もう耐えなくていい

誹謗中傷は、表に出る人につきものと、まるでセット商品の一部のようにされてきました。表に出る側が、そのように考えてなんとかおさめられないものをおさめ、生きていこうとするのは、まだわかります。内では葛藤を抱え続けながら、表ではやりくりをしていく一時的な術だからです。表に出るものがそう表す時は、即ちそうした葛藤が今でも続いていることを、表しているのです。

しかし、最近では表に出る人も表に出る度合いが違う人に対して「誹謗中傷を超えたらすてきな世界が待っている」と胡坐をかくようになったようですね。これは、本当に痛ましいことです。なぜなら「誹謗中傷を超えられなかった」と相手を「弱く/下に」見ていることが含まれています。すなわち、どういった誹謗中傷だったかやその量・表に出る度合いの違いについて、認識がないからこそ、このような発言が口からなのか手からなのか、出てしまうのです。自分と他人の違いを認められない痛ましいほどの未熟さが、そこには存在しています。

自粛が明けて「ようやく普通に戻れる」「元の生活が戻ってくる」という何気ない一言も同じです。新コロ下で、倒産した会社もたっくさんあります。大事な人を失った方もたっくさんいらっしゃいます。そういう人たちや状況が意識に内包されていないからこそ、自分とその周辺だけを見据え「ようやく普通に戻れる」「元の生活が戻ってくる」と言えてしまうのです。そして、尻ぬぐいに慌てふためいて「亡くなった方にはお悔やみ申し上げます」などとつけて、駆け込み乗車で間に合ったかのように涼しい顔をするのです。

新コロに限らず、元に戻るということはありえません。そうだとしたら、髪も伸びないなど、新陳代謝自体が起きません。それは死ぬということです。つらいことを乗り越えればいいことが待っていて、そこまでするのがメンタルの強い人だという幻想も、いい加減に破棄しましょう。それは、もう下ろせなくなった銀行預金の通帳みたいなものです。現実を見て行ける強さは、いつもあなたの中に内在していて、それが難しく感じるのはちょっとした工夫が足りないだけです。創造性の発揮へと、意識を向けてみましょう。