庇い合う裏に

心に傷があると、痛みを感じないように、心を通さないという自分を貶める時が流れていきます。「それは正しいのか?まちがっているのか?」にいって「ふぅー正しかった。セーフ」と思って、隠れ家にいるような安心感(安心ではない)を味わうのもつかの間「これはまちがっているのか?」と次に対処しようとします。常に怯えていて「こんなにこわいのだから、不安なのだから、庇ってほしい」という気持ちを強く抱えて、震えています。

この態度は、全体をつらぬく理を生きる態度・理自体を進化させる態度の真逆です。この態度で、真実を追求できることは一切ありません。

ジャッジをリファーするのでなく、自分の気持ちそして相手の気持ちをリファーするのです。気持ちがわからない人は、まず身体感覚を丁寧に拾う練習から始めていくのです。例えば不安な時とショックな時の、身体の状態の違いを知って、そこから「今自分は不安なのではなく、ショックなのだな」と、自分を認識する回路を生んでいきます。心を通さない人は、ご自身のことも無自覚にだましていますから、気持ちの掴みようがない状態にあるため、これが一番早くて確実な方法です。

こうしたハートを通さない態度は、相手を怯えさせますが、そうした自分のインパクトにも全く気づきようがないため、心を通さない仕組みを変えない限り、健全にリーダーシップを発揮することや、健全な教育者になることは、不可能なんです。自分がハラスメントを起こしていることにも、無自覚です。自分の痛みを見ない人が、人から信頼されることはないんです。庇い合いは、あくまでも自分しか見ていない閉じた行為なのです。相手を見ずにできる行為が、愛であるわけがありません。