一緒にいたいのは?

問題解決力がないと、仲間を作り一緒にいたがります。何となくの雑談で、問題だと認識していないことが、解決される可能性が高まると勘づいているからです。

例えば、わたしは先日「服にしわを作りたくないなら、その服のしわができそうなところにジーンズなどしわになってもOKなものを挟めばいい」と聞いて、今まで自分がそれに気づかなかったことにびっくり仰天しちゃったのですが、そんな感じです。

しかしそこで「だから仲間が必要」と発想するのは、心に傷があると認めたくない人の発想です。そこで必要なのは、より踏みとどまり深く思考できる力の方だからです。わたしの例なら「しわにしないために!」と粘り強く考えたことがなかった態度を生んでいた思考などの癖を改善するのが、王道です。

「だから仲間が必要」と発想する人はそこに何となくの不安を持ち込むため、互いに離れられなくなります。互いを阻み損いもたれあう依存関係にもなるのです。心の傷同士で癒着するから、やっかいです。

そんなふうに、自分には心の傷があり回復できると認められないと、傷を維持したりさらに深める方へ進んでしまいます。

例えば、多読を好む人は、自分事として考えられないからこそ、一冊や一文から得るものが僅かとなり、多読が可能になっていたりします。本来なら本一冊を理解することは、人生を変える力を持ちます。しかし、プライドが高く人に聞けないと、知識の吸収に余念がなくなります。理解はなされないから、思考や自覚は深まりません。そうして、傷は維持されたり、無自覚に深まっていきます。

継続は美徳として捉えられがちですが、実際は問題解決力がないから動けず、同じ職場や同じ土地にいることがほとんどです。心の傷はこんな風に、人生に不自由さを浸透させてしまうのです。