最悪の手前を想定して、スクラバー

色々新調する中、緊急避難グッズに入れている洗濯板も、より選択しやすそうなスクラバーに変えました。

(主に海外の)シャワーに難があるようなホテルに宿泊経験があったり、自分は行き先に着いたのに荷物は届かない事件を経験した人は「旅先でも使いやすそう!」と、思えるんじゃないかと思います。洗濯機を回したくない夜中、ワンピースなどちょっと大きめのものを洗濯したい時にも使えそうです。つまり、日常にも十分生き生きと根付いてくれそうなところが、わたしは気に入りました。

災害も「ここだけすごくひどい」といった局地的なものや「生活はできるけど、このエリアだけ電気が止まっている」といったじわじわ疲れるものなど、バリエーションがふえました。避難所に缶詰めとはまた違う、最悪の手前のケースを想定したときに、電気だけでもとまれば洗濯もできないわけです。

みなさんは、最悪の手前のケースを色々想定して、準備してきましたか?ちなみに、わたしは避難グッズに、リラックスできるハーブティや精油も入れています。緊急時も少しすれば、リラックスしないと、身体が持たなくなります。お子さんのいる方は、トランプやあやとりのような、かさばらないけれど遊べるグッズを入れておくのも、オススメです。

せっかくだから、より今の日常も生き生きさせてくれるアイデアに出会う機会として、緊急避難グッズをそろえてみませんか?

鮮度

わたしは醤油や酢などの瓶物は、原則として年に一度のまとめ買いで済ませています。そんなこともあって、醤油の鮮度は気になっていました。

もっとも、昨年醤油はつくったので、来年は買わなくていいか、少量買えばいい状態に入れます。ただ、できあがりを待っている醤油は、その後状態を変えることで味を選べるのです。火入れも濾過もしない生揚(きあげ)醤油/濾過だけして火入れはしない生(なま)醤油/濾過も火入れもする生(き)醤油の3種類を、楽しめるのです。自分でつくるからこそ、市場に簡単に出回らない味や香りを楽しめます。

酵母菌などの微生物が生きたまま常温で流通がNGなため、醤油だけでなく塩麹なども、売られているものはそれ以上発酵しないようになって、その分恩恵も少なくなっています。しかし、自分でつくれば、ある程度その恩恵にあやかれます。

ただ、特に生揚醤油は、夏に産膜酵母といわれる白カビ(人体に害なし)が発生しますし、一度にたくさん作るからやはりすべてを生(なま)誌醤油や生揚醤油でいただくことはできません。だから、やはりなるべく空気にふれないといいなと思っていたら、この醤油さしに出会えました。

食べ物のほうは真空保存で鮮度を保てるので(賞味期限を伸ばせるので)、これで時間がある時の作り置きがさらに機能します。

鮮度が保たれた方がおいしいし、より健やかでいやすいと思います。せっかくいのちを頂いているのだから、そのいのちを大事に扱っていける工夫を、また見つけられたらいいなぁと思っています。

減らす・取り除く・増やす・創造する

この4ステップは、部屋の模様替えをしたり、引っ越しをしたり、恋人と別れたり、子供が生まれたり、転職をしたりといった、ライフスタイルが変化する際に、私たちが気づかないまま実は踏んでいる4ステップでしょう。

単純に年末の大掃除をしただけでも、減ったり取り除かれたものがあり、その結果増やすことが可能になったものがあり、新しく創造された習慣もあるだろうと思います。

減らす・取り除くについては、欲望を減らすすなわち苦しみを減らす効果があることを、何度もお伝えしてきました。実はこれをするだけで、みなさんの人脈も変わるのです。もっと言うとポジショニングが変わります。

それは、ビジネスを見ると一目瞭然でしょう。低価格帯の航空機は、機内食や心のこもったサービスやラウンジを、減らす・取り除くしたため、これまで自動車移動が当たり前だった人の目に留まるようになりました。新しい顧客をつかんだのです。

同じようにみなさんが、思考パターンや物や人脈を減らす・取り除くすると、今まで皆さんに近づけなかった人が、みなさんに近づくようになるのです。つまり、今まで声もかけてくれなかったような男性/女性から声をかけられて、自分の人生になかった新しいスタイルのデートをできたり、楽しみ方を知ったり、今まであなたを敵視していた人が消えたり、今まで向けられていた類の嫉妬が消失したりするのです。

減らす・取り除くをすると、思いもよらないものが入ってくることがあります。年始にテレビを見ていたら、長年のパチンコをやめた漁師さんが、空いた時間でたまたま見たテレビで、あるピアニストの音楽に感動し、そこから50代でまったくの独学で非常に難しい曲を弾けるようになり、憧れのプロのピアニストにそれを聞いてもらう展開になった実話が放送されていました。純粋な音を出されていました。

人脈を生活習慣を人生をよりよく変えたい方は、減らす・取り除く・増やす・創造する、この4ステップを踏んでみてください!

目標は苦手な方への助け

今日の記事は、目標が苦手な方にこそ、ぜひ読んで欲しいです。まずは、以下に素直に答えてみてください。

  1.  一年を通じ、何を最も重んじて、暮らしていきますか?
  2. 今までに手を染めたことの内、どれからは手を引きますか?
  3. どんな人間関係からは、足を洗いますか?
  4. 抱えることの中で、今年中に白黒ハッキリさせたいことは、何でしょう?
  5. 吐き出したいことをすべて吐き出したら、変わってしまうことは何でしょう?
  6. あなたは、どんな時に希望と欲望を取り違えやすいでしょう?
  7. 積極的に足踏みしたい領域は、あなたの人生のどんな領域ですか?
  8. 今年中に鼻が利くようになりたいことはどんなことですか?
  9. これまでに周りから言われてきた、耳の痛いことは何でしたか?
  10. 今年、どんな身体を創造していきますか?

