表現のない人生?

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気を紛らわしたり、気晴らししていく中にも、あなたらしさの欠片は入ってきます。例えば、目の悪い人は、気を紛らわすために読んだりゲームをするより、自然の中に出かける方を選びやすいでしょう。みんな、自然と自分を損なわず、自分を生かすことで、自分らしさを引き出す方を選ぶ傾向があります。

ただ、あなたが30代以上でも、やはり気を紛らわしたり気晴らしで1日が終わっていくようなら、自分が自分にあることに本当に満足できる状態からは、だいぶ遠いかもしれません。つまり、苦しんでいる自分に酔っているだけかもしれません。その快感が忘れらないから、苦しいのに耐えることを選んで「苦しい。不安だ。焦っちゃう」と周りを振り回しながら、快楽主義を貫いて、忘れられない快感をいつも自分のものにしているでしょう。

こうした、自分の気持ちを上げること(=気晴らし)をしょっちゅう考える快楽主義を生きていると、表現にはなかなかたどり着けなくなります。朝起きてとにかく嫌な気分で、香りの良いハーブティーを飲んだらいい気分になるという気晴らしをしても、好きな音楽で気を紛らわしても、そこで止まるなら、地球の負荷を上げただけです。図々しいです。

そうではなく、そんなふうにして地球の負荷を上げて気晴らしをしないと、顔も上げることさえできない自分を「内省」できると、気晴らしに紛れていた自分らしさのかけらが、自分の魅力の表現へと導かれて行きます。自分の中から濁りが消えていくのです。耐えて「頑張っている」と自己満足しては一時停止を続けるのではなく、実際に前に進めるようになるのです。

端的に言えば、気晴らしは表現ではありません。そして、表現のない人生とは恐ろしいものです。