留めない時間の中にこそ、本当に他と変えることのできない喜びがあります。だから職場を去る時や誰かをなくしたときに、私たちが思い出すのはその人のキメ顔ではなく、人に伝えるのも難しいようなふつうの一部の欠片なんだと思います。

つまり、ほとんどの方が、野菜くずみたいに捨てているものが宝石だと言うことです。「本当にだいじなものは 隠れて見えない」のであり、決して隠そうという動きは内に生じません。

隠れて見えない、まるで植物に宿っている「精霊」みたいな本当にだいじなものは、皆さんがさっきまでしていた親子喧嘩やお皿に残ってるケチャップの中にあると思います。