ちなみに、5があなたの変えるべき領域を、表しています。次にかえるべきは、4です。2や3は比較的表面のイシューであり、着手しやすい良さがあります。6〜9は、一年というスパンを超え、あなたのこれまでの傾向をあぶりだします。

1と10はlife-changing にもなる問いです。上記すべてにこたえてから、年末になっていたい状態や状況をかきだし「ということは、6月にはこのくらいの状態や状況になっている」とブレイクダウンしていき、さらにそれらをいつも見えるところに、イラストや文で表しておきましょう。

こうして、今年を素晴らしい一年にするデザインが完了します。

花のようにふわっと開く言葉

酒粕レーズンバター、やってみよう!

さて、自分に楯突いて、駆け巡って狩りをするような動きで、自分の言葉を探すと、言葉がふわっとひらけなくなります。

そうすると、いつまでたっても自分の言葉だと思っているものが相手に伝わらず、語彙力を高めるようなインプットに勤しむ狩人になるような、おかしな方向に努力をしてしまうでしょう。

借り物でもなく、周りに合わせたのでもない、あなたの本当の表現は、緊張やプレッシャーの高まるこうした狙い撃ちでは生まれません。

もしあなたが花で、まさに今ふわっと開こうとしている時、もりで突かれそうになったら、閉じませんか?そうすると、あなたはどんなに時間を尽くしても本当の言葉を口にすることがなくなります。

ふわっと綻びる動きの中で、自分の一番言いたいことが初めて言語化されます。

数値目標

無農薬のみかんが安価で手に入り、うれしいです。概して、無農薬や有機の物には、あとを引く変な甘さがありません。

より健やかでありたいクライアントさんにお伝えしている数値目標は、以下です。

・毎日最低でも睡眠8時間
・毎日最低でも運動2時間(ストレッチ含む)
・毎日最高でも仕事4時間(アウトプットのみ)
(・売り上げは前年比0.9〜1.1倍)

これで、残り10時間あることになります。この10時間に掃除・洗濯・食事作り・移動・インプットなどを入れていきます。

例えば、仕事前に机を拭くとか、仕事に関連する勉強会に参加する(インプット)は、仕事の下ごしらえに当たるものですから、上の仕事時間には当然換算しません。会社内でしたら、会議時間を削減するため、経営の実行力を落とすようなパワポで大量に企画書を作る文化から脱し、A4一枚にまとめる文化に変える必要がでてくるでしょう。

そして、上の仕事時間(最高でも4時間)の中身は、うんと濃厚にしていきます。濃厚にするための仕組みづくりは、残り10時間で行っていくことになります。

年末年始は、暮らし方を変えられるいい機会ですから、ぜひ上の数値を使って、みなさんも暮らし方を変えてみて下さい。実際にこの数値をかなえている人ほど、健康診断の結果が良くなり、取引先の質が良くなり、家庭でのコミュニケーションが改善しています。

お金持ちは1円を大事にします。料理上手は大根の葉を捨てません。雑じゃない主婦は、襟の汚れだけ洗濯石鹸で洗ってから洗濯機に入れます。そんな風に、あなたは5分を「かけがえのないいのち」として扱う、自分の尊厳をまもれる人になってください。

仕事に潤いをくれるもの

クリスマスブームを作り出しているみなさん、お疲れ様です。

さて「毎日の仕事に潤いをくれるものこそ、マニュアルだ」と言ったら、あなたはムッとしたり驚くでしょうか?

マニュアルはむしろ、仕事を硬直化させると思う方が多いでしょうか?「マニュアル=更新頻度が低い」と、位置づけているからですよね?

マニュアルはそもそも職場でみんなが思っている「こうした方がいいのに」を反映していけるアウトプット先です。つまり問題を解決したり、より改善していくことで、職場の気持ちよさをアップするために、職場のみんなが参加できるのがマニュアルです。そう位置づけてきましたか?

マニュアルをつくるには「こんなことも?」と思うようなことも、徹底して具体的に説明できる必要が出ます。そうでないと、他の人が使えません。また「自分が辞めた後も、この職場に来た人が気持ちよく働けるために」と考えることだけでも、目の前の作業を「HOW+行動」→「WHAT+実現」から見れるように、関わる全員を導いてくれます。

社員全員が経営者などとうたっても、社員はそう思っていなかったりします。経営者のような視野を社員に求めるなら、少なくとも毎月アップロードされるマニュアル作りは、ファーストステップとしてオススメです。

一生懸命の恩恵

冬至過ぎましたね!こちらは初雪でした。柚子湯は苦手なので、柚子紅茶や柚子たらこうどんを楽しんだり、レモン代わりとしていちじくジャム作りに使っています。

さて、何でもいいから、一生懸命になることは、あなたを本当に救います。と言うのは、一生懸命になる時、情熱を持つ時、あなたの中で無意識が働いてくれるからです。

意識は、狭い領域にフォーカスし物事を進めてくれます。一方、無意識は非常に広い領域をソフトフォーカスで見ながら、大事なところで自分を守ってくれます。意識が捉え切れない脅威を無意識は察知して、あなたをまもろうとしては「もっとできたのに、やらなかった」という事態を引き起こしてくれるからです。

無意識の起動がうまくいっていない方も、たくさんいらっしゃいます。意識で「頑張らないと!」と自分を追い詰めては、ギリギリのひやっとする状況を作り出したりぶっ倒れて、やっと無意識が働けるようになるんです。

そんな悲しくなる選択をしなくても、意識と無意識か和解する方法はたくさんあって、それは何か目の前のことに一生懸命になることなんです。あるいは、何度も書いてきたように、ルーティンを持つことです。それはみなさんに、規律に満ちた生活ではなく、自由な生活を運んできてくれます。

不安ってなぁに?

