雲海

わが家の辺りは、よく雲海が出ます。さらに、ベランダまで霧に埋もれて、窓を開けようとして家が浮いている感覚にギョッとしたこともあります。電車に乗っていても、ホームが完全に霧に埋もれていたことがあって、雲海や霧は、日常のものです。

そんな日常に雲海(や霧)が存在している身からすると、東京のお高いホテルで雲海サービスがはじまっている(庭に霧を発生させて、送風するらしい)ことは、ひどく滑稽に思えるのです。きれいだと思う気持ちは、ある程度わかります。(あるところからは、怖くなりますよ!)

しかし、日常に雲海があるということはそれだけ湿度が高く、そういう環境に合う生き物が一緒についてくるということで、そこには皆さんの嫌いな生き物も当然含まれます。でも、そうしたものを省いて、美しいと思えるところだけを切り取って持ち込もうとする姿勢が、あまりにも全体性をいきていない不自然な姿であるゆえ、滑稽に見えるのです。

朝10時頃まで、すぐ下の道も見えないほど霧が濃い日もあって、雲海もとんでもなく低いところにあったりすると、もうどっちがどっちかわかりません。だって、どちらも、水分です。。。でもこの感覚は、東京のホテルで雲海もどきを眺める人には、生じえないでしょう。部分しか切り取ってないからです。

こうした部分を切り取って持ち運ぶ姿勢は、昔からありました。非常によくあることです。しかし、だからこそいい加減、その不自然さに心身をひらけない私たちは、本当にどうかしてしまっています。

スケルトン

万能感の強い人は、専門家を遠ざけたがります。その道のプロフェッショナルでもないのに、自分で判断したがります。そして、いざという時になると、専門家に依存します。

「自分でできるから」「ちゃんとやりますから」と主張しますが、そう返答しなければならない文脈を理解してないから、つまり専門家があなたよりずっと広く深く見たところから発言していることを、理解できていません。

他者にゆだねる厳粛さの存在する場を理解することができないわけですから、ご自身が何かのプロフェッショナルになる道を、自ら閉じてしまうのです。

こうしたいのちの無駄遣いが、自分自身に対する感謝のない人の日々には刻まれていて、それは専門家からはスケルトンで見えているんです。

登山と下山は異なるもの。

皆さんが様々な状態から「回復」しきれないのは、行きと帰りを同じだと思っているからではないでしょうか?

何らかの状態あるいは症状から「回復」する際、それは登山と下山では通るべき道が違うことと同じように、考えるべきです。

大体、膝が笑うのは下山の方です。気持ちが焦るのも下山の方です。特に登山を山頂に達する事と考え、下山をおまけのように捉えるほど、怪我をしやすいでしょう。下山もまた大イベントなのです。

同じように状態や症状が悪くなるときには、息をひそめる感じがあるのに、少し回復して見えてくると気を緩めてしまうのは、回復をおまけとみなしている姿勢ではないでしょうか?

決して「気を引き締めましょう」と言いたいのではありません。回復もまた新しく大きなイベントであるという位置づけのもと、ご自身の状態や症状や回復そのものを捉えていくと、それ自体がまたとない経験となり、皆さんの人間性の豊かさを育む1部になっていくのではないでしょうか?

精神的に健康でない2つの証。

精神的に不健康であると、自分の中の内的感覚の自覚が、当たり前に根付いていません。「途中で疲れたら、遠慮なくそう伝えて下さい」と言われても、自分の中の疲れたという感覚を掬いあげられないから「思いのほか、疲れていた」ということが、日常に蔓延してしまいます。

また、精神的に不健康であると、はっきり人に向かってNOをいうことができません。(反発は、NOをいうことと、違います)「でもそうはいっても、こうだから、ああだから」と考えては「まぁいいか」と、NOを言わないでいたから、なんとなくYESということになってしまうようなことが、やっぱり日常に広がってしまいます。そうすると、不平等な人間関係にばかり恵まれてしまい、人と会うと緊張することも増えてしまうでしょう。相手が言ったこと(例:あなたには~というところがある)を、丸飲みして「わたしには~というところがあるんだ。わたしってひどい!」と思うような、万能感を相手に抱いてしまう足場から、解放されていく選択肢も、あなたにはあるのです。

わたしが再三、気持ちより先に身体感覚を受け取るように伝えているのは、気持ちに目を向けることで、内的感覚が隠れたりねじ曲がりやすくなるからです。そして、身体感覚ではNOを言いたい(例:この人と会うといつもお腹が痛くなる)のに、気持ちではNOを言えなくなってしまう(例:この人に会えばまた仕事を回してもらえるかもしれない、そうすると不安が少し減る)ことが、実際に人という生き物の中では多いからです。

しかし、内的感覚を自覚できて、かつNOをさらりと言える人はほとんどおらず、見ていると魑魅魍魎になろうとして、魑魅魍魎であることが強くて健康であると自分に言い聞かせている人が多いので、本当に大変な世の中であることは、まちがいがないと思います。

エールを送っちゃう顛末

「こんなに頑張っているのに!」と思うのは、それだけ自分の望みを知りえていない(「これが望み」と思い込んでいるものがあるけど、それじゃない/思い込みに支配されている)からだったりします。

それは、その人が頑張ることでえられる何かをとても「信仰」していて、得た何かが何なのか、実体を確認してこなかった足跡を含みます。あるいは、意識と無意識のバランスが崩れていて、意識が強すぎる状態にあること、つまり「助けて!」という叫びを見せてくれます。

がんばることが逆効果になることは、よくあります。「正しい/間違っている」というジャッジの往復で、美しさを見逃してしまうから、リソースをリソースとしない行動が続いてしまいます。そうすると「わたしにはできない」という感覚も生まれやすくなります。「こんなに頑張っているのに!」の後には「できない」がセットでついてくるのが、定番な印象を受けますが、いかがでしょうか?

