子供が苦しむ時

木村石鹸の商品はいいなぁと思うことが多めですが「風呂床の洗浄剤」は、ヒットでした。

さて、子供は、両親を尊敬できないと、とても苦しみます。それは、30代以降徐々にあらわれ、その後決定的になっていきます。

尊敬とは、相手を「こんなところがすごい」と評価したりジャッジすることではありません。両親に殺される子もいます。両親が歴史に残る犯罪者の子もいます。両親が誰か知らない子もいます。それでも、そこに子供から親への尊敬があると、つまり子供が親に近づいて、自然と頭が下がってしまう時、子供は苦しみから自由になっていきます。

尊敬とは、殺人鬼のような受け入れがたいことを、受容することではありません。それは受け入れなくていいのです。でも、ゆるすのです。そうしていくとき、子供は親に近づくことに成功する道へと、近づきます。

バランス感覚を養いたければ。

バランス感覚を養いたければ、空間を感じることです。これは、運動絡みのバランス感覚だけでなく、人生におけるバランス感覚も含む話です。

まずは、空間の右に何があって左に何があってという詳細を知らなくても、さっと避けられるスポーツ選手のような状態を目指していきましょう。例えば、みなさん手を上で組んで「うーん」と伸ばしながら、つい声が出ちゃたりして「今日もよく頑張ったなぁ~」となる瞬間があると思います。あの動きをしながら、右に捻ったり左後ろにそってみたりと、色々試してみるのです。

その次に、空間の質を感じるという話がでてきます。いえ、現実的には同時進行ですが、しかし、空間の質を感じるには、思い込みを生まない身体づくりが先ですので、ここでは差し控えます。

まずは、空間を感じることの大切さの片鱗だけでも受け取って頂けると、幸いです。

みんなに勧められること。

台風10号が、本当にこわいです(涙)。

気候の乱れが非常に激しく、季節感が年々薄くなってきました。7月の長雨は、植物や動物を秋に向かわせてしまったので、紅葉が始まり日陰ではたんぽぽが元気に咲きました。8月には35度以上でもトンボや蝶が飛び回り、8月下旬以降にしか出会うことのなかったバッタが、8月上旬から飛びまわっていました。

生態系がより狂ってきたので、毎年ベランダにやってくる蛙の餌取りは激しくなり、日が暮れ部屋から漏れる光に寄ってくる虫を捉えようと、カエルがしばしば窓ガラスを揺らして、その勢いやジャンプ力には驚きました。

こうした状況下では、多くの人の心身が狂うため、基準そのものの狂いも生まれやすくなります。感染者数が一定程度まで減らないにもかかわらず、周りの顔色を伺いながら「動く理由」を求めては移動し、感染させるリスクを考えず感染するリスクだけを考えているのはその一例です。

そして「動く理由」を求めてしまうのは、すでに鬱状態にあるからです。バランスを取るために躁状態に入りたくなるのです。すでに危険な状態にいるのです。

こうした環境下で、健康へ向かいたいすべての方に勧められるのは「同時に新しいことを2つ以上しない」ということです。家で過ごしていたとしても、睡眠のリズムが乱れているとしたら、もうすでに新しいことを1つしたのと同じになります。

生きていることに心から感謝が溢れるなら、自然と自分を守ろうとする動きがうまれます。

最も深い個人の秘密

夢を書き留めたり人に話したり覚えておこうとする人がいますが、結論から言うと、これはやめましょう。夢と日記は、最も深い個人の秘密です。そして、夢に至っては忘れるのがベストです。

夢分析のようなものもありますが、実際、夢日記を書き続けると、夢という無意識の采配を阻害してしまうので、うつ病等に導かれてしまいます。

また、無意識の采配がらみで付け加えるなら、特に精神病性障害については、その病が最も深かった時とその病が始まる直前のことについては、医師も本人も家族も沈黙を守り、無意識の働きを邪魔しないようにしましょう。しばらく入院していたようなケースなら、退院後の部屋が入院時とは違っているように、ベットカバーやカーテンの色を変える方が、予後に良いと分かっています。