比較近いパン屋さんで、帰り際になぜか「ありがとうございます!失礼します!」と言われて、笑ってしまいました。

さて、例えば初めての土地に行って、どこか落ち着かない感じは、不安という状態なのだと、自覚していますか?

これからのことを考えると、緊張してどこか落ち着きを失うのは、決して当たり前ではなく、不安と呼べる状態です。

急に社宅を出なくてはならなくなり、部屋をみないまま契約してしまったりするのは、決して健全な状態ではないと、自覚できますか?びっくりしたとき、身体がこわばるなら、あなたは不安なんです。

スマホが壊れそうだからと、どんな機能を今使っているかに基づいて探すのではなく、予算外のスマホまで見て、妄想しては大騒ぎするような、実際にはさほど重要ではないんことに思い悩む状態こそ、自分が不安な状態なのだと理解できますか?

どうしようもない考えが出てきて、集中力散漫になるのは、あなたが不安状態にある証です。

これらのこと一つでもハッとされたなら、あなたの過ごす時間の中では、不安が当たり前になっています。そして、あなたの周りの人も不安な人ばかりでしょう。似た者同士だと気づけません。あなたは、心身に良くない人間関係を保っているのです。

新年に向けて、改めて、不安という状態にある自分を理解するところから、自分の今の人間関係を認識しましょう。

自分に甘すぎた?

夏は塩麹は作らず、冬は醤油麹と塩麹の両方をつくります。ストレスフリーは「自分に甘い」とは違いますからね!

「自分に甘すぎたな」と思ったとき、みなさんは何をするでしょうか?何となく「甘い」の逆にあたりそうな「厳しい」を持ち出して「これからは自分に厳しくしよう!」と漠然と思っては、次にすることが決まった気になっていませんか?そして、自分への厳しさの中身は、自分を責めることや罰を与えることになっていませんか?

自分に甘すぎたなと思ったら、まずはその状態を客観的に認識する必要があります。どこがどんな風に甘いのか、サイズの合わなかった家具と家具の入るはずだったスペースを比べるように、違いを発見していきます。そして、自分が主観において見落としがちな傾向(例:その家具がおさまるかどうかは確認しているが、その家具をつかうシーンをイメージできていなかったから、扉が開かないのだ)を知っていきましょう。

また、自分への声掛けの内容も大切です。家具の例でいうなら「ほら、また使うシーンをイメージできていなかったじゃない!」と、自分が縮こまるような言葉をかけるのではなくて「どうしたら使うシーンをイメージしやすいか、一緒に考えようね」と、自分が緩むような言葉をかけていきましょう。

さらに、自分が選択という概念をどう定義しているか、自分の辞書の定義を洗いなおしてみましょう。例えば「選択=正しい/間違っているがあって、間違っていると罰を与えられる恐怖をうむ」だと、意志ある選択をできずに流されながら不安がふくらむ暮らしになります。「選択=何を選んでも、自分の人生を豊かにするとっかかりを得られるもの」だと、選択した後もワクワクしませんか?

いうまでもなく、人生は選択の連続です。選択自体がストレスフルなものになれば、さらに「自分に甘い」結果を生んでしまいます。自分が緩んで伸び伸びしていけるようにしていく道こそ、実は「自分に厳しい」のです。

暮らしの下ごしらえ

冷え込んできましたね。オンライン・ワークショップ、今夜21時にしめきります。

さて、みなさんは、どんなことに喜びを感じて生きているでしょうか?わたしは、ツタや紅葉が赤いと喜びでいっぱいですし、毎日の塩麹かきまぜタイム(育成中)に至っては、喜びがもりもり増殖します。毎日の小さな喜びを、暮らしの下ごしらえとして、とても大切にしています。

すてきに映る物事を求めたり経験を信奉するような、外的な刺激でわざわざ痛みを感じ(でも、それは慣れてるからもう感じなくて)その驚きを喜びに変換するややこしい仕組みを内蔵していると、心身はただ脆くなります。ダメージを積極的に受けに行き、心身が弱るのは当然でしょう。

ダメージを受け続ける暮らしは、わたしたちからあらゆる基礎を音もなく奪っていきます。例えば、休むという人間のいのちの営みの基礎が壊れて、動き続ける忙しい毎日の方を美徳としてしまいます。例えば、料理する際、下ごしらえという基礎を省くようになります。それどころか、下ごしらえを応用だと思い込んだりします。もちろん、仕事における下ごしらえ・育児における下ごしらえにも、考えは及ばなくなります。

下ごしらえを省くほど、即ち基礎を軽んじるほど、体裁のいいものに丸め込まれますから、質を見抜けない自分を、事あるごとに目の当たりにします。だから、自分を信じられなくなっていきます。形のいいものに喜び、形は悪くとも質がずば抜けていいものは、スルーしてしまうから、心身が気持ちいい人間関係はつくれないのです。

質を見るほど、下ごしらえの30秒を優先しないといけないことを理解できます。仕事の下ごしらえをするほど、休めるようになります。育児の下ごしらえをするほど、毎日の小さな喜びに溢れます。

これらはすべて循環しています。そして、先が見えずどうしようもない中を、何も我慢せず否認せず、健全に探求しつづける人は、おしなべて、人生の下ごしらえをきちっとやり切り、毎日の小さな喜びをうんと大切にしているのです。そうある人は、どんなに辛くとも、心が折れないのです。

アスリートを基準にしていませんか?

激しいトレーニングをし、結果が生活を左右するアスリートをお手本に、身体作りをしてしまっていませんか?

競技用のウェアは、日々の暮らしは快適にしてくれません。目指す延長線上にある競技用の身体は、果たして自分の日常を気持ちよくしてくれるのか、考えたことはありましたか?

