NGワードの裏には。

皆さんご自身が「病気かも」と思ったり、身近な人が不調だと話してくれた時、こんな風に返したり返された事はありませんか?

「気のせいじゃない?しばらく休めば治るよ!」

「みんな忙しくて寝不足で気持ちも落ちてる。あなただけじゃない」

「運動しないで閉じこもってるからじゃない?」

「就職活動ノイローゼ、という感じかな?でも、昨日もゲームしてたよね?実はたるんでるんじゃないの?」

「そんなに言うなら、医者に行けばいいでしょ!」

「あとちょっとで最終面接も終わるんだから、ここまで踏ん張って、その後ゆっくり治せばいいじゃない?肉でも食べに行く?」

「普段からしっかりしてないからでしょう。明日からきちんと早寝早起きを続けて、規則正しく暮らして」

「心療内科に行きたい?そんなふうに育てた覚えはありません」

「鬱病かもしれない?うちの家系にはそういう人は出たことがない。そんなよりによって、本当に何をいいだすの?」

「あなたが精神科に通っていると分かったら、お兄ちゃんの縁談に響くのよ。世間体が台無しなの。もう少ししてからにしてちょうだい」

こんな風に声をかける気持ちの裏には、想定される最悪の事態を受け止められないご本人の姿が、影絵のように見えてくる気がします。

でも、そんな風に自分を防御することに会話を進められたら、不調や「病気かも」と思った方は、全然寄り添ってもらえなくて、より迷子になってしまうでしょう。

自律の肝はゆるしですが、多くの方が自分にダメ出しをすることが自律だと思い込んでいます。その延長線上で相手も捉え、不調を抱えたり「病気かも」という他者を、叱責したり非難を加えます。また、ある意味で既に不調抱えたり「病気かも」と感じている人にとって、病気はすでに隣に常にいる人のようなものなのに、その病気を無視したり軽視したりします。そうするために、その人への励ましが、口をついて出たりするのです。

これらは、病気や健康の本質から離れたものであるだけでなく、不調を抱えていたり「病気かも」と感じている人の尊厳を踏みにじるに十分な作用を持っていると、皆さんは認識できるでしょうか?

仕事の忙しさや直近であったいじめといった1つの出来事で、人が不調を感じたり「病気かも」と感じる状態に入ることはまずありません。ここで言っている病気や不調は、精神的なものだけでなく、歯痛や喉の痛みといった身体的にみえる多くのそれを含んでいます。すべての不調や病気にとって、強がりやごまかしは有害です。

病気や不調を抱える人への接し方に悩むなら、ご自身をきちんと内省してください。そして、治療は赤の他人でなければ引き受けられないような厳粛さを持つことを、理解しましょう。