精神病性障害にかかわらず、それ以外のありとあらゆるすべての病気において言えるのは、その人が属している家族の文化が、ゆとりのなさをよしとしたり、ギリギリの生き方をすること美学としていたり、特定のある生き方をしなければならないよう固まっている家族の中に戻ると、病は抜けなくなると言うことです。

つまり、緊張の高い家庭においてあるいは緊張の高いコミュニティーにおいて、心からの感謝は流通しないのです。

NGワードの裏には。

皆さんご自身が「病気かも」と思ったり、身近な人が不調だと話してくれた時、こんな風に返したり返された事はありませんか?

「気のせいじゃない?しばらく休めば治るよ!」

「みんな忙しくて寝不足で気持ちも落ちてる。あなただけじゃない」

「運動しないで閉じこもってるからじゃない?」

「就職活動ノイローゼ、という感じかな?でも、昨日もゲームしてたよね?実はたるんでるんじゃないの?」

「そんなに言うなら、医者に行けばいいでしょ!」

「あとちょっとで最終面接も終わるんだから、ここまで踏ん張って、その後ゆっくり治せばいいじゃない?肉でも食べに行く?」

「普段からしっかりしてないからでしょう。明日からきちんと早寝早起きを続けて、規則正しく暮らして」

「心療内科に行きたい?そんなふうに育てた覚えはありません」

「鬱病かもしれない?うちの家系にはそういう人は出たことがない。そんなよりによって、本当に何をいいだすの?」

「あなたが精神科に通っていると分かったら、お兄ちゃんの縁談に響くのよ。世間体が台無しなの。もう少ししてからにしてちょうだい」

こんな風に声をかける気持ちの裏には、想定される最悪の事態を受け止められないご本人の姿が、影絵のように見えてくる気がします。

でも、そんな風に自分を防御することに会話を進められたら、不調や「病気かも」と思った方は、全然寄り添ってもらえなくて、より迷子になってしまうでしょう。

自律の肝はゆるしですが、多くの方が自分にダメ出しをすることが自律だと思い込んでいます。その延長線上で相手も捉え、不調を抱えたり「病気かも」という他者を、叱責したり非難を加えます。また、ある意味で既に不調抱えたり「病気かも」と感じている人にとって、病気はすでに隣に常にいる人のようなものなのに、その病気を無視したり軽視したりします。そうするために、その人への励ましが、口をついて出たりするのです。

これらは、病気や健康の本質から離れたものであるだけでなく、不調を抱えていたり「病気かも」と感じている人の尊厳を踏みにじるに十分な作用を持っていると、皆さんは認識できるでしょうか?

仕事の忙しさや直近であったいじめといった1つの出来事で、人が不調を感じたり「病気かも」と感じる状態に入ることはまずありません。ここで言っている病気や不調は、精神的なものだけでなく、歯痛や喉の痛みといった身体的にみえる多くのそれを含んでいます。すべての不調や病気にとって、強がりやごまかしは有害です。

病気や不調を抱える人への接し方に悩むなら、ご自身をきちんと内省してください。そして、治療は赤の他人でなければ引き受けられないような厳粛さを持つことを、理解しましょう。

無理が通れば、病がでる。

精神的な病の発病は、中身が何であれ、無理している状態から始まるでしょう。急に勉強始めたり、あることにすごく凝り出したり、情熱的な片思いをするといったことが、無理している状態の一例です。皆さんの想像と違うものも、例に含まれていたのではないでしょうか?

余裕がない状態に本人は入っていても、周りからその人がもともと控えめ/非社交的/ひとりでいるのが好きに見えていると、周りはむしろ本人の無理を「よくなった」と評価して、見逃します。

本人の中で緊張が高まっているので、自分の価値を上下させない散歩のようなものはできなくなっていて、本人が注目していることから目をそらせなくなります。つまり、自分の価値を上げるものあるいは下げるものにしか、手を伸ばせなくなります。

ここで緊張の糸が切れる、あるいは緊張が下がることが起きれば、精神的な病からは再び遠ざかることができます。しかし、そうならず、関係妄想も大いに含めた上で、全てに意味を見出し始めると、もうおむすびころりんすってんてんの状態です。

それまで勉強しなかった人が、急に人が変わったように勉強を始めたり、異性に興味がなかった人が恋におちてそればかりになったり、ダラダラしていた人が急に朝から晩まで働くようになるといった無理は、自分に感謝がないところから生まれています。

揺らして調える

今日から配信されるのを、楽しみにしていました!