極端に体脂肪率が低かったり、日々500gの体重変動も試合に響くために細かな調整を重ねたアスリートの身体は、むしろ免疫機能が低下しやすいことは、広く知られ始めています。

転じて、そのときの自分にとって強度の高い運動をしてしまえば、免疫機能が下がり、風邪や皮膚病や胃腸を壊す方向に、行ってしまいます。

「激しい運動ができる=体力がある」と自分に負荷をかけすぎれば、体力は逆になくなるのです。がんばるほど目指す状態から遠ざかるような目標を、設定してしまっているのです。

その時の自分の身体の限界を正しく知れる正確さを身につけていくには、陰ヨガなど陰のスポーツがいいガイドになってくれるでしょう。忍耐強く身体の深部を緩め、自分が脆い感覚になることを引き受けられるようになると、上述した正確さは部分的には養われます。

さらに、がんばるほど目指す状態から遠ざかる方は、先の見えない暗闇の中を探求している感覚に飲み込まれているのではないかと、推察します。先の見えない暗闇で健全に探求していくには、つまり自分の身体をまちがっても壊したりはしない適切な目標設定を常としていくには、明日〆切のオンライン・ワークショップ「宙ぶらりん最高」が「人をダメにするソファー」みたいにみなさんの役に立ちます。

よくわからないまま、生かせる力。

子供は遊び方を知らないものを渡されても、わからないまま、どんどん遊んでいきます。自分で遊び方を見出したり、新しい遊びを創っていきます。わたしたちには、よくわからないまま生かす力が、備わっているのです。

では、例えば大人のあなたがよくわからない食べ物をお土産でもらったら、正直どう思うでしょうか?面倒に感じたり負担に思うでしょうか?それとも面白がって生かし方を考えるいい機会をもらったなぁと、楽しむでしょうか?

よくわからないまま生かす力が退化してしまっていると、前者のように「取扱説明書のないものは負担です」「わからないものはストレスです」という反応が生まれるでしょう。一方、よくわからないまま生かす力を伸ばしてきた人は、後者のようにわかるわからないに拘らず、むしろ説明書を自分で書いちゃうぞくらいのところで、生き生きとします。

そう、このよくわからないまま、目の前に来てしまったものを生かせる力は、わたしたちの創造力と深く関連します。この力が退化していると、あまり創造的になれないから、予定外=ストレスとなったり、何でも分かる必要がある=頭でっかち(つまりアンバランス)となっていきます。そ・れ・で、この力、まだ取り戻せます。

男性の産後うつ

育休をとっていない男性にも、子供を生んでいない男性にも、産後うつという状態が生まれることはご存知でしょうか?

不眠や食欲が落ちるなど、一般的なうつ病の症状以外に、男性に特徴的なのは激しい怒りです。その反動で、笑ってはいけない時に笑いが止まらなくなるようなことも起こったりします。

外で長く働いて帰ってきているだけで、ちっとも子育てに協力していないとしても、産後うつという状態になることはあります。どんなに子供を可愛く思っていたとしても、家に帰ってきて赤ん坊がいるという環境の変化が、産後うつの状態を生むことがあります。

子育てに参加していないから、男性の側も「最近、職場のメンバーが変わったからかな?」「1番好きな仕事から離れているからかな?」のように、原因とは遠いところを見てしまいがちです。

鬱病から十分に回復したら、原因をきちんと探し出せるための問題を締めくくらない力を身に付けていくと、未来が軽快になるでしょう。

Je suis bien dans ma peau.

“Je suis bien dans ma peau.”はいわば「ありのままの自分に満足している」の意味です。それはつまり、自分のスタイルを知っているから、朝の身支度をさっと終えられる現象に現れます。

あるいは、さっと整えた食卓から、その食卓に着いた人はこんな印象を受けるという形で表れます。「かけがえのない今日という一日には、大事なことがたくさんあって、だから食事に手をかけすぎる必要がないの。満ち足りてるの」

さらには、休みの日だからとか家の中だからと言う理由で、だらしなく過ごすのではなく、身だしなみや服装を整えることで、自分や家族に敬意を示す形で現れます。「自分は大事な存在なんだ。家族のあなたはすごく大事だよ」と言うメッセージになるのです。

「きちんとして見える」「高く見える」という他人目線のジャッジではなく、まずは自分に敬意を払うことを続けて生活すると、”Je suis bien dans ma peau.”という想いも、自然と湧くようになるでしょう。

不調和と創造性

メイク道具でも本でも使いこなしてから買えば、よりその時の自分が持っているものが構成する環境に調和した、ベストチョイスを選ぶことができます。

それが、ついでにあれもこれもとか、この色とこの色を必ず合うからといった理由で、買ってしまうと、自分が創造性を発揮する機会を自分から奪ってしまいます。もちろんそれだけでなく、お金や時間も減ってしまいます。

そして上に書いたように、いつも不調和が際立つので、「必要なあれを変えないからだ」「希望しているあれを手に入れられないから」と、不安と焦りに恵まれるようになります。

でも間違いなく、その焦りと不安を生み出すことに、あなたもひと役買っています。みなさんが気にする浪費より、不調和と創造性の喪失の方が、大きく深刻な問題です。

できてないところばかり目が向くのは?

「できてないところばかり目が向く」は、ネガティブに捉えられやすい姿勢です。しかし、そんな風に伸ばすべきところばかり探してしまうのは、実際にそれを失った過去があるからなんです。

失った手の感覚が残るように、わたしたちは失った何かに向かい続け、自分という存在を統合しようとします。潰された才能に意識を向かわせ、何とか復活させようとするから、できているところよりできないところに目が向くんです。これは、自分を再生させるための、尊いいのちの動きなんです。

ただ、それが自分の良さに目を向けられない姿勢に転化されると、着地点が惨めさになってしまいます。気分を変えて、今あるものを伸ばそうとしても、自分の欠点や短所にばかり目が向くなら、失ったなにかを本当に復活させませんか?

その第一歩を一緒に、ふみだしませんか?