でも「できない」と思う時、それはそれを「できる」人に力を与えていますよね?自分ができないことができる人は、実体よりもすごく見えがちです。そんな風に、エールを送ることが「できている」わけですよね?

思い込みに支配されていると、美しさを見逃しつつ、周りにエールを送ることになりながら、「助けて!」と絶叫するような感覚が身体のどこかに宿るのは、定番のシナリオです。

初めてのアフリカ文学

時々、中南米やアフリカなど、行ったことのない地の文化に、矢印がくぃっとむきます。

今回、わたしにとって、クレオールでないアフリカ文学としては初めてかもしれない、ナイジェリアの作家の本を読みました。

災厄の多いエリアは、あやまった理が良かれという思いのもと、せっせと継承されていることが多いのですが、この小説では勇気の履き違えの形で、その幾つかをあらわすことで、正しい理が浮き彫りになるように、描かれていました。

いわば、暗黙の了解として合法化された家族の誰かによる殺人も、無意識レベルで共有されてしまうという真実は、以下のようにあらわされています。

「夜にひとりで歩いていて、道すがら悪霊とすれ違ったときのように、漠然とした恐怖が襲いかかり、頭が膨れ上がる感じがした。その瞬間、心の中でなにかが壊れてしまった。」(『崩れゆく絆』アチェベ著、光文社古典新訳文庫、p103)

また、呪術のような広義での宗教に拠ってきたからこそ、新しい宗教に足元を掬われる様子も描かれています。現代においては、芸能の形で同じようなことが起きていきますよね。より異文化にフォーカスしてこの本を読むなら、男型の罪/女型の罪という考え方などは、面白くも映るのでしょうか?いずれにせよあまりに違い過ぎて、全く共感できないところが「わざわざ読んだかいがあって」良かったです。

全く共感できない者同士がたくさん住んでいるこの星で、平和を願うのならば、安易に類似点を探して目を曇らせるのではなく、あまりにも違い過ぎることをちゃんと経験していくことが、要になると思うからです。

おいしい水

みなさん、お茶やジュースは、お好きでしょうか?自分で調合して飲むのも楽しいし、絞りたてのフルーツジュースは最高ですし、楽しみがたくさんあります。

でも、もう一歩踏み込めば、それは「水がまずい」ということなのかもしれません。というのは、本当においしい水は、何か味付けを欲さずに、どんどん水だけで飲めてしまいますし、お料理に使っても調味料をあれこれ必要としないからです。いろいろな味が欲しくなるのは、水・土・空気といった土台がよくないサインと考えると、かなり合点がいく方も多いでしょう。

水の話に絞って表すなら、本当に水がおいしいとそのままで美味しいから「でも、タイ料理で旅気分を味わいたい」のように、心が旅しなくなります。旅しなくても、すぐ満足できるようになります。基本的欲求が満たされるから、その上にあれこれ楽しみたいと思わなくなるのです。頭で「あれはこれにいいから」と膨大な知識を必要としなくなります。わたしも薬膳の知識を必要としたのは、水がおいしくない東京にいた時でしたし、無論その知識は無駄にはなっていませんが、でもそうした「わざわざどこかに探しに行く」ような知識を必要とするなら、結局、水など基礎の部分が悪いのです。

同じことは人にも言えます。飾り立てる工夫を必要としたり、盛ったりするということは、そういうことです。比較的表面的な例でいうなら、この5年ほど基礎化粧品もメイクも、随分ややこしくなったと思います。化粧水を塗る前に、化粧水の浸透を良くするものが必要ですとか、肌つやを良く見せるためにこれを塗ってから、ファンデーションを塗ると内側から発光してみえますとか、テクニックの大盛りになってきました。そこまで、肌がボロボロということは、内臓が危険な状態にあるから、生活全般を変えなくてはいけないということですが、そこには意識が向かないのです。

土台を良くしていかないと、お金ばっかりかかるから、余計にお金を崇めていく狂った方向に進んでしまいます。そして、そうやって表面に留まり、狂いを深める奥には、トラウマがいることがすごく多いのです。

卵ホルダーとスタイラスペン

出張販売して下さっている有機農家さんが、卵も売って下さっているんです。普段あまり卵は買いませんが、この出張販売所に行けるときには、卵を最大4個買います。

ちゃんとそれぞれ別の色をしていて自然だし、何よりおいしいのです。そこで、地球への負担を減らす観点から、エッグホルダーを探してみました。そうしたら、キャンプ用品でいくつか出ていて、いわば取っ手付き卵パックもありました。

スーパーで買うと、いちいち包装が仰々しく、ゴミの量も下手すると5倍増えるし、ゴミ袋代も下手すると5倍かかります。そうすると地球以前に、こちらが負担を感じます。有機農法のお店だと、新聞紙に包んでくれたりするから、濡らせばそれで窓もきれいになるし、まだ、それがゴミの一部になることで、生ゴミの臭い削減にもつながるのです。

今回購入した卵ホルダーはプラスチック製で、2050年には海が「プラスチックゴミ>魚」となるとも言われているため迷いましたが、紙製だと洗えないので何回かで捨てることになるから、しばらくこちらを使ってみます。

そして、掌より小さいサイズに絵をかくために、別の用事で歩いていた時に見つけた100均でスタイラスペンを買ってみましたが、こんな感じでした。ちなみに、アルミホイルを使って自作する手もあるようですが、こちらもうまくいきませんでした。ということは、しばらく手書きが良さそうです。

こんな感じで、時々は新たな道具が生活に入ってきたりします。

ところでみなさんは、予想と違ったものを「失敗」と決めつけ、苦々しい気分になったりしていませんか?