さて、少なくとも5年以上ぶりに、洗濯洗剤を変えました。少し前にメーカーを変えたことを書きましたが、さらに粉石鹸にしたんです。植物性のものを試したら、確かにパッケージにあるように溶けやすかったのです。

そう書くと、もしかしたら「せっかく進んでいたのに、後退した」と受け取る方もいらっしゃるかもしれません。あるいは「周りをもっとよく見ていたら、早くここにたどり着けたんじゃないの?」とツッコミを入れたくなる方もいらっしゃるかもしれません。

ところが、この後退して見えたり回り道にみえるプロセスこそ、価値があるのです。こうした非生産的なことが重要で、何の近道であるかはオンラインWS「女性」で、参加者の方にお伝えさせていただきました。

多くの方が、迷いを悪いものと決めつけ、ぶった切ろうとします。その時、目は瞑られてしまうのです。振り払うほどのしがらみに満ちた世界にいるのです。

でも、平和はしがらみに満ちた時に初めて現実になるのかなとも、見えます。つまり、あるレベルにおいて平和と自由は両立しないのです。

そんなときに、こういう非生産的な揺れは、自由を守る役目も果たしてくれていたことが見えてきます。そして同じように、睡眠の揺れもまた、あなたの自由を何らかの形で守る役目を果たしてくれているかもしれません。その先に、本当の自信が生まれる舞台があります。

やらなきゃの実体

お盆に入りましたね。多くの支えがあって今があることを実感できる、すてきなひとときです。

さて、「これをやらなきゃ」「これもあれもしないといけない」、そんな考えがよぎることはありませんか?そういう時って、焦っていたり、やる気スィッチを入れようとしつつも、どこか空回りしている感覚を、自分の内に感じ取れるだろうと思います。

「これをやらなきゃ」「これもあれもしないといけない」、そんなことを他人からつぶやくように言われたり、何かを断る理由にされたことはありませんか?それまでの実りある楽しい時間が台無しにされるような、嫌な気持ちが必ずくっついてくる、そんなことを思い返すことができる方も、いらっしゃるかもしれません。

これが、自分を責めているということなんです。自分で「これをやらなきゃ」「これもあれもしないといけない」と思うとき、実際には自分で自分を責めています。そして、誰かが「これをやらなきゃ」「これもあれもしないといけない」という場面に立ち会うと、つまり自分で自分を責めている人を目撃することになりますから、嫌な気持ちになって当然なのです。「これをやりたいから、そろそろ」と言われた方が、より直接的なのに嫌な気持ちにはならなかったという経験を、今思い出せた方もいらっしゃるかもしれません。

オンラインWS「女性」では、こうした「自分を責める」動きから解放されていく動きが自然と生まれていき、ワークショップ終了後もそれがあなたの中でぐんぐん伸びていくよう、デザインしてあります。ぜひ、こうした動きというお守りを、多くの方にお贈りしたいなと思っています。

宝探し

「無意識にやってしまった」というと、だから無責任でいいというニュアンスが入ったり、ご本人としては呆然とした感じが入ってくるのかもしれません。

でもこれは、無意識そのものを誤解していて、無意識さんがかわいそうに思えてきてしまいます。無意識の働きの代表は、心臓など内臓を動かしてくれることです。考えてもとてもできないような大仕事を、いつもやってくれている偉大な存在こそが、無意識です。

もし、無意識に何かをできたら、そこにはそれをしたという記憶がちゃんとありつつも、淡々とできてしまいます。例えば「午前中に引っ越しの準備を終えてしまう」といった、意識で考えると到底無理だと判断せざるを得ないことも、無意識が働いた状態でやれば、さらっとやってしまえて、そこで「できたー!」と大騒ぎすらしません。

