善悪は相対的なもの

正しい/間違っているにとらわれる毎日を送っている人は、人間社会において、善悪の絶対的な基準があると考えているようなんです。

しかし、それこそ個人的でない裁きとして存在する裁判などをみると、法をどう解釈するかで、裁きは変わります。つまり、この社会では善悪は相対化されていると言えるでしょう。だからこそ、グレーゾーンも生まれます。

絶対的な善悪があると考えてしまうと、排除されるべきものがあると言う発想も生まれます。つまり、ゆるすことが存在しなくなります。だから、悪を受容しようという考えも生んでしまいます。

絶対的な善悪があると「信仰」すれば、この世に戦争がとどまる時間は長くなります。一方で、善悪が相対的なものだとその存在の仕方を認めれば、悪はゆるされることがあろうとも、受容されることがなくなります。そして、感謝が流通しやすくなり、感謝の価値も正当なものになっていくでしょう。

あの人はあの人として美しいだけ。

少し前に、本当に今のあなたで十分だと、お伝えしました。 それを知ることが、本当にみなさんの基盤になります。

それは、例えば「あの人はあの人として美しいだけ」だと理解することです。あなたはあなたとしての美しさでは、絶対に負けることなどあり得ないのです。

あなたとしての美しさには、責任を持つのです。あなたとしての美しさから、目を背けたりしないのです。

仮に、そんなこと思えないけれど、開き直りたいなら「そんなこと思えない自分がいると認められない自分」を、許しましょう。その許しが全細胞に広がって、緊張がゆっくり確実に解けていきます。

周りを見て「自分も同じだ」と決めつけずに、自分の姿をありありとちゃんと見て、自分の姿を手に入れていくのです。

立ちはだかる壁にも花

「壁が立ちはだかる」と言う表現がありますが、リアルな壁(生け垣のような)を見ればきれいな野の花がたくさんそこから咲きだし、美しい光景も横たわっていて、見とれるほどです。

「地を這うような」と言う表現もありますが、まさに地を這ったことがある人からすれば、地面からは太陽のいい匂いがしたり、たくさんの虫の営みが見られるとても豊かな場所です。

身体感覚を置き去りにし、頭だけをしゅるしゅる回転させていると、こうした「壁が立ちはだかるような」「地をはうような」瞬間に、心が折れたり簡単に狂ったりします。ストレス耐性が低くなるのです。

自然の中で実際に体を使って遊び、遊びの中で困難の乗り越え方を経験してきた人は、ビジネスのようなお日様の匂いや花の香りがしないものの中でもまれても、リアルに壁が立ちはだかった時や、リアルに恥を這ったときの美しさ豊かさに、後押しされて助けられて生きていけるものです。

コロナがらみでストレスを感じ、キャンプに行きたくなったり、在宅ならば田舎に帰って仕事がしたいと思った人は、自然に対して貢献することを何か見つけてみませんか?

助け合いの動き。

たくさん助け合いの動きが出てきていることを、ご存知でしょうか?例えば「コロナがらみなら、うちのサーバー無料で貸します」「かつて苦しいときに助けてくれ、今職を失った人たちのために、今こそ無料でランチを届けます」といった感じです。ミュージシャンがこんな風に音を奏でてくれることも、わたしたちを助けてくれますね。

もちろん、これは民が動いてくれているから、官はそこに乗っかり風見鶏のままでも悪くないという話ではありません。

ただ「どうしてくれるんだ」と言う態度を長く続けるのは、自分の中の無力感を高めてしまいます。相手に責任を果たすことを求めていたはずが、単に依存的な態度に移行しやすいのです。でものちんあつによくつかわれるほうほうです。かってにじめつしてくれるかけいさつざたになってくれてかんはなにもしなくていいからです。

自発的に自分で立ち上がって模索をする動きがベースにある方が、相手に要求する時にも、軽やかなまま爽やかなまま自分が楽なままいられます。アサーティブである事はとても大事ですよね!

疲れを感じている方を見ると、依存的な状態に移行してしまい、無力感から立ち上がれなくなっているようにも見えます。助けてと言うべき適切なタイミングを逃してしまうと、本当にみんなが助けられない状況まで創造できてしまいます。そう書いただけで、悲しくなります。

まずは自分を助けて、余力があるのなら、本当にごくわずかに無理のない範囲で、周りを助けていくと、何よりも自分自身に力が戻ってきます。そういう意味で、助け合いの動きの一部になっていきませんか?

どんな一年だったと思い出したい?

はじめのきっかけや、それを助長させた要因が何であれ、今「これからどうなるんだろう?」と思っていると、あっさり足元を掬われてしまうでしょう。

この問いは「この状況を受け入れられない」から、生まれたのではありませんか?「こんなの嫌だ」「少ししたら元通りになるだろう」といった、現状を受け入れない態度です。

でも、海でたくさん遊んだことがある人は知っていると思います。大波が来て苦しい時に、1番すべきはきちんと飲まれもまれることです。「こんなの嫌だ」「受け入れられない」「少ししたら元通りになるだろう」と力を入れて踏ん張れば、大怪我につながります。

あなたの人生という船が転覆しないためには、ちゃんと力を抜いて、飲まれてもまれてぐちゃぐちゃになることです。力が抜けた状態は「わたしは今からどうしたい?」と言う問いをもたらします。

さぁ!あなたはこの1年を振り返るとき、つまり未来においてどんな1年だったと思い出したいでしょうか?