わたしは、予想と違ったものも、使える範囲を模索していると、坂を上がったら急に富士山が見えるように新しい風景を見せてくれるから、すごく大事に思っています。

「あの人と友達になって、失敗だったな」なんて思うことはないでしょう?それと同じです。ムカつく相手も、ほんと最高の友になりますよね!

こんな胸キュン、大歓迎!

仮設の映画館で、ミニ・シアターでしか上映されないような良質の作品が見られる機会に、心底ワクワクしました。こうした作品は、真実をついているが故にオンデマンド配信に至らないこともありますが、本当に命を懸けて作られた作品も多いのです。

昨今の映画館は、特に夏、デパートなどと同様、異様に寒く、それだけでも行く気が失せます。さらに、地震の時の映画館は本当に怖いのです。だから、映画館が遠いエリアにすむわたしにとって、この機会は願ったり叶ったりでした。新コロゆえの期間限定サービスのようですが、会員制にするなどして、遠隔地や島や山奥でも見られる機会を、なんとか確保して、今後も続けて頂きたいと思っています。

さて、今回は『The Green Lie』という映画を観ました。今、企業はグリーン・ウォッシングに一生懸命ですよね。グリーン・ウォッシングとは、環境保全絡みの虚偽の情報を企業が発信することを指しています。そして、あらゆる認証はその生産地にいない人を公正だと信じさせる手段に過ぎません。有機農業の隣の田畑で農薬をまくようなことは、現地にいたり、生産者と日常会話を重ねていないと見えてこないのもその一つです。

そもそも「環境保護をアピールしている」時点でおかしいのです。「環境保護が重要な戦略である」時点でおかしいのです。「経済と環境のバランスをうたう」時点でおかしいのです。だって、環境ありきのわたしたちであり、経済とはゲームだからです。でも、その自覚すら持てない人間が増えました。常軌を逸した行動がいいイメージのもと流通するという、どこまでも常軌を逸した人間の堕落ぶりを、私たちはきちんと目撃すべきです。

こうした不正は、長くそこに住む人を強制移住させ、もちろん共同体も破壊し、児童労働や環境破壊など各種問題を一気に生み出しながら、サスティナビリティの強調など上辺を装う動きを生みます。「問題が深刻なほど上辺を装う」のは、個人の内面においても、集団においても、全く同じです。個人を見る時、装ったり演じてしまえる人というのは、本人の自覚を超えて、非常に深く病んでいます。「正直であれないのは、初対面だからしょうがないよね」と言われてホッとする人は、病人として扱われたくてしょうがないということです。

さて「数日前まで熱帯雨林だった土地を数日前に企業が焼き払った」景色は、みなさんにもぜひご自身の目で見て頂きたいです。また「人間は、変化に適応できる生き物。だから、社会構造が変われば、またそこに適応できる。それなのに、社会構造が変われば損するという発想はおかしい。社会構造に人が支配されるのではなく、人が社会構造を管理すべきだ」といった南米の原住民の言葉は、目が濁っていない人のそれでした。何らかの形で彼らを支援しようと思います。

これ以上書くと、映画をご覧になる楽しみが減ってしまうかもしれないので、ここで留めますが、他にもワクワクする映画が並んでいる『仮設の映画館』、ぜひご覧になってみてください。不思議と、オンデマンド配信の他のサービスとは違って、映画館で見ている感じがすごくある仕組みになっています。その点にもとても感謝しています。鑑賞中、左上にずっと”Temporary Cinema”と出ていることに、胸がキュンキュンしました。

希望があると「じゃあいいや」と手を引いて、もう成就したという幻想に寄りかかりたい人がすごく多い気持ち悪い世の中です。希望があるからといって、何事も待っていれば勝手に変わることは何一つありません。いつもすべては自分から変えていくのです!

毎日スッキリ過ごしたい

なんだかスッキリしない感覚から、紅茶・日本茶・コーヒーなどのカフェインに走り、それでも少ししかスッキリしないと感じるからこそ、つい「もう一杯」と手が伸びていませんか?

もしそうなら、以下を試してみると、それまでの選択の誤りも自覚できる上に、あらゆる選択の正しいパターンの片鱗は学習できるという、うれしい体験が待っているでしょう。

バイタリティーブレンド
L-テアニン(5%オフになる紹介コード:APQ3843)

なんだかスッキリしない感覚があるような不定愁訴の状態は、そうした感覚のない健やかな状態の人からみると「それを創り出す環境・習慣を有している人に見られる状態」とだけ映ります。

かわいそうな自分を好きな方は、大勢います。しかし、それはとりもなおさず、その方が、希望を追っているつもりで、欲望を追っている証です。

わぁ!鳶の巣!