意識という有限の世界に留まってがんばるより、無意識の無限の世界で一喜一憂してエネルギーを無駄遣いすることすらしなくていい自由な感触を、そっとあなたに贈ります。

休養という大仕事。

熱などの症状があるにしろないにしろ、「疲れたな」と思って休むことは、大仕事です。よく休む人がやがて働けるようになるのは自然なことですが、よく働けるけど休めない人は魑魅魍魎に他ならないでしょう。

それが2時間の休養であれ、1年間の療養生活であれ、大仕事をしているわけなのに、少し良くなってくると「休んだ期間を取り戻そう」とアクセルをふかすことは「自分は休んでたんじゃなくて怠けていたんだ」と、自分に言っているようなものではないでしょうか?治療や休養という大仕事をした後に、改めて会社で働くような仕事が待っていて、ずっと仕事続きになる方が、ほんとうではないでしょうか?

人は治りかけのとき/もうすぐこの仕事が終わるという目途がついたときなど、ヤマ気を起こして、逆に悪くしたりしやすいものです。そこでだけアクセルを吹かそうとするのではなく、同じ調子でどちらかといえばブレーキを踏むつもりでいると、すんなり休養という大仕事が終わるでしょう。

「スマホでニュースをチェックするくらいはできる」「本くらいは読める」「ちょっと部下に指示を出すくらいならできる」とヤマ気を起こして、自分に対して「怠けている」というメッセージを送るより「休養という大仕事が完了したら、次に進む」という潔さを携えて生きていきませんか?

不安と緊張=雑念まみれ

「これすごいよかった!」「朝から感動して泣いた」「うわぁー大変だ」「落ち込んだけど、音楽聞いて気分上げた」のように大騒ぎすることを、感受性の鋭さや感性の豊かさだと、捉え違いしていませんか?そんな風に大騒ぎするとき、脳内ではβ波がでています。これは、雑念まみれのときにでます。あるいは、不安や緊張まみれのときに出ます。あるいは、煩悩を持っているときに出ます。

なぜこんなに畳みかけたかというと、未来がよくならない状態を選択していることを伝えたかったからです。

大騒ぎの反対にある「じわっとうれしい」「じんわりしあわせ」といった状態だと、α波が出ています。試合前のアスリートなどは、この状態を保ったまま、この中で緊張するので、前述したβ波の緊張状態とは違う状態にあります。

「大騒ぎはいい」「大騒ぎは(人が動いてくれたりして)便利」と思っていると、未来が良くならない状態を選び続けることを自分で推奨してしまいます。だからまずは「大騒ぎでなく、じんわりしあわせの方がいい」のように、自分を誘ってあげると、不安や緊張といった不快からも疎遠になっていけるでしょう。

トレーニングは癒し

もうすぐ単発コーチング〆切です。

そして、「こうなりたい」という欲求・望みがあるなら、現実を見る必要が出てきます。「お金ないけど、ま、いっか欲しいし」と思っている人が、お金がなくて困るのは「お金がない」という現実を見ていないからですよね?そして、現実をみなくなってしまったのは、現実をみては自分を責めたり、誰かに責められた感覚がよみがえるからですよね?それはきっと、みなさんの中で、罪悪感や反省という名前がついているだろうと思います。つまり、内省はできていないのです。

内省できないと、応用がききません。簡単にいうと、学習がなされず、方程式の蓄積(反応の蓄積)に留まることになります。学習できれば、線の集積がいつか球にもなりますが、反応の蓄積では、点がコレクションされていくに留まります。

だから、現実を見ることができると、それだけで状態を変えることができていきます。スポーツ選手が動きを見ただけで、それを形にできてしまうこととも、リンクしていきます。現実逃避してしまう方は、現実を苦手としているのではなく、罪悪感や反省といったそもそも不要なプロセスを苦手としているだけです。そして、それらは本当に不要です。魚の小骨を吐き出すように、その余分を吐き出して、内省していけると、自分の身体に対しても「トレーニングという癒し」を提供できるようになります。

