死別と力を取り戻すこと。

一般に、わたしたちは死を恐れます。知ることのできないそれは、勝手にそれらしく語られる妄想ボックスともなって、そうある人を支えてくれている側面もわずかにあったりするのかもしれません。

しかし、もっと理性的になってみると、死はすこし違って見えてくると思います。(ここでは身体で感じる話はごそっと抜いて、書いています)。例えば、両親が亡くなる時「やっと解放される」と思う人もいます。愛する人が亡くなって、逆にその人にすっかり囚われたかのようになる人もいます。あるいは、いのちの死でなくとも、何かの連載が終わったりする際、受け入れられずに「永遠に不滅だ」と、また妄想ボックスを膨らませる人もいます。

死を含むあらゆる別れの本質は、関わったその相手や連載といった何かが、その後も望もうとも望まずとも、わたしたちの一部であり続けること(=その流れから自分を排除しないこと)にYESをいうことでしょう。両親の例はわかりやすくて、あなたが失ったと感じる親は、あなたの中に半分ずつちゃんと存在しています。自分の顔の中にお父さんもお母さんも発見することができます。愛する人との間にきちんとコミュニケーションがあったのなら、あなたは相手に何かを与え、そして相手はあなたに何かを与えています。その与えられたものによって、あなたは生かされています。連載も同じです。あなたを支えたり慰めたりしたその動きは、あなたの中で止まらずに存在するのです。その意味で、関わった物や人は、わたしたちの一部であり続けます。

大切な人を亡くした時こそ、どうぞこのことを思い出し、前段落の一行目を声に出して読んでみて下さい。実際に、あなたが別れる相手にYESを言ってみて下さい。死や別れは、何かを排除したり追い払うことではありません。その証拠に、例えばあなたを小さい頃怖がらせた相手は、亡くなった後もあなたにとって脅威でしょう。そして、あなたが関係した相手やものが、あなたの一部であり続けるということは、あなたがその相手やものと同じになるということでは決してないことに、自分を開きましょう。

放火魔の子は、その出自を知らないまま、やはり放火魔になったという実際の話がありますが、それは「放火することが快楽である」という遺伝子が受け継がれただけの話で、ON/OFFはその人にゆだねられています。その人がそれをOFFにする環境を選んでいけば、それはずっとOFFのままです。そして、その人は放火魔の親から、ただ良いものを受け継ぐのです。それをはねのけずに、受け取っていくとき「まだ何か足りない」という感覚ではなく、そして実際に失う体験が増えるのではなく「いっぱいあるなぁ。ありがたいなぁ」という感覚と共に、満ち足りていく体験をしていきます。それは、あなたの力を捨てなくなったから、そうなるのです。