近所にかなり高い木があるのですが、ちょうどその下を通ろうとしたとき、鳶が飛んできたんです。鳶をその高さでみることはあまりないので、ちょっと驚いて上を見上げると、大きな巣がありました。雨が降ったらずぶ濡れになりそうな、高い位置です。幹から遠く、むしろ枝の先端の方が近い場所でした。

何よりうれしかったのは、その巣が遠目に枝でつくられているように見えたことです。鳶の住む地域によっては、プラスチックバッグやハンガーなどを使って作る他ないこともあるでしょう。そういう人工的な状態ではなく、自然の状態であれる鳶をみて、ホッとしました。

電線に並ぶ雀を狙うかのように鳶が急降下し、雀がパニックになっているのを見たことがあります。が、鳶が主食とするのは動物の死骸で、森のお掃除屋とも呼ばれるそうです。生態系が回復するように、人間が考えと行動をラディカルに変えれば、鳶もまた海辺でハンバーガーを狙う必要がなくなります。渋谷や北九州でネズミが大行進することにも、ならなかったでしょう。

わたしは意識が狭くなっているとき、悠々と高いところを舞う鳶に、助けてもらったことがあります。化学物質やマイクロプラスチックたっぷりの害を口にするのではなく、本来のご飯を鳶が食べられる日が来るよう、なにか鳶の助けになることを見つけたいと思っています。

同じように、山にはかなりお世話になっているので、山にも寄付やゴミ拾い以外の形でなにか返していける道をつくりたいと思っています。みなさんは、どんな対象に何を返していきたいですか?

天然の樟脳

かつて、お祭りに行くために浴衣を着ようと、着物箪笥を開けては「樟脳がくさい〜!」と騒ぐのが楽しかったものです。

さて、しばらくは天然100%のハーブでできたものを、防虫に使っていましたが「コスパというわたし自身への負荷と地球への負荷を共に減らしたい点から行くと、やっぱり樟脳がいいんじゃない?」と思い始めました。

そしたら、江戸時代から続く内野樟脳さんが、ちゃんと樟脳のアロマオイルを作って下さっていました!福岡の会社ですが、嬉しいことに、九州産のクスノキから作って下さっています。玄関の掃除や網の掃除にも良いそうです。

また、月一でだけ洗剤を使うお風呂場用にも、ソーダサンから出ているバスルームクリーナーという今使っている物より地球に少し優しいだろう物を見つけられました。暗くくすむ重い世で、心が晴れました。

在宅勤務になったり、お店が多数閉まっている中で、自分のおうちと地球というおうちの両方を、害することなく綺麗にしたくなってきた方も、増えたんじゃないかと思います。

地球が立ち行かなくなれば、そもそも社会も成立しません。経済だけ回っても、社会は成立しないのです。ぜひ一緒に、地球への負荷を減らしていきませんか?

みんなヒーロー

外出禁止ではないから、子供が公園で遊んで健康を維持することは禁止ではないけれど、でもやっぱり「いつもより減っちゃうし、窮屈だな」と感じるのが、子供目線の感覚でしょう。「外へ出ちゃいけません」と言われると、何もしていないのに怒られる感覚になって、混乱します。この混乱に対処するために、いたずらが始まったり兄弟げんかが炸裂したりして、さらに怒られて、子供は「ひとりぼっち」の感覚を味わうこともあります。

だから、ぜひ「うわ!ヒーローだね。おうちにいてみんなの命をまもってくれるんだね。ありがとう!」と伝えてあげてください。でも、24時間100%ヒーローを強制するのは、絶対にやめて下さい。ちゃんと、人間時間とヒーロー時間を設定して、選ばせてあげて下さい。朝起きて「今日はどのくらいヒーローでいる?」って聞いてあげて「人間に戻りたい」と言われたら、15分でもソーシャル・ディスタンスを維持できる公園で遊ばせてあげて「お母さん(お父さん)、人間の○○ちゃん(くん)も、ヒーロー(ヒロイン)の○○ちゃん(くん)も、好きだな~」と、伝えてあげて下さい。

そして、ヒーロ―やヒロインを選んでくれた時には、その度に何百回も「お父さん(お母さん)、あなたを心から誇りに思う。みんなの命を守ることを選んでくれてありがとう。お母さんヒーローを生んじゃったなんて、すごいなーって思ってるよ」と伝えて下さい。もちろん、すべての大前提として、無症状でも人に感染させてしまう状態などを、その子がすでにした経験に即した形で、丁寧に伝えてあげて下さい。

そしてそして、今、ソーシャル・ディスタンスをキープしたり「何が必要か」を考え抜いた上で、不要不急の外出を控えたみんなが、ヒーロー(ヒロイン)です。あなたは、今、子供の頃憧れたヒーロー(ヒロイン)になっているのです。ウルトラマン全員集合状態の地球ですよ!

あなたの時間に。あなたの場所で。

こちらに書きましたが、3月中旬から祈りの時間を持っています。

あまりにも急速に人がたくさん亡くなり、また弔いもできない状態があちこちで起きています。そのことに、世界中の人が心が追い付いていないことを感じているからです。また、亡くなった方もあまりにも唐突に苦しみの中、愛する人による看取られもないまま亡くなっているので、大きな戸惑いがあります。

だから、亡くなった人たちを思って、毎晩20時に祈りの時間を持っています。ちょうどこの時間は、セッションを入れないし、宅配も受け取らないと決めている時間なのです。よかったら一緒に、あなたの時間にあなたの場所で、祈りませんか?