ないのに輝く。

雨続きですね。時々どこかで地震が起きますね。新型コロナ感染者数も減っては来ませんね。そんな中「あぁ、お金がないなぁ」って、泣きたくなったんです。通帳の数字も、もうまともに見られないんです。

一生懸命やってきたつもりなのに、そしてきっとそう見られているのに、惨めで。でも、外では胸を張っていい運を呼び込もうとするから、誰も私の胸のずきっとする痛みや顔を伏せようとするわずかな筋肉の動きに、気づいてくれたりもしません。気づいて、それこそポンとお金をくれたら嬉しい位だけれど、もし真っ向から「お金ないの?」などと言われたら、いたたまれなくなって、さらに嘘をつく苦しみが生まれる。気づいてもらえなくて、ほっとする気持ちも潜んでいるんです。

なんでこんなに働いているのに、必要なものしか買っていないのに、こんなにお金がずっといつもないのか、わたしが聞きたい位です。今日もお財布の中を開けた時に「なんで?」と叫びたい位でした。みんな大変なことはもう本当に嫌なのに!

小さな頃にお小遣い帳をうまくつけられなくて、そのまま大人になった気がします。国家資格をとって、博士号だってとったのに、一番変えたいところだけそのままなんて、なんて皮肉なんでしょうか?いつも胸の中にある惨めさを、返品したい位だと、あなたは思っているんです。でもその宛先がわからない。口の中に苦味を感じたり足に痺れを感じたりしながら「もう私の中には何もない」って、何度思ったでしょうか?

そして、その何もない中を惨めなまま見つめていた瞬間に、何かが砂金のようにキラキラと輝いた気がするんです。空っぽの段ボールみたいな底を見ているだけなのに、最近は、見る度に何かがあなたの中でもキラッとするようになりました。

要らないものを思いっきり吐き出したいくらいの安っぽい底が、なぜだかキラッとするようになってから、段ボールでできてたようなそれが、リンゴの木箱みたいながっしり感になってきました。ある時はパンケーキみたいに膨らんで、いい匂いがしそうな感じもします。あなたはだんだん底を見るのが嫌じゃなくなってきたかもしれません。

いつの間にか、私の底は猫の足裏みたいなふかふかした感じが当たり前になって、キラキラも回数が増えてきたんです。相変わらず何もないんだけれど、少し楽しみになってきたかもしれません。底を見ることが。低反発クッションみたいにふかふかで気持ちがいいなと、あなたはちょっぴり思い始めたかもしれません。

今日は歩いていたら、虹を3回みました。きれいだなぁと見惚れましたが、でも、わたしの底の方がきれいだなぁと、ふと思ってしまったんです。相変わらず何もないまま、なんだかどんどん悪くない感じが増してゆく、あなたの底。その奥行きが、キラキラを反射させて、虹にも生み出せないような、代えがたい輝きを確かに放っているんです。そう、虹と違っていつもそこにある。

外にある何物にも代えることのできない輝きが、惨めだった私の底にいつの間にか溢れます。いつしかその美しさに目が開いていく時、あなたはそれがあなただったことに気づいてしまうんです。

吸う息と吐く息が織り成す心地よさに包まれて、私はいつの間にか、ある感覚の中にいることが当たり前になっていたと気づきます。まとわりつく湿気が私を揺らし、あなたはゆっくりとまどろみから覚めていきます。世の中の不穏が溶け出し、カルピスのようになって、確かに前に進む勇気をくれるのです。爽やかな空気のもと、どんよりした天気の中、今日も闊歩しましょう。

聖なるひととき

みなさんに家庭があってお子さんもいるなら、朝早く起きて、お弁当や朝ごはんを作ったりしているかもしれません。

そうしながら飲んでいるコーヒーは、コーヒーの生産者たちが、朝霧にまみれてコーヒーをつむ前のそれと、同じ感覚をもたらすものかもしれません。孤独に見えて、世界の裏側とシンクロする聖なる時間に、わたしは守られているんです。だから、朝のこの時間を、あなたは誰にも渡したくないんです。