もやもや大国ではバラを植える

いくつもの国を繋げたオンラインでのセッション公開が増えています。素敵な音楽にたくさん触れられると、心が澄みますね!ドイツ文化相の「アーティストは、生命維持に必要不可欠な存在」という発言が、思い出されます。

さて、かつてベルサイユ宮殿の庭は、実質トイレだったと言われています。匂いを隠そうとして「バラを植えた」説もあります。同じことが、この数年で一気に広がった柔軟剤にも言えます。

本来ならば匂いはメッセージで、隠そうとする動きは、本人を不健康に進ませるだけです。しかし、不健康にルンルンで進む人たちが「バラを植える」ようになって、周りで静かに暮らしていた人たちは、その平穏な暮らしを一瞬にして奪われます。それどころか、柔軟剤は本物のバラと違って毒ですから、周りの健康も一斉に害し、周りは健康を保つために、たくさんのお金や時間を奪われることになります。

もやもや大国でもやもや語を学んだ皆さんは、だからこそ、この文章を読めているでしょう。もやもや大国ではとにかくトップからしてキョロキョロすることが求められます。隠したものが多いから、見つからないようにキョロキョロして、匂わないよう気づかれないうちに「バラを植える」作業に必死です。だから、気疲れしちゃってエネルギー不足で、演説などは原稿を読み上げなくてはいけません。

もやもや語はさらに体を成さなくなり型崩れし、何を見てももやもやしているから、子供たちももやもやするまま、もやもや語を会得しては、もやもやしたことを言うようになって、もはや言葉の存在意義が危ういほどです。

このブログもかなりもやもやしてきたので、そろそろ終わりにします。が、みなさんはビフォー新型コロナとアフター新型コロナの間の今、どれだけ「バラを植えて」しまっているのでしょうか?

ちなみに、かつてのパリは道が汚物で溢れていたことが、よく知られています。フランスだけではありませんが、先進国という「進んだ」イメージをレッテルとして貼られている国で、公衆衛生事情が今でもかなりひどいことは、滞在歴のある方なら、ご存知でしょう。便器が割れてて半分ないとか、中腰じゃないと用を足せないようなお手洗いとか、下水の匂いがしたから上がってくるポタポタしか出ないシャワーが、世界では「進んだ」場所にもかなりあるのです。グローバルな共通語としての「進んだ」も、かなりもやもや属なことは、みなさんお気づきでしたか?そりゃあこういう声も上がりますな!

貧乏な人とは、いくらあっても満足しない人のこと。

国単位でみても、グローバル化がいかに分断を進めたかを、新型コロナウィルスは見せてくれました。個人単位でも、深い分断は買い占め行為などにあらわれています。それは、心の貧しさであり、心に深く刻まれた傷でもあります。

以下は、2012年7月22日の記事ですが、デマだと言われても、買い占めて転売する動きが今後も品を変えて続きそうですから、改めて読んでいただきたく、こちらに掲載します。

リオ会議で、世界で最も「貧乏」な大統領と言われる、ウルグアイ大統領である、ムヒカ大統領がおこなった演説が、「リーダー」に関心をよせるみなさんの心に、響いているようです。

複数の人から、シェアして頂いた日本語訳を、ブログをご覧のみなさんとも、分かち合います。

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ:(訳:打村明)

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。     (引用元はこちら

日本の首相が、このような演説をする日が、すぐそこでありますように。

渡りに船で、一石二鳥。

水質低下に伴い、これはどうしたものかと思いました。名水100選のひとつだった地にかつて住み、同じことを経験しています。都市部にありながら水を汲める豊かさに感動し、それも大きな一因となってそこに引越したのに、「飲み水には使わないでください」と貼り紙があったときの悲しさや悔しさは、簡単に思い起こせます。

近くの川の護岸工事が、今までになく大規模におこなわれているので、それも水質低下の一因かもしれません。

とにかく、かつて浄水器はあまり意味なしと知って、さらにミネラルウォーターを買い続けるしんどさも味わったので、今回は別の道を模索しました。それは「おろして蒸す」です。水を使わない蒸し料理や野菜の水分だけでつくる料理を増やし、なおかつ大根やキュウリや人参などたくさんすりおろそう!と思い立ちました。

余計な水分を加えない料理は、むしろ★★★に近づくほど、増えるかもしれません。だとしたら、家の料理自体がグレードアップするわけですから、渡りに船じゃないですか!ちょうどホーロー鍋ばかり持っているので、こうした料理に最適です。ホーロー鍋をさらに使いたくなるよう、ちょうど見つけたこちらで磨いたら表面の薄曇りがとれて、うれしくなりました。さらに、おろす頻度を上げる必要があります。というわけで、ついでに大根おろしも新調しました。片手でできるくらいのものなら、間違いなくすりおろしたくなるだろうという一品(少し先ですが…敬老の日の贈り物にいいかも)です。これにより、大根おろしへのハードルが下がり、脂の多い魚を敬遠せず頂けるでしょうから、一石二鳥です。