祈りとは相手に注意を向けることです。その相手に形があるかどうかは、重要ではないのです。会ったことがあるかどうかも関係ないのです。きっと間に6人入れば、どの人も知り合いでしょうから、そんなことを考える必要もありません。ただ、戸惑っている生きている人と、混乱の中にある亡くなった方を思って「あなたの居場所は、私の心の中にあります」と、伝えて下さい。

これは、英語に訳すと “You’re in my heart.” すなわち “I love you.”です。これが祈りの本質です。生きている人と死者、両方を安寧に透みわたる心身に導きます。

目標アレルギー

目標アレルギーの方は、しばしば中間目標をつくっていません。(中間目標でも、1/3目標でも、1/5目標でもいいのですが…)

すごく好きなケーキでも、ホール1個を今全部食べてと言われたら、胃もたれするでしょう。大好物の牛肉も、牛一頭送られたら、モーモーいう牛を相手に、困惑しかなくなるでしょう。つまり、中間目標のような、目標をブレイクダウンした何かは、とっても大事なのです。

目標を中間目標にし、さらに小さくしていくことで「もっと食べたいのに!」と思うサイズのケーキや牛肉になります。そうすると「これならずっと食べてられる」「これなら飲むように食べられる」なんて、錯覚が起きていくわけです。そうやって、錯覚を起こさせていくと、トータルでホール1個分を超えるケーキや、牛1頭分を超える牛肉を、お腹に収めてしまえるのです。

だから、中間目標をつくることで、結果的にあっと驚く場所まで、自分を連れて行ってあげてみて下さいね。そうすると、目標アレルギー自体が消えていくでしょう。

適応と計画

適応力や柔軟性に欠ける人が、適応力のある人や柔軟性のある人を、嫉妬から誤解することは、よくあります。

適応力あるいは柔軟性の高い人は、びしっと計画を決めたり、毎日のルーティーンにがちがちに縛られるようなやり方が窮屈に感じられて、一つ進んだらまたその次を決めようとしたりしますが、これは計画を立てられなかったり、続ける力が低いこととはまるで違います。

適応力あるいは柔軟性の高い人の場合は、プランA~Cまで用意するというよりは、次の一歩はクリアな「これだ」という感覚と共に進んでは、進んだことで見えたものや感じられるものを堪能して、そこからまた丁寧に進んでいく感じになります。なので、少なくとも中期的なプランは持っていて、旅ならばいつどの土地にいるかまでは決めています。

また、適応力あるいは柔軟性の高い人であるのか、計画性のない成り行き任せな人なのかを見分けるために、もう一つ役立ちそうな指標は、その人が身の回りに置いているものです。美しいものや美的感覚を刺激するものを大事にしていて、その人の持ち物やいる環境には、美という点で一貫性が見られます。

こんなところからも、ご自身を振り返って、自分に貼られた間違ったラベルは、堂々とはがしちゃってくださいね!

新調が止まらない

この冬は色々新調していますが、今回はいい商品に出会ったので、長めにご紹介します。

台所のスポンジ置き、今まで無印良品の置き型ラックにしていたのです。しかし、スポンジ置きとしては幅が大きく、掃除するときに微妙に邪魔で、もうだいぶ使ったので、こちらも買い替えることにしました。

それで、キッチン用品屋さんで出会ったのがカナダのメーカー“umbra”のこちらです。大した力を使わずにグネグネ曲げられるし、曲げた後はきちんと固定されます。スポンジ二個まで乗るし、掃除のときにもこれごと片手で上にあげればいいだけなので、非常にスッキリしました。

ちなみに「他にもこういうナイスアイデア!な商品を作っているかも」とumbraの他の商品もオンラインで見てみましたが、わたしにヒットしたのはこれだけで、何だかちょっと笑ってしまいました。

あなたのいる空間のちょっと嫌なこと、まずは書き出してみませんか?

微生物にとっての天国

何年か前に流行った50度洗い、まだ未経験なんですが、寒い冬の内に試してみようかな〜。

さて、植物は動くことができないからこそ、細菌や虫から身を守れる皮を生むなど、比喩として「知恵」とも呼べそうなものを、持っています。

少し前にはじめた、ベジブロスはその恩恵にあやかろうとする、玉ねぎの皮やりんごの芯やカボチャの種やにんじんのヘタやキャベツの芯などを、あくまでも低温でコトコトにこんでとる、野菜の出汁です。

前述の「知恵」は、フィットケミカルと呼ばれる栄養素で、熱に強いことで知られます。

だしを買う量を減らせるからお財布に優しく、ヘタや種をためておく袋はカラフルで楽しく(冷蔵でつくる方が、味が良くなるそうだが、私は気楽な冷凍派)、さらに狙い通りゴミが減り、結果としてやはり自由に使える時間が増えます。

根菜類はたいてい長期保存が可能ですが、それもフィットケミカルのおかげで、免疫力アップや老化防止に効くそうなので、こちらは副次的効果として楽しみにしています。

サプリメントに走りお金も出ていきゴミも増えるより、ホールフードをとったり発酵の力に委ねて、結果的にお金も時間も手元に残ってゴミは減り、日々の楽しみも増える方が、自分の身体を微生物にとっての荒野にしないでいられそうかなと、思うんです。

その存在を知らない微生物がまだ地球上にたくさんいるでしょうし、そのシステムは間違いなくよくできていると思うので、そちらを尊重したいのです。微生物にとっての天国な身体、目指しています!

素の方が素晴らしい

味噌づくりの時期になりました。味噌の発酵に関わるのは、ハロフィルス菌(乳酸菌)やペディオコッカスという善玉菌で、前者は醤油の発酵にも関わるそうです。「そうなんだ~」と思いながら、作っています。

腸内細菌の構成マップは、いわば指紋ともいわれますが、味噌や醤油などの発酵食品がそこに大きく貢献してくれることを考えると「同じ食事を共にすることの深みが見えてくるな!」と思います。

一日に推奨される栄養素の種類や量はありますが、タンパク質そのものを取らずとも、腸内細菌の力で十分なタンパク質を摂取できることも、分かっています。もちろん、その人がどんな腸内細菌を持っているかに拠りますが、でもそうなると「食糧難だ~タンパク質が不足する」という発想が砂の城のように、ボロボロと崩れていく感触が生まれて来ませんか?