夜が明けてリビングが光で満たされる頃、「起きて〜!」と大声で叫びながら、シンクの掃除をしていると、いつものように排水溝に水が吸い込まれて、ゴォッという音が聞こえてきます。

生ゴミも一緒に粉砕してくれるズボボーッという音と共に、得体の知れない嫌な気分がきれいに消えていきます。その音も目覚ましになって、みんなが起きてきます。

私はこの後のお皿洗いが少し楽しみになって、排水溝を見つめながら、深い安らかな表情になっているんです。青ざめやつれるようだったあの音が、いつの間にか、私の勇気に変わっていくんです。

自分の姿を手に入れる!

残念なことに、自分の姿を手に入れることなく、亡くなっていく方が大勢います。イソップ物語に出てくる、肉を加えた犬の話のように、自分の姿を水面にみても、それを自分と認識できないからこそ、「あの肉が欲しい」と唸って、既に持っていたものを失ってしまい、その果てに自分の姿そのものが大きく変わり果ててしまう方も、たくさんいらっしゃいます。

何かで失敗したときに「自分は何かが足りないんだ」と発想して、余分な何かを付け足して、自分の姿の原形がわからないようになってしまう方もいらっしゃいます。挫折したときに「自分がいなければいいんだ」と思って、自分自身を根こそぎ奪おうとする方もいらっしゃいます。

「今の自分で本当に十分なんだ、特別じゃないから失敗したわけじゃなくて、特別だからこそ余計なことはしないで、何かに当てはめたりせずありのままの姿で、堂々と前に進んでいくんだ」と思える時、わたしたちは、水面に映る姿が自分だと認識できます。それが、あなたが自分の姿を手に入れる瞬間です。

自分を楽にしよう。

普段努力しているなら、自分を楽にする声掛けをしてあげることで、能力だけでなく魅力や強みを表に表しきることができます。例えば「今日も頑張らないと(ダメだ)」と声をかけるなら、単に自分を抑え込むことになります。抑え込みながら、外に向かって自分の能力・魅力・強みを発揮できるでしょうか?真逆の力が同時に働いているのですから、ものすごく疲れるのに、能力・魅力・強みはあまり発揮できなくて当然です。

身体から勝手に力が抜けてしまって、身体に力が入らないという意味ではなく、身体にエネルギーが漲って、心には情熱がある状態で、力をすっと抜いてあげるのです。気張るのではなく、気楽にやるのです。この引き算は、以下に書くようなことがあると、うまくできないかもしれません。

まずは「うまくやろう」とすることです。「もうこの仕事は、○年目だからうまくやろう」「部長に期待されているから、うまくやろう」「産休前だから、うまくやろう」「苦手な作業が多いから、この仕事うまくできるかしら?うまくやらないと…」「初めてプロジェクト・リーダーを任されたから、うまくやろう」「初めてでよくわからないけれど、うまくできてるかな?うまくやらないと…」様々なパターンがあるとは思いますが、こんな感じです。

上記の内、「苦手な作業が多いから、この仕事うまくできるかしら?うまくやらないと…」「初めてでよくわからないけれど、うまくできてるかな?うまくやらないと…」は、いわゆる自信がない状態です。その内「苦手な作業が多いから、この仕事うまくできるかしら?うまくやらないと…」については、陰で努力していないのは論外だとして、実際にはその努力でだいぶましになっているのに、自己評価が過去のそれに留まっているだけというケースがあります。実際よりも、自分を低く評価してしまっているのです。その場合は、自己認識のアップデートの仕組みに、テコ入れをすればいいだけです。

上記の内「産休前だから、うまくやろう」「初めてプロジェクト・リーダーを任されたから、うまくやろう」などは、心配にも近いでしょう。こうして心配を積み重ねると、自分から力を奪ってしまうのです。例えば「ベストを尽くそう」とそんな自分に言ってあげたら、見えるものも変わりませんか?