水質低下というネガティブなことからの、すてきな落とし物のお話でした。

中期的に、80~90%最適化する

100円ショップの競合に、無印良品なども入ってくると思うのですが、わたしは100円ショップで必要なものと出会えたことは、あまりないのです。出会い率が一番高い、つまり自分にとって相性が一番いいのは、そうした界隈では3COINSです。

しかし、そんなわたしでも100円ショップで「これは!」とリピートしているのは、ソフト竿グリップです。(こちらと同じだと思います)ピタットはまるので、台風ではない強風時に全くずれずにいてくれるんです。(台風が来た時には竿を家に入れます)

最近「100円ショップだけど、必要なものがあった!」と思ったのは、冷蔵庫のドアポケット用仕切りです。ついでに、毛玉ブラシで取れなかった毛玉を取ろうと、毛玉取り機も買いましたが、毛玉とりブラシの優秀さを再認識する運びとなりました。

どこかの時点で最適化したつもりでも、ライフスタイルを変えたつもりがなくても、気候変動や周りの迷惑行為など外的要因で、変更せざるを得ない部分も出たりして、やっぱりいつの間にか少しずつ変わっていたりします。そういう時に「今日は文具の不快をなくそう」「今日はキッチンの不快をなくそう」のように決めて、それらを解消してくれそうなお店で地道に一つ一つ商品を眺めてみると、必要なものが見つかって「自分はこんな風に変化していたのか」と、気づかされることがあります。

短期間で最適化しすぎるより、中期的に8~9割くらいは最適化する感じで、こうした事を続けていくと、一番効率的だろうという感じがしています。最適化する率を7割くらいまで落としてしまうと、今度は自分の変化に気づきづらくなってしまうので、8割以上を狙ってみて下さい。

ウニとクローバー

何となく、冬はウニを食べる方が多いのかなぁと思うので、ウニとクローバーの話を書きます。ウニを買ったとき、ウニの軍艦巻きを注文するときなどに、思い出していただけたら、幸いです。

環境問題の一つとして、以前から「磯焼け」という現象があります。海藻が減少し、海底の岩がはげたようになり、パッと見はそこにウニや小さな巻貝がたくさんいるように見える状態です。「ウニがたくさん→うれしい!」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、実際にとってみると、スカスカの実入りの悪いウニばかりで、とてもお寿司屋さんに並ぶ代物にはなりません。

磯焼けとウニの関係で言えば、磯焼け時の過密状態の10%程度までウニが減っている状態が、健全さの目安となるようです。

複雑なシステムが引き起こす磯焼け自体がなかなか解決されないため、最近はその実入りの悪いウニをどう生かすかにも、注目が集まっているようです。ウニにクローバーを食べさせると、非常にいい味のウニに育つことが分かったそうで、駆除したウニにクローバーを食べさせ、つまり養殖して味を良くして出荷という流れも、生まれ始めているそうです。

「あら、ウニが安くなってる」なんて喜んで終わりではなく「このウニもクローバーを食べているかも」と、一歩だけでも考えを進めて頂けたら、そこからみなさんの好奇心がどんどん「ということは」と、考えを進めてくれたなら、わたしもうれしいです。

意義深い人生

最近読んだ小説の中で面白かったのは『蜜蜂と遠雷』です。音楽が好きだったり何か演奏されたり、美しい表現に触れたいなら、読んでみてくださいね!

さて、意味のある時間をあなたの人生に増やしていくには、早く方向を修正できる仕組みを取り入れていくことです。

例えば、うまく説明できないけれど聞きたいことがあるとき、手元にある情報だけで詳しい人に聞いてしまうのです。そうすると、相手も「可能性としてはだけれど」と言うレベルでも、とりあえず答えてくれるでしょう。というか、できる人はこたえます。そして大抵この段階で事が解決し、うまい説明自体が不要だったことがクリアになります。すなわちうまい説明ができないで、詳細がない状態で、取り急ぎ相手に簡潔に聞くようにするのです。同様に、取り急ぎ相手に返事する自分を作っていきます。

あるいは、自分に対する自分への応答も、早くします。例えば、3日後に仕上げなくてはいけない原稿があるとします。そこで「100枚かくから1日34枚」と計算するより「とりあえず15分後までに、章立てだけ終わらせてしまう」ことで、仕事の下ごしらえに着手します。やることのサイズが大きい時ほど、スムーズな歩みを確約してくれる滑りの良さをつくるこうした習慣は、心理的負担を減らす以上の効果があります。