脳一辺倒で色々支配しようとがんばる人も多いですが、例えば消化管(口~肛門)は、脳とは独立して機能する、独自の神経系を持っていますから、そうは問屋が卸さないのです。

わたしたちって、もともとすごくって、ただそのすごさを発揮していくには、自分だけでなく周りもすべて自然であるよう、とにかく理にかなっていくことです。理を生きていけば、周りも必然的に本来の力は取り戻しますし、理を進化できるならば、理を生きようとするすべてが、一気に底上げされます。ずっとそこに希望があるな!と思っています。まずは、もともとのすごくて素敵な素の姿に、あなたもひょいっと戻ってしまいませんか?

限られた時間

私たちの人生は限られています。その事実から逃げている人は「時間つぶす」「暇すぎて何していいかわからない」「予定があると安心」と発想します。そういう方にお勧めなのは、タイマーを使うことです。お休みの日、とにかく5分ごとにタイマーが鳴るようにすると「あれ、これ5分以上かけてると思ってたけど違った」「5分しか見てないつもりが、タイマー4回更新してた」のように、事実と自分の「こんな感じ」との距離を近づけることができます。

そうすると、時間に追われなくなるのです。そして、5分もあると豪華なものを頂いたような気分になると思います。5分をSNSに使うより、自ら「これをしよう」とえらんだものに使う方が、ずっとその質が上がるから、日々の満足度は高まります。その上で、よかったらライフスタイルに合わせて、以下からも選んでみて下さい。

・3分以内 : ブログ
・5分以内 : メールマガジン(ほぼ週刊)
・50分以内 :FAP
・55分以内 :聞くワークショップ
・60分以内 :パーソナル・コーチング単発コーチング(いま募集中!)プロボノ(条件付)
・90分以内 :オンラインワークショップ(募集時のみ)
・150分以内:対面型ワークショップ(募集時のみ)

お役に立てたらうれしいです!

「ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある」

少し前になりますが、年末に竹内まりやさんの歌声に心打たれた方も、多かったんじゃないかと思います。

人工的に条件を設定して作り上げていくような感じでは無い、きっと人生に根ざした言葉なのだろうと思わせる誠実な優しい言葉で書かれた歌詞に、そして全てを傾けるように歌う姿に、私も心打たれました。

「いつもの毎日にこそ、小さな喜びがある」いった表現がいまいちしっくりきてなかったのですが、彼女の歌った「ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある」という表し方がとてもピタッときて、クライアントさんによく言われる「ブログやメルマガをよむと、探していた言葉が見つかる」を、久しぶりに経験しました。

毎日の中に同じように組み込まれた小さな喜びではなくて、その人の中であまりにも細やかであまりにも普通であまりにも気に留めない時間の中にこそ、本当に他と変えることのできない喜びがあります。だから職場を去る時や誰かをなくしたときに、私たちが思い出すのはその人のキメ顔ではなく、人に伝えるのも難しいようなふつうの一部の欠片なんだと思います。

つまり、ほとんどの方が、野菜くずみたいに捨てているものが宝石だと言うことです。「本当にだいじなものは 隠れて見えない」のであり、決して隠そうという動きは内に生じません。

隠れて見えない、まるで植物に宿っている「精霊」みたいな本当にだいじなものは、皆さんがさっきまでしていた親子喧嘩やお皿に残ってるケチャップの中にあると思います。

かけがえのない人生を実感するには?

お酢も自宅でつくれるんですね!わーい。

さて、もしみなさんら「かけがえのない人生を生きている」と実感しているなら、過ごす時間の質が高いだろうと思います。そうではない方が、時間の質を高めるには、起業することで得られるライフスタイルが、やはり手っ取り早いのではないかと思います。

起業すると、とにかく会社勤めの時にはない「平日昼間」が手に入ります。「平日昼間」は、会社員が会社に詰め込まれてコンフィチュールの具になっているような時間ですよね?

その「平日昼間」は、とにかく出勤やランチタイムや帰宅時間と違って (1)移動もすいすい (2)どこでも空いてる(待ち時間も短い) (3)ゆえにサービスもいい(忙しくないから丁寧に対応してくれる) (4)平日昼間の方が安くなるものもある とにかくあらゆるコストが安くなります。言い方を変えると、機会損失が減ります。そうすると、人生の充実度は、同じ年収で会社員×1.5倍=起業で同じ年収、くらい上がります。別の視点からだと、レンタルスペース(賃貸物件、ローン払い中の自宅は、実質これ)の稼働率も上がるから、より「元を取れる」と表せる側面もあります。

だから、気持ちにうんと余裕ができて、人生のあらゆる見直しを行えます。これが、リスク回避につながり、未来を大切にする動きを現実化してくれます。ハードルが高くて選択肢として存在していなかったものが、あり得る選択肢として生活に浮上してきますから、楽になります。

また、定年後の人生をよくする「序章」の時間を、自然と持つことにもなりますから、人生のアップダウンが減り、穏やかな一生を送りやすくなるのです。

そういう意味で、時間に注目して起業することは、多くの方が「わたしってかけがえのない存在だった」と真に腑に落ちる効果があると思っています。渋滞フリー行列フリー混雑フリーで動けるだけでも、相当ストレスは減りますし、それが起業理由でOKなんです。

信頼されたい!

冬は湯たんぽ2つ使います。考えすぎたり使いすぎた後、湯たんぽを使って、頭を緩めることもできますが少しコツがいるでしょう。「検討します」と思うより、まずはやってみてくださいね!

