清い存在と聖者

清さを感じ、幸せだなと思うのが、まっとうな心と身体の持ち主です。そして、熱いものを触って「あちっ」と手を引っ込めたり、窓を開けて蒸し暑くて「うっ」となるように、清さを感じれば感謝が湧いてくるのです。そこに、高揚感や陶酔感はありません。

清さは聖なる何かとは、違います。聖なるという言葉は、キリスト教をはじめとする宗教という信念体系に属します。キリスト教の場合なら、聖なる者と呼ばれるのは「あなたの代わりに死ぬ」という代理をする人です。戦前の日本にも通じますね。

代理をする聖なる世界と、狂いのない心身で感じる物質としての清さは、似ても似つかないものです。聖者は、決して清い存在などではありません。それがどこかでわかっているから、75年前に母親をはじめとする人達は、それを喜べなかっだと表せます。

聖者を要する世界は、決して平和ではなく、美を重ねようとその本質を変えることなどできません。