上記の内「もうこの仕事は、○年目だからうまくやろう」「部長に期待されているから、うまくやろう」は、視座が他者に移ってしまっています。冒頭の「今日も頑張らないと(ダメだ)」と同様、飲み込まれた語尾として「そうじゃないとダメだ」が隠れている、自己否定の状態です。○年目なら、部長に期待されるほどなら、むしろ「自分はどうしたいか」に視座があり続けないと、おかしいでしょう。

もうプレゼン本番なら、任されたプロジェクトが走り出したのなら、今日も就業時間になったのなら「今日も楽しもう!」と、心身から余計なこわばりは解きませんか?「緊張するからできない」という言い訳は、単に「表現するほどの自分がない」という勘違いに過ぎないかもしれませんね。

カサンドラ症候群

今日は、夏至で部分日食ですね!

さて、1997年、ASDの中でもアスペルガー症候群にあたる方の配偶者や家族など親しい人の中にみられる、アスペルガー症候群にあたる方に話が通じず孤立し自責的になる状態が、カサンドラ症候群症候群として注目されるようになりました。

そして2000年には、上記の「話が通じず孤立し自責的になる状態」が、進行中の心的外傷体験に関連していると、みなされるようになりました。

毎日少しずつ確実に進行していく、心的外傷体験の積み重ねは、あまりに壮絶な体験です。が、その一つ一つが津波のような強烈さを持たないため、専門家相手でないとなかなか理解してもらえない現状が広がっています。しかし、自分の評価・時間が根底から揺らぐ危機的な状態が、カサンドラ症候群です。

アスベルガーを含むASDは、その脳の特性や、ゆえに経験されてゆく二次障害を理由とし、一般に穏やかな人に見えてしまうことがあります。そうすると、例えば父親が大きな声を出す人だった女性にとって、穏やかに見える男性と言うだけで、理想的な男性に見えてしまうことがあります。その女性が、自分のそうした相手にすがりつかせる思いの根を見ようとしない限り、相手を理想と位置づけ続けるために、自責の傾向は強まってしまうのです。(一例に過ぎません。ASDの女性もいますし、暴力的な父親のもとで育った全ての人が、こうした傾向を持つわけでもありません)

こうしたことの根は、やはり自分の寂しさや恐れをきちんと見れるところから始まるのではないでしょうか? つまり、内省できないで反省ばかりしていると、それが自らを死に追いやる展開もあり得るということです。

うつ病で入院まで行かなくても、カサンドラ症候群の方はかなりいらっしゃいます。(もちろん、男性にもいます) どうぞ、ご自身がカサンドラ症候群でないかと言う視点でいちどご自身を省みてはいかがでしょうか?

トラウマ後の機能向上

こちらに書いてありますが、トラウマという概念は、19世紀以降、鉄道の発達と共に確立しました。そして、1990年代からは、トラウマからの回復後、むしろその人の以前のレベルを上回り、機能していくケースが、約半数にのぼることも、わかってきました。

トラウマというと、多くの方が「まぁ、そんなかわいそうな人がいるのね」と、自分に関係ないそぶりをしますが、これはほぼ全員が持つものです。交通を代表とし、産業の発達がもたらした便利さと呼ばれるものは、こうした副産物をたくさんわたしたちに届けたのです。

しかし、トラウマからの回復後に、上述したように「むしろ以前のレベルを上回って、その人が機能していく」ケースがあるとすると、皆さんはどう思われるでしょうか?人間として深みを増すといった、ふわっとした状態を超え、機能レベル自体があがるという指摘を、どう受け止めますか?

そして、そうしたケースもそうでないケースも含めて、トラウマとは皆さんのリソースであることを、改めて強調しておきたいと思います。

柔軟さを育てる

大人の発達障害が増えています。特に、ASD(自閉症スペクトラム障害)は、その詳細を問わずコンサルタントに多く見られます。ASDの脳は「見通しが持てれば、不安が消える」「人の言葉を真に受け、暗黙の了解や相手の意図に沿った文脈や言外に示されていることは、受け取れない」「愛情がある人を信頼するのではなく、自分の予想通りに動いてくれる人を信頼する」といった、特徴を持ちます。