「検討します」という拒絶、ビジネスの世界では、多く見受けませんか?言葉だけを追う新人なら「検討してくれるって~」と、喜んでしまうこともあるでしょう。コミュニケーションは、バーバル(言葉)+ノンバーバル(表情やしぐさ)で成立しているので、バーバルとノンバーバルにギャップがある人は、言葉巧みに言うほど人から信用を失いますが、たまにバーバルにやたら重きを置いてしまう方も、いらっしゃるようです。

バーバルに重きを置くと「わからないと言われているのだから、もっと説明しないと。分かりやすい言葉を使わないと」と、実際の相手のニーズ(例;甘えたい)と離れたことをしてしまうので、余計に相手との関係が混乱します。また、バーバルに重きを置くと、一語一句に引っ掛かり「それ、どういう意味?」とツッコミを入れたり勘ぐったりして、素直に誉め言葉を受け取れなくなります。言葉下手な人は、あなたをよく思っていたとしても、その反応に離れていくでしょう。

バーバルに重きを置いている人ほど、「検討します」という拒絶のような、言葉と心のギャップが大きい状態が、日常になっています。だから、相手の言葉を疑うのです。そして、人が自分から離れていく理由の一つに、言葉と心の不一致があることは、認識できていません。せっかく、言葉の細かな意味合いを捉えることができる繊細な感性があるのに、それではあまりにももったいないと思いませんか?

犬や猫など、言葉が通じないとされている相手とのコミュニケーションや、言葉の通じない安全な国でのコミュニケーションは、ノンバーバルを育てるいい練習になるでしょう。バーバルとノンバーバルの誤差が少ない人間を目指していただければ、欲していた他者からの信頼も自然と手に入るようになります。

2019年、どうだった?

みなさん、毎月の大掃除続けていますか?今日の私はこれから冷蔵庫の大掃除をします。そのノリで今年も振り返っちゃいましょうか!

1. 今年1番記憶に残った匂いは、どんな匂いでしたか?

2.今年あなたのお財布の紐を緩ませたものの中で、後から後悔したりいじけるなど、不快をもたらしたものは、何でしょう?

3.今年あなたがお財布の紐をこじ開けて払ったものの中で、後から伸びやかさや安らぎといった快をもたらしてくれたものは、何でしょう?

4.今年あなたが一番好きだった時間帯は、何曜日の何時頃でしょう?

5.あなたの手のひらや肌は、今年の初めよりもきめ細かく柔らかくなりましたか?それとも逆でしょうか?

6.去年のあなたが期待もしなかったのに、今年のあなたが見せた思わぬ成長は、どんな面にあらわれているでしょうか?

7.今年やっと気づけた「本当は苦しかったこと」は、どんな感覚をあなたにもたらすものでしたか?

8.今年触ったもの中で、今までとは違う印象をもてたものは、どんなものでしたか?

9.今のあなたを動物に例えると、なんでしょうか?

10.来年に向けて、1つ努力を手放すとしたら、どこから始めますか?

楽しんでいただけましたか?

ちなみに、2や3の質問がおもしろかったなら、「聞くワークショップ」の”Balance / バランス”を面白く感じるでしょう。4や10が響いたなら「聞くワークショップ」の”Ease / 気楽さ”が響くでしょう。5や8がよかったなら「聞くワークショップ」の”lnsight / 洞察”がよいでしょう。

1や9の敷居が低かったなら「聞くワークショップ」の”Detox / デトックス”は敷居が低いでしょう。6や7に心がほぐれはじめたなら、「聞くワークショップ」の”Hope / 希望”でさらに心がほぐれるでしょう。

「聞くワークショップ」もぜひよろしくお願いいたします!

陰極まって陽となる

約一か月後は冬至ですね。さて、冬至が来ると「陰極まって陽となる」と表したりしますが、陰ヨガで同じポーズを10分など続けた後に、陽のポーズを入れて身体を解いたりします。陽が助けてくれるのです。(もちろん、逆も然りです)

陽は意識的なコントロールで安全に向かう世界ですから、ここにあるのは「身体を変化させよう」という意識です。今あるものを違うものに変えるのだから、安全が担保される必要が出てきます。

陰は「今あるものをそのまま受容しよう」という意識が助けになる静かな世界です。
「身体を変化させよう(例:呼吸を止めないようにしよう)」という積極的な態度は持ち込まないで、身体が自然と開いていくのを待ちながら、その途中で身体の中に新たに生まれたスペースや柔軟性を、心ゆくまで楽しいます。

さて、みなさんが「安全」にこだわっているなら、陰であるべきときに陽の考え方を持ち込んでしまっているかもしれません。例えば陰ヨガに「身体を今とは違うものにしよう」という発想を持ち込めば「もっと柔らかいはずだ」のような変化させようとする積極性が入ることになり、怪我につながることは理解できますか?同じように逆に「安全でない」ことをしてしまっているのです。

さらに、もしみなさんが「受容」にこだわっているなら、陽であるべき時に陰の考え方を持ち込んでしまっているかもしれません。例えば、筋肉に負荷のかかる動きをしながら、意識的なコントロールを手放すことと同じ(例:呼吸が止まってしまうならそれに任せよう)ですから、受容ではなく放任や見捨てていることになります。もちろん、こちらも安全ではありません。

この視点から、ご自身の人生に対する態度を見てみた時、幅をつくろうとして逆に制約を生んでいる点や、制約だと思っていたことが幅をうむきっかけとなっていたことを見落としていたといった発見が、ご自身の中に浮上しますか?