方向性早く修正できれば、いのちの浪費が減ります。そのための2つの提案を書きました。こちらもぜひ実際に日常に組み込んでみてください。

トップの首

今日、日食みたいですね。

さて、トップの首を切れば、責任をとったことになるのは、子供がみたっておかしな話です。

トップを変えても、問題を生んだ仕組みは変わっていないわけだから、どんどん首を切る羽目になります。そしてだんだんと、首を切られないために、無難な判断をする人がトップに来るようになって、問題の先送りをする仕組みができあがります。また、実質的なリーダー不在になります。リーダーシップがなくても、トップになれる仕組みができあがってしまうのです。

責任の所在をはっきりさせたいのは、問題を生んだ仕組みにみんなが気づくためであって、個人になすりつけるためではありません。

トップの首ばかり切っていると、責任をしつけて自分には関係ないと思う人ばかり量産する仕組みをうみます。本当に解決すべき問題からは逃れて、解決しやすい手ごろな問題に大騒ぎするのは、思考停止状態だからですが、そうする人を評価しているようだと、浪費しやすい集団や組織を作っているわけです。

一見すると、個人の話について書いているようですが、個人の中の話や恋愛などにも当てはめて応用してみてくださいね。

4年ぶりと6年ぶり。

4年ぶりだと思いますが、ブラウザを変更しました。この4年ほどはFirefoxユーザーでした。Internet Explorerよりは使いやすかったのです。しかし、他のアプリを消したり、ディスククリーンアップ等をしても、やはり重さが気になり、しばらくPale Moonにしていましたが、今度は文字化けに悩まされました。

その後、シェアが1%にも満たないマイナーなブラウザなども試してからOperaを使い、Pale Moonほどの軽さはないものの、文字化けもなくFirefoxよりは動作が軽かったので、Operaに落ち着きました。

Firefoxは重さを感じながらも4年使いましたが「もう変えよう」と思った最後のきっかけは、最初からあまり好きではなかったロゴの色合いでした。Operaの赤いロゴは、まあるいし好きな色合いの赤なので、しばらくお世話になるでしょう。

また、メールマガジンの配信システムも、6年ぶりに変えています。今年から、運営会社が変わり、配信設定と違う日時に配信されるなど、今までになかったトラブルが何度もあり、対応も悪く、変えることにしました。

配信システムが変わり、今までメールマガジンが届いていた方で、届かなくなった方がいらっしゃるようです。現在、@ezweb.ne.jp と@icloud.com と@gmail.com @〜.ocn.ne.jp の一部の方から「届かなくなった」とご連絡を受けています。手っ取り早いのは、他のメールアドレスで再登録や二重登録という、みなさんにお手数をおかけしてしまう方法ですが、お伝え頂ければ、こちらでも配信会社に伝えるなど改善に向けて動きます。ただし、すぐの改善が見込めないため、上記のように提案しました。

お気持ち向かれた方は、こちらまで、必要事項を添えてご連絡頂けましたら、幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

尚、本名でない/フルネームでない名前でのメールマガジンへのご登録・各種サービスへの申込み、上記メールアドレスへのご相談の送信(もちろんご契約中のコーチングのクライアントさん除く)は、お受けしません。ご承知おきください。(もちろん、多くの方にとっては「そんな人いるの?」と驚くことですよね?)

自分に甘すぎた?

夏は塩麹は作らず、冬は醤油麹と塩麹の両方をつくります。ストレスフリーは「自分に甘い」とは違いますからね!

「自分に甘すぎたな」と思ったとき、みなさんは何をするでしょうか?何となく「甘い」の逆にあたりそうな「厳しい」を持ち出して「これからは自分に厳しくしよう!」と漠然と思っては、次にすることが決まった気になっていませんか?そして、自分への厳しさの中身は、自分を責めることや罰を与えることになっていませんか?

自分に甘すぎたなと思ったら、まずはその状態を客観的に認識する必要があります。どこがどんな風に甘いのか、サイズの合わなかった家具と家具の入るはずだったスペースを比べるように、違いを発見していきます。そして、自分が主観において見落としがちな傾向(例:その家具がおさまるかどうかは確認しているが、その家具をつかうシーンをイメージできていなかったから、扉が開かないのだ)を知っていきましょう。

また、自分への声掛けの内容も大切です。家具の例でいうなら「ほら、また使うシーンをイメージできていなかったじゃない!」と、自分が縮こまるような言葉をかけるのではなくて「どうしたら使うシーンをイメージしやすいか、一緒に考えようね」と、自分が緩むような言葉をかけていきましょう。

さらに、自分が選択という概念をどう定義しているか、自分の辞書の定義を洗いなおしてみましょう。例えば「選択=正しい/間違っているがあって、間違っていると罰を与えられる恐怖をうむ」だと、意志ある選択をできずに流されながら不安がふくらむ暮らしになります。「選択=何を選んでも、自分の人生を豊かにするとっかかりを得られるもの」だと、選択した後もワクワクしませんか?

いうまでもなく、人生は選択の連続です。選択自体がストレスフルなものになれば、さらに「自分に甘い」結果を生んでしまいます。自分が緩んで伸び伸びしていけるようにしていく道こそ、実は「自分に厳しい」のです。

語尾お化けから、卒業しよう!