いつでも堂々としている

日常における失敗、さらにその先で、人生における絶望さえ味方してくれるようになると、いつも堂々としていられるようになります。つまり、いつも堂々としていたいなら、失敗の力や絶望の力を使っていけるようになる必要があります。

例えば、会社を創業して初めはよかったものの、数年後には苦しくなってカツカツの経営が続いて、その後ちょっとメディアに取り上げてもらったら上向いて、でもまたその数年後にはさらに苦しい状態に入って、そのまま20年が経ったとします。そうするとまず、胸の中に浮かんでしまうのは「自分は経営者としてまずいなぁ」という思いだと思うんです。もっと言うと、廊下に立たされているような罰されているような辱めを受けているような、努力しているのになんでこんなにできないんだと、空元気にはなれても、どこか背中が丸くなるような感覚が「いつもの自分」になってしまうんです。

そんな風に、ごく平易にいうなら「できたら、堂々としていい」と、自分に言っている方は、ものすごく多いと思うんですね。もちろん周りからも「あの人経営者としてどうなの?」と思われているとしか思えないような態度をとられるなど、恥を与えられるから、余計にそういう思考に入りやすい条件は整っているでしょう。

そうしていると、堂々とすることに憧れもでるし、堂々とすることが与える印象の大きさも知っているから、さらに空元気にはなるようになって、でも演じていることを知っている自分の中では、ますます「できていないのに」という思いに、二重線がぐりぐりひかれてしまいます。

でも、一見華やかにも見える社長業の中で、一般にイメージだけが先行しがちな経営者という立ち位置にいながら、そういう乱高下があった中で、目の前の商談に集中していき、創業の思いを貫いてきたからこそ、ここまで何とかであっても、会社が続いているわけですよね。ニッコリ笑いながら、足はバタバタさせて、それが20年も続くってすごい体力と気力だと、思いませんか?それとも、同じことを、もう一度余裕でできると思いますか?

「あんなに辛いことをもう一度なんて嫌だ」と思えるなら「自分はここまでタフだったな」と誰がなんと言おうと、自分に伝えてあげましょう。そして、経営がもしかしたらちょっぴり苦手なまま、それでも堂々としていくのです。その先に、厚みのある成功がひらけます。

絶望すら力にかえる底力。

絶望にも力があって、すごい味方になってくれます。しかし、その前に日常の失敗の力を使えるようになることです。「あぁ、たしかに失敗が背中を押してくれた」と、経験することです。

失敗の力を使えていない人は、ジャッジして思考を停止した様を「自分はよく考えた」と認識していたり、ジャッジする声を自分の本音と思っていたりします。ジャッジする声をいつも回避しないとつらいから「あなたが大事にしている価値観は?」と言われた時なども、本当に実際に大事にしているふだんぎの価値観ではなく、理想的にはこれを大事にしていたいというよぞゆきの価値観を述べてきます。

よそゆきを眺めて、うっとりしては、クローゼットにしまうことを繰り返していると、失敗が背中を日々押し続けてくれて、絶望すらも力に変えていける底力の開花からは、どんどん遠ざかってしまうんです。

ジャッジすると、失敗の力は使えない。

皮肉でもなんでもなく、巷に流布する「問題解決」は単に見えている事象をいい・悪いでジャッジし、悪いとジャッジしたものについては消そう減らそうとするだけなんだと認識し、大変驚きました。

例えば、肩こり=悪いとジャッジします。なぜ肩こりになったかは、きれいには解明しません。だけど「とりあえず、ここ引っ張ると肩こりが消えます。ほーら、肩こり消えた。はい、問題解決!」なんですね。そこで、なぜ肩こりになったかをきれいに解明していないからこその「肩こりは消えたけど、実はこんな動きが始まっていて、長期的に見るとこんな症状になる」は、見向きもしないんですね。

「ここを引っ張ればいい」という手軽さだけが受けて「肩こりのない”いい”身体」になったと、ジャッジして「よかったよかった」と、自分を丸め込んで、安心とは違う安心感に浸って、その頃にはもう別のことに夢中だから、このプロセスすらあまり覚えていないほどなんですね。

肩こりを失敗のメタファーとして、もう一度上を読み直してください。失敗の力を使えない人は、こんな風にジャッジすることを「考えた」と認識しています。

真の強者の「ひよひよ」サイン

真の強者がひよひよしながら、日々している工夫って、分解するとあまりにもふつうで誰にでもできることなんです。ただ、それを1年365日重ねているから、いざ何もしていない人がしようとすると、すごく大変に感じますし、あまりにもふつうだから「やらなくてもいいか」とすら、思えてしまうんです。そのくらい、ちっとも画期的でなくて、全然メディアが取り上げないようなことです。

すごく身近の小さなことで、例を挙げてみましょうか?例えば、暑さに強くて、35度下でも運動できちゃうのが当たり前だぜという人は、カーンと氷で冷やせば大丈夫なんて、刺激を求めて、どんどん身体を鈍らせていきます。ずっと元気で、風邪一つひかないんです。一方、暑いのがつらくて、1度上がるごとに身体がみしみしする人は、日々工夫を重ねます。そして、やっとこさ生き延びていて、やっぱり風邪をひくような、身体を壊すことはしません。

前者はある日、大病してぽっくり逝ったりします。前日には「今日も酒がうまい!」なんて言ってたりするから、周りも呆気にとられます。元気に見えて、破壊まっしぐらだったのです。後者は、気づくとずっと病と縁遠いんです。そして、工夫を周りに伝えられるまでになっています。

そんな風に、ひびひよひよしている真の強者は、自分に何か強いることをしていません。自分の中でいろいろなぎ倒したり押し殺していくといった、自分に何かを強いる動きは、しないんです。なぎ倒されたり押し殺されるたった一つが、自分のバランスを崩すことをしっていて、それが死活問題であると実感しているから、丁寧に丁寧に扱うほかないんです。