気持ち良さを知ってしまうと。

陰ヨガに、トンボというポーズがあります。小学校の時にもストレッチでやった、開脚して前屈するポーズです。

「ポール・グリリーに学ぶ隠ヨガ」より

ある時、トンボだけ10分間ホールドすることにしたんです。そして数年経ち、10分間ホールドしないで寝た日があると、次の日の朝、足が気持ち悪く感じるようになりました。トンボをやりたくてしょうがなくなるのです。

ただ開脚して前屈する10分間ときくと、辛く感じる人もいるようです。でもやってる本人は、ひたすら気持ちいいだけです。いうまでもなく、明らかに身体も柔らかくなりました。おそらく、ホールド時間をもっと長くしたら、さらなる気持ちよさを知ってしまうのでしょう。

わたしたちの身体は、食事や睡眠だけでなく、思考やあるいは職業にさえ呼応し、毎瞬のようにバランスを取りつづけています。どんなに筋肉や筋膜に毎日入念に働きかけても、終わりはありません。

そして、こうしていくと、身体があっという間に開くようになっていくのです。猫のように瞬時に開く身体を持つことは、記憶や欲望を超え真実にスーッと惹かれる頭もつくってくれます。

不安が強いって素晴らしい。

「不安はダメ、安心はいい」そんな風にバッサリ裁断してませんか?だとしたら、柄の布地の柄だけを近くでみて「これはわたしに似合わない」と、判断しているようなものです。少し離れて布地を身体にあて鏡でみてみると、意外に似合っていることもあるのに、もったいないです。

不安と安心は、生と死のようにつながっています。そして、不安が強いからこそ、1円をまちがえてはいけない職務や、準備が物を言う仕事をまっとうできたりします。不安が強いからこそ、どんどん面白いものを発明しちゃう人もいます。歴史上の人物だと、吉田松蔭などは不安が強かったと言われます。

ただ、不安をどう使うかなんです。不安に巻き込まれて自分を見失うのも、不安をリソースとして使うのも自分次第です。「さびしいのは嫌」「不安はダメ」のように嫌っていると、それらはリソースとして認識されないから、たくさんあっても全部廃棄されてしまい、もったいないですよ!

小さな楽しみに大きな喜びを見いだす

大人になり、ジャッジまみれになると、楽しみにも大きい小さいが生まれます。損得から入るので、大きな楽しみに小さな喜びを見出しては、人に喜ばせてもらおうとする小賢しさを、賢さと勘違いするありさまです。

しかし、子供には楽しみに大きい小さいもありません。それがわたしたちのデフォルトてす。雨の降り方が楽しいし、空の変化が面白く、それはキャラクターに会える遊園地に行くこととは、違う面白さだと知っています。

でも、大人の方が子供の興奮する姿に「やはりキャラクターに会える遊園地の方が、大きな楽しみなのだ」と勘違いします。単に神経が興奮し、気持ちが高揚して、判断力を平常より失っている傷つきやすい状態なのに、それを大きな楽しみを与えた自分への評価と見てしまいます。

子供の方がじんわり広がる喜びをしっていて、自分で探索するワクワクに従っているのに、それらを奪い、刺激だけを与えて飼い慣らし、ジャッジしまくりの自分のミニチュアを作っていく姿は、見るに堪えぬものがあります。

小さな楽しみに大きな喜びを見いだせる暮らしの技術くらいもって、リアルな子供よりは大人になりませんか?

欲しがるのは時の力を知らないから。

有限であることを不足と捉えて、自分にはあれもないこれもないと、実は何が欲しいのかもわからないまま、とにかく欲しがる人は、時の力を知りません。

時の力は、例えば余韻を楽しむことであり、時の経過につれて香りが変わる楽しみを知ることであり、時が経つにつれて形が変わる妙に、自分を開くことです。

手元に塩ときゅうりしかなくても、きゅうりをどんな風に切るか(どのくらい時間をかけて切るか)、切ったきゅうりにどのくらい塩を振るかだけでなく、そこでどれぐらい時間おくかで味わうんと変わります。浅漬けと10年物の古漬けでは、全く味が違います。時の力です。

同じように、全く同じヨガのメニューをするにしても、どこに意識を向けて、そこにどれくらい時間をかけるかで、身体は違う変化を見せてくれます。

時の力を知る人はエクササイズ1つとっても、あれも足りないこれも足りないと新しいものにどんどん手を出すのではなく、今あるいわば「塩」を生かすために、さらにそのバリエーションに触れるために、時の力に頼り、結果として自分自身が豊かな世界に導かれています。

より大きな助け

人生全般において、初めは、確かに的に向かって真剣に何かをする練習は必要なのです。だから、目標や夢を持って、そこに向かいながら何かを得ようとする意図も持ってみることは有用です。物質なら、これでほとんど手に入るでしょう。

しかし、それはごく当たり前にできるようになった、人生の次のステージにおいては、はじめのステージで学んだことと、「破」&「離」の関係になります。そして「何を得よう?そのために、何をすべきか知っている」というひとつ前のステージで身につけた態度は捨てて、どんな意図も持たずに待つことで、より大きな助けが来ることを、経験していきます。

なぜなら、本当に何を得ることができるか、わたしたちは決して知ることはできません。このほんとうのところに、自分を解き放てることこそ、謙虚さだからです。そうすると、手のひらサイズをこえた、手を大きく広げてやっと受け止められるサイズのものが、来るようになります。繰り返しますが「もっともらえるから」と、手を広げるのではありません。まして「あれがほしい」と狙うなら、初めのステージに逆戻りです。

狙って得られるものは、ごくわずかです。「本当に何を得られるか知ることができない」というほんとうに、自分を解き放つときに、大きな力強いものがやってきます。ここでは、失敗や絶望が初めのステージとは、違って見えるのです。ワークショップ「失敗の力。絶望の力」の締め切りは、今夜21時までです。