察することが当たり前の人は「~なんだけど」のように、語尾をお化けにして、相手に察してもらおうとします。

もちろん、互いに察するタイプ(便宜的にタイプと書いただけです)なら、これでコミュニケーションも成立するでしょう。でも、話が通じない実績を持つ相手にこれを続けても、察してもらおうとして察してもらえなかった歴がまた一つ増えるだけで、話が通じるようにはなりません。

日本では察しあうことが美徳のようにされる傾向があると思いますが、すべてには良し悪しがあります。察するタイプの「悪し」は、依存的欲求です。「察してくれるよね?」と寄りかかって、相手との境界がおぼろげになっているとも表せるのです。

さて、依存的欲求とアサーションは、非常に相性がいいことが分かっています。「どうも依存的になっちゃうな」という瞬間を、自らの中に捉えられている人は、アサーティブであろうという意識をもって、練習してみて下さい。

相手に「~なんだけど」と伝えるのではなく、足のあるお化けではない状態にします。即ち「~が嫌なんだけど」は卒業し「~が嫌です。具体的にはこれこれこうです。〇じゃなくて▽してください」と、リクエストまで言い切るのです。

そもそも話が通じていない相手に「嫌なんだけど」だけ伝えても「じゃあどうしろっていうの?」で終わるでしょう。そうではなく「こうしてほしい」まで伝えきるのが、アサーティブな態度です。「しっかりクロージングしましょう」という表現でも伝わるでしょうか?

アサーティブになっていくと「依存的な欲求を持つ自分が嫌だな」ではなく、そんな自分も統合して、より居心地のいい自分になっていけるでしょう。そして、もう一点だけ付け加えるなら「話が通じない」ストレスを、過小評価しているから、語尾がお化けになります。実際には「話が通じない」ストレスというのは、相当なものであることがわかってきています。認識を改めてくださいね!

力を奪う刺激(一)

毎日に喜びを増やしていくには、あなたから力を奪っているものを排除する必要があります。その一つに、多くの方が既に嗅覚をかなり失っているから気づいていない、化学物質の存在があります。

クラスで順番に回ってくる子どもの給食着や家に来た業者さんなど、外から来た「いい仕事をしてくれた」「いい人達」が持ち込んだ香りの成分である毒物は、家の壁や天井などに沁みついていて、主に夏になると揮発します。高温多湿下で揮発するときにも、匂いというよりその成分がみなさんをだるくさせたり、喉が少し痛くなって「あれ?風邪ひいたかな?」と思わせたり、なんだかよく眠れないという状態を起こすだけで、匂いとして感知されないものもあります。

その場合、試しに壁と天井を水拭きしてみて下さい。柔軟剤の成分などは、それで再度香るので、香りとして認識されやすいから、この段階でギョッとできる方もいらっしゃいます。既に感覚をかなり失っていて、認識できない方も、高温多湿になったときに、息が苦しくなったり、気管が狭くなるような感じがあったり、ごくわずかに動悸がしたり、頭痛がしたり、セメダインのふたを開けたときのような刺激を薄めた刺激を少しでも感じていたなら、高温多湿自体も苦手かもしれないけれど、実際にあなたから力を奪っているのは、化学物質の方だと認識を改める必要があります。

除去方法は、既に今年のメールマガジン内で何度かご紹介しています。過去のメールマガジンを辿ってみて下さいね!

 

「地を這うようにやってきた」

「地を這うようにやってきた」と聞くと、人生の傍観者として生きてきた人ほど、ひきます。「そんなのやだー。えー!」と、いつものように後ろにぴょんと退いて、上から目線で見始めます。

でも、実際にやってきた人は「それはいいね!」と言います。なぜなら、それは惨めなことではなく、そこでこそ、他の追随を許さないユニークネスを育てられるからです。楽をしてできることなら、誰でも真似します。地道なことこそ大変なことこそ、みんな真似しません。そこにチャンスがあります。

「地を這うようにやってきた」と本人が表さなくとも、結局何かで抜きんでるなど成し遂げた人はみんな「地を這うようにやってきた」と、第三者の目からは表せるのです。地を這うようだったからこそ、大地との関係が改善されていて、地に足をつける/足が足りないといったことの意味が、身体感覚としてわかっています。

そうなったときに、失敗の力や絶望の力が望まなくても、目の前に立ち上がってきてしまうのです。「地を這うよう」な楽しさや「地を這うような」喜びを人生から締め出さないと、失敗や絶望があなたを力強く支えてくれるようになるのです。

「ひよひよしながら、何とか適応」こそ、いい。

生物の進化をみると、その環境にばちっと思い切り適応したものは、消えていきます。今の環境において、王道にいるようにみえる強者は、工夫を迫られません。環境が大きく変わったとき、工夫の貯金がないから対応できず、一気に絶滅するんです。

ひよひよしながら、へたりはせずに自分を壊しはせずに、つまり何とかぎりぎり適応はしている弱弱しくみえるものは、環境が大きく変わっても生き延びます。こちらが、真の強者なんです。日々、工夫を迫られますから、工夫貯金がたくさんあります。環境が大きく変わったとき、この工夫貯金が一気に身を助けてくれるんです。