だから「これが苦しいよ~」「もうできないよ~」と、弱音を吐きながらめそめそし、工夫を重ね続けてひよひよしながら、何とか適応し続けるゾーンにいてみてください。ある日周りから、その強さを称えられて、自分でもびっくりしちゃう、そんな日が望まないのに来ちゃいます。

正しさと自由

みなさんの中で、正しさと自由は対立するものとして存在していることが多いようで、驚いています。正しさと美しさが対立軸になっていることもあれば、正しさと面白さが対立軸になっていることもあります。何でしょう…、サッカーとオーストラリアンフットボールとラグビーと…のように、似ているど同じではないスポーツが並んでいるのを、見ているような気分になります。

さて、正しさと美しさが対立している人の中では、正しさって何かを漂白するようなインパクトがあるみたいで、なおかつ必ず罰を連れてくるようなものとして、位置しているようです。正しさと面白さが対立している人の中では、正しさって窮屈なインパクトがあるみたいで、面白さによって解放されるみたいです。つまり、どちらにおいても、美しさと面白さが自由を連れてくるものとして位置し、正しさは不自由を連れてくるものとして位置しているようです。

でも、理にかなうという正しさだけが、どこまでも自由であることを可能にしてくれます。その正しさに沿わないと怒られるとか、仲間外れにされるとか、廊下に立たされるとか、そういうものではなくて、その正しさに沿うことで、みんなが調和して楽になって笑顔になって、無理しなくてよくなるからです。そうするとみんなの力が引き出されるから、どんどん自由になっていくんです。

正しさと自由は、同じ方向を向いている仲良しです。だから、わざわざ仲たがいさせないであげてくださいね!お願いします。

よく動くのは元気の証?

「あの人はあの年でもよく動いて、元気ね」「あれだけ動いたのに、また朝早くから出かけたの?体力あるわね!」なんていう会話をしていませんか?頭でっかちで、身体全体の感覚を無視していたり、もはや全身が麻痺していることにも無自覚だと、こんな発想になります。

動き続けるのは、そうしないと体内から出すべきもの・入れるべきでなかったものを出せないからです。食べ過ぎや動きすぎで、無理に汗や便などで出そうとしては、水や空気や食べ物や人の思いなど入るものには無頓着だから、だんだんバランスの取り方自体がかわってきます。その証に、不安がどんどん大きく育ちます。

無理矢理を重ねる中で、身体の重心がずれていくから、何とかそこにいるだけで精一杯になり、繊細に物事を感じとることは不可能になります。いわば3Dカラーから平面白黒になると「色が濃い方がいいんじゃない?見えやすいし」といったざっくりした判断しかできないから「札幌は北だから、とりあえず仙台行きに乗れば近づくじゃん」みたいに、すべてが非効率になっていきますが、行動したことを過大評価し、よしとしてしまいます。

自分の身体の変化も感じとれないから「押されて痛い方が、効いてる感じがする」「飲んでからマッサージに行けばチャラでしょ」といった無茶苦茶な発想で、さらにあやまちを重ねます。しかし、あやまちどころか「いいアイデア思いついた自分は賢い!」くらいに思っています。

どんどん穢れるから、身体も緩まなくなり、眠れなくなりますが「これだけ睡眠不足なら、明日は爆睡で気持ちいいから逆にいい」とポジティブなつもりになり、自己陶酔します。そしてそんなポジティブなつもりを、周りにも強要し、同意を求めます。そうしないと、安定できないのです。きちんと振り返って修正していくことが、もはや不可能になるのです。

塗り重ねてきた、一時的な安心や安堵の塗り重ねは、長期的に見て今の体調の悪さを導くものだったのです。動けるのは元気や体力の証でなく、そうしないと出すべきを出せないところまで、自分を追いつめたからなんです。今、あなたの生き方の方向を転換するときではありませんか?

帰属エラー

帰属エラーが起きていると「なんかこれ違うなー。でも努力を続けてきたことを無駄にしたくはないし。親もあんなに喜んでいるし」と自分の感覚(不快)を踏みにじります。あるいは「朝早く出勤して、トイレ掃除まですれば、もっと仕事を回してもらえるはずだ。トイレ掃除するっていうところまで気が回らなかったわたしが、きっといけなかっただけだ」と、仕事が回ってこない原因はよくわからないままに、そこと関連の浅そうな解決策にすがりつきながら、自分の責任だと自分に帰属させてしまいます。

他にも、自分より知識や経験のある人に、自ら相談に行ったのに、提案されたことを自分流にアレンジしてしまい、効果が得られないと嘆いたりします。実は、自分流にアレンジするときには「自分でなんとかしないと!」と「自分の責任です」と、自分に帰属させる動きをしています。それは「自分より知識や経験のあるその人から、見捨てられないために」という、傷つくことを恐れる気持ちの働きだったりしますが、ぶっちゃけ自分より知識や経験のある人が提案してくれたことをそのまましていたら、効果は出ていたのです。居酒屋などでするような気楽な会話の形でいうなら、素直じゃないから効果が出なかっただけなんです。

まだ起きていないけれど(→つまりこれも帰属エラー)不快なこと(例:見捨てられる)を避けようとして、不快なこと(相談した方法でやったのにアレンジまで加えたのに成果がでなかった)を経験して、さらに相談に乗ってくれた相手にも素直じゃないと敬遠されたりとさらに不快なことを経験して…と、帰属エラーを起こしていると、不快のオンパレードになってしまいます。

そうすると、ご本人としては、がんばってるのにこんなにやってるのにかなわない!やっても無駄だと、深い混乱と絶望の中で耐えるようになって、必死で働いているのにお金はたまらないし、給料は上がってもなぜかほとんどを使ってしまう(お金を使うその瞬間は必要だと思えてしまう)という状態が、表れて来たりします。そこまで顕著でなくとも、お金になんとなく不安を感じたりするので、一億当たったら!と自分事として考えていったりすると、あんまり楽しくなかったり困惑する自分と対面することになります。

流されない人が、まずすること。

流されない人が、まずしているのは、嫌なものは嫌だとはっきり言うことです。

嫌なものを受け入れたフリをして、自分にストレスをかけると言う「癒えない」方へ、自分をぐいぐい押し続けることは、していません。

嫌なものを嫌だと表し続けるには、しっかりと自分の感情や感覚を感じ続ける必要があります。嫌なものが少ないほうが優秀だとか、嫌な物だらけの方がレアで優れているとか、そうしたジャッジにいちいち時を割かないのです。

社会に属したり、人と対話し続けるには、嫌なものを嫌だと言う必要があるのです。言えないと、やがてそれは「排除」に形を変えます。

自分に正直に、自分なりに距離をとりながら、周りと調和を生んでいくために、嫌なものを嫌だという態度は、尊重すべきを尊重する仕事上の姿勢を形成していきます。周りから「あの人は気持ちが良い」と仕事上で評価されていく人は、まずはじめに嫌なものは嫌だと言っています。

気持ちいいから、続いてく

田舎住まいを始めてから、ペットボトルと疎遠になりました。「地球のために良いことをしよう」とガリゴリがんばっているわけではありません。

その頭もありましたが、とにかく内陸性気候の田舎では、暑いし寒いのです。ペットボトルはその辺に売っているわけではなく、スタバスタイルで頂けばすぐ冷めてしまいます。

そうなると、1番気持ちいいのは自分が飲みたいものを飲みたい温度でいただき続けることのできる水筒になります。冬はとにかく寒いので、130円ぐらいの小さなペットボトルをさて電車でも待っていようものなら、ぐんぐん冷えていき、むしろ手の熱が奪われます。

しかも水筒だと、仮に前日の夜に作っても次の日の午後にまだ温かいので、作るタイミングも選ばなくていいのです。そうしたことから、1番気持ちいいのは水筒になるので、電車の中での水筒遭遇率も高いです。

これは、環境がそうさせた環境にあわた例ですが、環境はそうでなくても、自分で続けたいことを続けるには「そうすると気持ちいい」となるよう、逐一環境の方を変え続けてしまえばいいのです。癒える方に向かい続ける人が、当たり前にしていること一つです。

「わたし/僕、地球にいいことしてるのよ」というどぎつさは、遠回しに地球のことも傷つけてしまいます。

好き × 必要

物や使っているサービスや人脈が捨てられない、NOを躊躇うのは、単にあなたが自分の「好き × 必要」を知らないからです。自分をそのくらい理解していないし、そのくらい自分に無関心なのです。

そのあらわれが「NOを言わないのがマイスタイル」という正当化・各種浪費・みんなにいい顔をして人脈を整理できない・物を捨てられないといった現象になるだけです。

ちなみに、間違いなく捨てるべきは「好きじゃない × 必要じゃない」ですね。これはさすがにおわかりでしょう。

「好きじゃない × 必要」には、物なら例えば喪服が入ります。最低限あるべきですが、この領域が膨らんでいるとなると、主にあなたと社会との関わり方を見直す必要が生じます。

「好き × 必要じゃない」には、あなたのオリジナリティがあらわれやすいでしょう。しかし、この領域が膨らむなら、そもそもそも好きとは何かを認識していないでしょう。

「好きじゃない × 必要」と「好き × 必要じゃない」が膨らんでいるなら、あなたは癒える方向には向かいません。

【開催概要】新春単発コーチング「真に癒える」

わたしたちが属するシステム(例:家族)が癒えるには「見る」必要があります。「聞く」では、必要な働きは生まれず、及ばないのです。「それ、○○さんから聞いて、知っていた」は、何も癒さないのです。「実際に、この目で見たんだ」だけが、システムを癒していきます。(この先は、実話ベースの映画『家へ帰ろう』のネタバレを含みます)

アルゼンチンが気になる最近、そこにひっかかった映画『家へ帰ろう』を、内容を知らぬまま、なぜか駆り立てられるように観に行きました。始まってみたら、迫害されたユダヤ人がアルゼンチンに住み始めた話で、アルゼンチンとナチスが結びつかなかった自分の無知ぶりに、頭をハンマーで殴られたのような衝撃を覚えた、2018年の暮れでした。

主人公は、ポーランドで生まれ、そこであの悍ましい経験をします。彼にとって、生まれ故郷ポーランドは発音することすらタブーの土地で、ホロコーストをもたらしたドイツは、通りたくない直に足をつけられない土地です。彼は自分の家族が連行されるのを「この目で見た」からこそ、トラウマを抱えフラッシュバックに悩まされながら、自分を助け親友となったポーランドに住む人のところへ、会いに行きます。

ナンバーの刻印された肉体を持つ彼や彼の娘の姿と、ラテンの小気味よい激しいやり取りの落差が、いい意味で焼き付くようで、そんな中舞台は、途中で知り合ったドイツ人とのやり取りに移ります。彼女の助けで、目的地ワルシャワに近づきながら、加害者も被害者も消える、つまり、ゆるして尊厳を取り戻し今に立つ瞬間があります。ドイツで彼は地面に足をつけたのです。加害者もゆるされた瞬間で圧巻でした。

アルゼンチンにいた時から、医師に切り落とす提案をされていた足は、ワルシャワで病院に運ばれた際、やはり一縷の望みを捨てなかった一人の医師によって、生かされます。ずっと一縷の望みを辿って生きてきた彼は、互いに高齢で生死もわからない連絡もできなかった親友に、自分の足で、つまり自立した状態で会いに行き、二人は窓越しに見た途端、相手を認識します。「この目で見た」から溢れ出すものがある個人間レベルではなく、ホロコーストに関わるシステム全体の癒しが始まる瞬間は、もはや映画とは思えないというか…、現実でした。