これは、企業の生き残りでも言えます。特に小規模事業のみなさんは、ひよひよしながら何とか適応していってください。そうすると「あれ?300年後も残っていたよ」と、星になったみなさんはお空から、自分が強者だったことを確認できるわけです。

かわいいより、うつくしいを。

幼児が一生懸命描いてくれた、あなたの似顔絵ですが、どこに目があるかすらわからなくて、それを渡してくれる満面の笑みに、あなたはちょっと困ってしまっていたのです。

でも、その満面の笑みに嘘偽りがなくて、あなたはハッとするんです。「これがこれで」と一生懸命おしゃべりしてくれるのですが、はっきりいってそれも何を言っているのか、よくわかりません。でも、その一生懸命だから、抑揚がついちゃう感じに「大人の自分はふだんこんなに一生懸命しゃべってたかな?」と、やっぱりハッとするんです。

そうしてみていると、なぜか涙が流れてきます。線がところどころ太かったり細かったりして、○すらうまく書けていなくて、クレヨンと一生懸命仲良くなろうとした様子が、痛いほど伝わってきます。「なんて誠実なんだろう、うつくしい」と、あなたは思ってしまうんです。

そう、「小さくてかわいい」と、密やかにマウンィングするのではなく、小さなこの子の大きさにうつくしくて、ちょっとひれ伏したいくらいの気持ちになってしまったんです。こうして、あなた自身の自立が、歩みを進めていきます。

上半期を振り返る

下半期に入ったということで、今年のみなさんの猪突猛進ぶりをここで振り返ってみるのも、いいかもしれません。今年の干支は、イノシシでした。思い出しましたか?

さて、上半期に多くの方のニーズを満たした記事は、こちらのようです。

1.知らなかった自分に出会いたい。
2.やっていないのに、やったと言われる?
3.自慢は悲鳴
4.羨む
5.自分の嫌なところばかり見えてしまう時に、ほんとうは起きていること。

行動の継続や作業を片づけていくことや売り上げなどの数値的な変化と、人生が前進することは違います。この半年、あなたの人生は前進したでしょうか?

フェイクの課題

自分を突き放したまま、自分の思いを叶えようとすれば、つまり、自分を大切にできていないと、課題を見誤ります。

例えば、多くの方が「安心したい」という思いを持っています。人間としての根源的な思いの一つでしょう。しかし、その思いを「自分は幼稚だからそう思うのだ」と頭でジャッジし、自分を放り投げ(=依存先を求め)自分をガンガン追い詰めるようなセミナーに申し込んでしまったりするのです。これは自分を壊す方向ですが、高揚感からそこには気付けません。(マインドコントロールされやすい状態と言えますので、ご注意くださいね!)

他にも、例えば多くの方が「ゆっくりしたい」と願っています。小さいときに「早くしなさい!」と言われ続けて育てば、当然その思いは相反する願いとなります。つまり、ゆっくりしたいから、早くやっちゃおうのようになります。そこから、頭のジャッジにより、効率upや集中力upへ邁進して、その類の本など読み始めてしまい、ゆっくり過ごすことから、遠のいてしまいます。効率upや集中力upは、真の課題ではないから、少しすると行き詰まります。

いずれも、自分を大切にすることが課題です。安心を生みたいなら、心配ごとはためずに、ご近所さんや友人ではなく、きちんとエキスパートに相談することです。ゆっくりしたいなら、選べる仕事はどんどん選び、自宅で仕事できる仕組みを会社に提案するなど、自分が属する現実を変えていくことです。

あなたが大切にされるようになると、人間社会全体が、もっと柔らかくやさしいものになっていくでしょう。単発コーチング「あなたを大切にする」は、今夜21:30〆切です。

受け止めるという、グレー化。

相手の立場を理解しようとか、被害者側が何かきっかけを与えたんじゃないかと罪を探る動きをする人数が、一気に増えました。

それを「受け止めている」「受けいれている」のように位置づけ、自分は寛容だとかおおらかだと解釈するなら、裸の王様になっていませんか?自己陶酔しながら、同じように自己陶酔する同じ穴のムジナに囲まれていませんか?

そんな風に善悪の判断ができないのは、白黒ハッキリ区別できない分別のなさをきれいに見せようとするのは、単にあなたの中にも同じようなブラックなところがあるからです。

その自分のブラックなところが「まあまあ、いいじゃないの。これはこれこれこうなんだし」のように言わせているだけです。違いをわからなくさせ、見え方を粗くさせるあなたのブラックな箇所を、寛容さや大らかさと都合よく解釈していくことは、あなたの魅力を開花させる展開は、生んでくれません。

成功って何だろう?

面接でフォロワー数を聞かれるという、トンデモない時流のようですが、そうなるとますます「自分にとっての意味/存在意義」をクリアにしていくことが、助けになるでしょう。

そうでないと、自分のコンプレックスや向き合いたくない部分に、足を引っ張られやすいとも言えます。わたしは、これだけ地球がきたなく人間社会もひどいため、最大の成功は健康だと思っていますが、人によっては、それは嘘のない通じ合える家族だったり、一番の親友と思える夫婦関係だったり、色々だと思います。何が何でも守り抜きたいものをみると、見つかりやすいでしょうか?

そこを見極めないと、学歴などもすごく高いのに、取得が難しい資格も幾つも持っているのに、いつまでも「自分がなくて、実は腹黒い」という状態が保たれやすくなります。そうなると、言い方は悪いですが、世の中のお商売のいいカモになりやすくなります。腹黒さは「あなたが誰か」をにじませる弱さで、あなたを生き延びさせる強さにはなりえません。

改めて、あなたにとって成功とは何でしょうか?ヒントを求めて人に聞いたりしないで、答えが出るまで、自分の中で考え続けてみませんか?

オンオフがあいまいなら

自分で事業をされていたり、そもそも母親や父親だと「自分ひとりに戻った」と思えて、そこから過ごす楽しい時間を持つのに工夫が必要だと感じている方もいらっしゃるようです。

役割から解放されて「自分ひとりに戻った」と感じる時間は、大事です。そういう時「あ、でも母親としてこれをしないと」「仕事の準備でこれしておこう。楽しいっちゃ楽しいし」のように、役割が侵食してくるのは許さないで「自分ひとりに戻った」感覚で、自分が「わー楽しい!」と思える時間を過ごしていきましょう。

そうはいっても、雪崩のようにやりたいことがあふれてきたり、あるいはもう何をしたいかもよくわからなくなる方も、いらっしゃるでしょうか?そんな時は、普段から楽しみリストを作っておきませんか?

3時間くらいで楽しめるリスト/半日あれば楽しめるリスト/まる一日あれば楽しめるリストのように、時間でざっくりと分けておいたりして「この音楽を聴く」「朝寝坊する」「餃子を皮から作る」「日帰り温泉」「手紙を書く」のように、それぞれに当てはまるものをどんどん入れていきます。やっておいた方がいいものではなくて、あくまでも心から楽しめるやりたいことを入れていきます。

「あ、今日は延長保育だ!」と3時間リストを眺めて、一つ選んで、そのやりたかったことにぐっと集中したり、「すごいいいお天気だったけど、洗濯もしないでとにかくよく寝た!空がきれいだった」とやりたいと思っていた一つに集中すれば、思いのほかスッキリするでしょう。やりたいと決めるのは一つだけです。

仕事をいくつも掛け持ちしているなど、オンとオフがきっぱり分かれない方ほど、「やりたかったたった一つに集中」するオフを持つことで、日々の風通しをよくしませんか?

この世は平等なのか?

「平等な社会にしましょう」「人はみな平等なんです」こんなこと、スローガンや宗教の教義だけでなく、学校や偉人の言葉などでも聞いたことがあるでしょう。

でも、大人になるほど、全然平等なんかじゃない世を目の当たりにします。そもそも、兄弟姉妹間でも平等はなかったはずです。親の愛情は平等に降り注がれるはずだと思っていた兄や姉のあなたは、当時悩んだはずです。

さて、そもそも平等は必要でしょうか?平等って、どんな状態か微に入り細にわたり描いたことはありますか?多くの方が、平等と色眼鏡をかけて人を見ないことや、平等と同じであることをごっちゃにしています。

でもそれをごちゃごちゃ考えて賢ぶる前に「世の中は平等じゃない」(≠世の中は平等であるべきじゃない)と受け入れると、ふぅっと楽になりませんか?楽になったなら、話は簡単で、ただ現実を受け入れられずにもがいていたと言うことです。現実は、世の中は平等じゃないと言うことです。

「世の中は平等であるべきだ」「親の愛情は平等に降り注がれるべきだ」と、実は怒りつづけていたから、つまり現実を受け入れていなかったからこそ「世の中って平等じゃないんだ」と受け入れて楽になったんですよ。

世の中は平等じゃなくて、ただありとあらゆることが違っていて、正当には比較することができない位、あらゆることがただ違っているだけです。

時間を増やす

「これやりたいなぁ。でも、これを始めたら、終わらなくなるかも」「探せば方法は見つかるかも。でも、うまくできなかったらどうしよう?」

こうしたことを、人生最大のチャレンジという局面ではなく、日常のごく些細な面で繰り返していませんか?