祖国に行けない、感謝を伝えたい相手に何十年も連絡できないほどのあまりにむごい非人間的な行いが、ホロコースト以外でもそして過去だけでなく現代でも、起き続けています。時を超えて、システム全体の癒しが必要で、それは「この目で見る」ことから始まるものすごく大きな希望なのだと、この映画に抱きとめてもらった感じがしました。

こうした癒しを、ホロコーストのような距離のあることをきっかけにせず、過去をほじくりかえすことから始めるのではなく、今目の前に確かにあるあなたのリアルから始めていけることは、希望に感じませんか?個人的なエピソードがスタート地点でも、利益をもたらし存在を脅かすような偽の貢献ではなく、みなさんが属する世界全体への真の貢献がドミノ倒しで起きていく時間を、みなさんは今選べるのです。

みなさん自身が真に癒えるとき、それは世界全体を明るい未来へ先導している瞬間です。それを望む方に、単発コーチングをお届けします。

~~新春単発コーチング「真に癒える」~~

■ 日 時:
126日(土)13:00 – 14:00→〆切済
– 1月29日(火)12:00 – 13:00
– 1月30日(水)11:00 – 12:00
– 1月31日(木)20:00 – 21:00

■ 対 象:~ 以下ひとつでも当てはまる方 ~
□ 幸せに向かいたい
□ あの時、幸せに向かえなかった理由を理解していない
□ 並行世界(パラレルワールド)の自分を見たい
□ 良いことを決意する「時」自体を経験したい
□ 時代を超えた動きを理解しはじめたい
□ 災厄や病や死の奥で動く働きを、変容させ始めたい
□ 人生を愛したい
□ 自分を迎えに行きたい
□ 三世代以上前あるいは後に、愛を注ぎたい
□ 生きる力を殺ぐ働きをスルーする態度を会得し始めたい
□ 理に属したい
□ 真実を生きたい
□ 癒える方へこの世界を配置したい
□ 癒える方へ自分の家族を配置したい
□ 癒える方へ自分を配置したい
□ 2019年を最良の一年にしたい
□ 生き直したい
□ コーチングを試したい

■ 手 段:スカイプ or 電話
■ 参加費:30,000円
■ 定 員:3名
■ 〆 切:1月25日(金)21:00
▼ お申し込み:https://globalflowering.com/spot_coaching.html

~ キャンセレーションポリシー ~
お申込みと共に、キャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずとも、セッション費はそのままお支払い頂きます。お子様の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などには、日程を調整し、対応します。過去にクライアントさんだった方に限ってお子様と一緒のコーチング・お子様へのフィードバックも承ります。これまでに頂いた感想は http://wp.me/p2ZjtS-9L5 にあります。

~~~

新春ですから、ご自身を幸せに向かう方へきちんと配置しておくことが大切です。幸せだと信じる方向がまちがっていると、そのまま設定するビジョンは、どんなに努力しても幸せを感じられないという展開を、必ず連れてきます。そんな悲しさとは、縁遠い一年にしませんか?

高砂や

ひょんなことから、あの結婚式で有名な「高砂や」をプロが丸ごとうたう機会に居合わせ、20代には能楽堂で舟をこいだ私でも、今回はぞくぞくしました。

聞く前に以下を拝見し「住之江」を、疑いもせず「住吉大社でしょ」と思った自分に、驚きました。この辺りが、関西に住んでよかった点の一つです。東京に住んでいた時は、身近にないため、自分の中で辞書をひくように「どこどこにある、あそこね」と、データを整理するような作業が脳内で発生していました。「住之江」とみても瞬時には「どこかの海辺」としか、思えなかったろうと思います。

「高砂や(待謡)

この浦船に 帆を上げて
この浦船に帆を上げて

月もろともに 出汐の
波の淡路の 島影や
遠く鳴尾の沖過ぎて 

はや住之江に 着きにけり
はや住之江に着きにけり」

途中まで「ワレワレハ ウチュウジンデアル」とふざけていう時と、同じような調子で続いてきます。それでも、一音一音はデータとしては聞こえず、一つ一つがずしっと響いてくるのです。「遠く鳴尾の沖過ぎて」から、急に節がついて、一気に風景がびよーんと伸びるような、船が方角を変えるような「いよいよだ」と思うような雰囲気になって、最後の「はや住之江に着きにけり」は、ただただ美しい音楽に聞こえました。

新年は新しい音楽と続々出会うことから始まっているのですが、時々さらりと触れては、すっと距離をとっていた日本の古来からの音楽に、もっと深く触れそうで、楽しみな今年です。みなさんが、今年楽しみにしている、楽しい予感がすることは何でしょう?

鈍いと、それをあいまいに感じる。

コントラストのはっきりしていない、目に見えないから感じ取るようなものは、鈍いと感じ取れないから「あいまいだ」と処理するようです。その自己中心性にただ驚きました。

それは感じ取る力がきちんとありさえすれば、清かに感じ取れる繊細なもので、そもそもコントラストなど不要なのです。

「あいまいだ」と処理したがる人に、その立ち位置や視野にあわせてあげて伝えるなら「そのあなたがあいまいだと捉えているものは、とても安定していて、完璧で完成しているんだよ」となるでしょうか?

自分が感じ取れないからと「あいまいだ」と処理して、コントラストはっきりさせて輪郭をくっきりさせてわかりやすくして、やっと完成すると捉える未熟さには、言葉もありません。

でも、今の日本はどんどんこっちへ進んでいます。完璧に完成したものを「わかりやすく」して不安定にし、繊細なバランスでとても安定したものを「わかりやすく」しては、未熟で下劣なものにすることを、発展/成長/進化などと呼ぶ、お粗末な大人で溢れています。