例えば「今日カーテンを洗ってしまいたいけれど、今すでに午後3時だから…」と逡巡し、明日以降の天気を確認して「明後日朝から洗おう」と決めて、実際の明後日は予報が外れて大雨なのです。それで、次にカーテンを洗うときに、前回のいわば失敗体験が重荷に感じられて「そもそもカーテン洗わなくていいんじゃない?匂いしないし」と、自分の中で逆ギレするのです。

「自分にとって快適ではないもの」がくっきりとわからない人は、こうした時間の使い方を1日中あちこちでしています。簡単に言うと、こうした時間の浪費がとても多いのですが、そんな自分を思慮深いとさえ思っていることがあります。

上にあげたような状態が、不快だとわからないから、熟慮しているつもりで単に時間を無駄にし、気を配ったつもりで単に自分のストレスを増やしてしまいます。この状態にある方は、何が不快かをくっきり知れるようになると、ブレイクスルーします。

「これやりたい」と思ったら、できるところまでやってしまえると、時間が増えます。一年分のこうした浪費は、1日以上になるでしょう。あの日やりたかった/あの時行きたかった場所に行ける1日が、生まれるでしょう。

好きなら、人目は気にしない。

好きなことがわからなくなった人は、必ず孤独を感じます。そして、人の目がとても気になります。「どう思われるか」が、行動を決める軸になってしまいます。人前で、自分を大きく見せようとし、人との関わりはマウンティングから入ります。

思い当たる方は、今までを振り返ってみて、周りの人が一切気にならなくなった瞬間を思い出してみてください。その瞬間にしていたことが、あなたの好きなことです。

例えば、今好きな仕事をしているつもりでも、人目が気になるなら、それはダミーです。本当にあなたが好きな仕事ではありません。今好きな仕事をしているつもりでも、周りから足を引っ張られるなら、それはダミーです。本当にあなたが好きな仕事ではありません。

あなたが今ダミーでなく、本当に好きな仕事をできているなら、人目は気にならないし、周りから足を引っ張られるのではなく尊敬されます。本当に好きな仕事をしているなら、誰かの成功が自分のことのように毎回嬉しいし、今までにない挑戦は特別じゃない普通のことだしどんどん高みに上っていく感覚を生きれるから、自分でそうだとはっきりわかります。

譲って、翼になる。

誰かに何かを譲るということは、自分の気持ちを押し殺して、自分を犠牲にしてということではありません。

あなたがその誰かの翼になるということです。わたしたちは、相手を思いやるとき、その人の翼になっているのです。

そこには、翼にしか味わえない世界があり、喜びや気持ちよさがあるのです。それ自体が報酬になります。窮屈さや苦しみはないのです。

徹底して自分を中心に置く人は、自己陶酔のために、思いやりに見える形をとります。それでは、誰かの翼になる経験は、永遠に訪れないでしょう。

検索エンジン脳

LINEに代表されるやり取りの仕方が普及してから、崩れたお豆腐みたいな文章をしるす人が明らかに増えました。思考しないで済む仕組みに飛びついた人達が、さらに思考しなくなったと表す方が、正確でしょう。

思考しないようになると、視野は狭まります。その結果、応用力が人生から消えてしまった人がたくさんいらっしゃいます。自分に関係ないキーワードには、反応できないのです。

例えば「母親」「経営」「アルゼンチン」など、気になるキーワードが、みなさんそれぞれにあると思います。ところが、これらのキーワードを使わずに、こうしたキーワードにひっかかる人向けの記事やサービスや会話は、ごまんと存在します。

しかし、思考できなくなると、検索エンジン脳になるので、そうしたものは完全にスルーしてしまうのです。読んでも話しても、応用力がなくなってしまっているから、自分事として咀嚼できず、検索エンジンと同等になってしまっているのです。

世界を、水玉模様に開けた穴から眺めながら検索エンジン脳になっているのに、視野が広く考えることが得意だという、歪んだ自己認識を持つ人が、この5年ほどで爆発的に増えました。マインドコントロールされやすい状態であることは、言うまでもありません。

自分でできることがまだある?

「自分でできることがまだあるかも」そう繰り返し思うのは、自立している証ではありません。粘り強さでもなければ、諦めから自分を解く発想でもありません。

「かわいそうで惨めなわたし」物語を生きる大人は、既に自分ではできない、他人にすがるような状況でずいぶん時が経っていても、その「できなかった」実績は見ず、「自分でできることがまだあるかも」と執拗に思い込んでは、万能感を目指します。

すがることと協力を得ることの違いも解っていないので、子供が親に代わりにやってもらおうとするように、誰かに身代わりになってもらおうとします。専門家や権威のある人を親とみなしては、自分を消して彼らにすがり、自分は「かわいそうで惨めなわたし」として、無責任な影のままの存在でいようとします。

「自分でできることがまだあるかも」と執拗に脳内で反省しては、周りからの言葉を受け止めようとし、理解しようとはしません。ちなみに、「受け止める」は万能感に属する態度です。

最近は、狭い世界にグッと入り込む大人が増えました。気の悪さから来ていますが、それを「深める力がある」と捉える、経験豊富な大人たちの狂いぶりには、夜中に頭が冴えわたるほど驚きます。

みんなで狭い世界に閉じこもり、同じことをしてつながった気がするのは、この世界に自然には存在しない万能感にしかつながらない、不自然な世界です。その状態にある人は「受け止めてもらった」「受け止めよう」とすぐ口にします。

そんな風にして、本質が見失われた立ち位置とそこにつながる人の間では、あらゆる心身の病が展開して行きます。オンライン・ワークショップ「病の本質」は今夜9時が締め切りです。