子供の場合なら、自律スキルやソーシャルスキルをトレーニングしながら、定期的に精神科医や臨床心理士と会っていくことで「臨機応変な人間関係は苦手だけれど、協調しようという気持ちはある」といった状態まで生んでいける、つまり診断名が消えていくような状態にまで持っていけることが、わかっています。

しかし「いい親として認められたい」自己愛の強い親だと、「あなたのお子さんは発達障害かもしれない」と言われて、責められたように感じるという、おかしな反応をしたりします。そして、子供が柔軟に社会生活を送っていける機会を、奪ってしまうのです。

また、ASDでなくとも、自律スキルやソーシャルスキルに欠けた大人は大勢います。自律スキルは、できないことを無理しないという危機管理能力を含みますし、またできることを意欲的にこなしていくというサボらない姿勢も含んでいます。ソーシャルスキルは、最低限のルールを守る他に、できないと思ったら他者に同調してなんとなく乗り切るのではなく、誰かに相談できる力を含んでいます。つまり、自律スキルとソーシャルスキルは「どんなに失敗しても折れずに、試行錯誤を続けられる」という心の柔軟性を生んでいくものなのです。

そこに注目すると「わたしは発達障害じゃないから」「うちの子は発達障害なんかじゃない」というジャッジやこだわりからは得られない、豊かな世界があなたが発達障害であれそうでないのであれ、あなたを潤してくれるでしょう。

喉から、気位を吐き出す。

医療従事者の方で、アイソレーションガウンなど必要な方は、こちらぜひご確認くださいね。

さて、これから起きるだろう複合災害では、無傷の救援者があなたを安全な場所に移してくれて、あなたを守ってくれるということは、ありません。穏やかな日常で、あなただけが怪我した時とは、勝手がまるで変わります。

みんなが被災者になるからです。道具や手段もないまま、何とか自分も回復しながら、傷ついているからいつもほどは力を発揮できない者が集まった状態になるのです。

そんな時にも、そしてより冒険できる自由や踏ん張れる自信のある日常を送りたい時にも、トラウマというリソースの解放は、みなさんの存在を確かにします。

未来を守るために、何もないと思っていたのに先手を打ってトラウマ治療を始めてみた人達は、この半年で今までなら不可能だったことが当たり前になる喜びを生きています。

喉にプライドが詰まっているみなさん、それを吐き出して、FAPで柔らかい力強さとしなる自由を、手に入れませんか?

もう耐えなくていい

誹謗中傷は、表に出る人につきものと、まるでセット商品の一部のようにされてきました。表に出る側が、そのように考えてなんとかおさめられないものをおさめ、生きていこうとするのは、まだわかります。内では葛藤を抱え続けながら、表ではやりくりをしていく一時的な術だからです。表に出るものがそう表す時は、即ちそうした葛藤が今でも続いていることを、表しているのです。

しかし、最近では表に出る人も表に出る度合いが違う人に対して「誹謗中傷を超えたらすてきな世界が待っている」と胡坐をかくようになったようですね。これは、本当に痛ましいことです。なぜなら「誹謗中傷を超えられなかった」と相手を「弱く/下に」見ていることが含まれています。すなわち、どういった誹謗中傷だったかやその量・表に出る度合いの違いについて、認識がないからこそ、このような発言が口からなのか手からなのか、出てしまうのです。自分と他人の違いを認められない痛ましいほどの未熟さが、そこには存在しています。

自粛が明けて「ようやく普通に戻れる」「元の生活が戻ってくる」という何気ない一言も同じです。新コロ下で、倒産した会社もたっくさんあります。大事な人を失った方もたっくさんいらっしゃいます。そういう人たちや状況が意識に内包されていないからこそ、自分とその周辺だけを見据え「ようやく普通に戻れる」「元の生活が戻ってくる」と言えてしまうのです。そして、尻ぬぐいに慌てふためいて「亡くなった方にはお悔やみ申し上げます」などとつけて、駆け込み乗車で間に合ったかのように涼しい顔をするのです。

新コロに限らず、元に戻るということはありえません。そうだとしたら、髪も伸びないなど、新陳代謝自体が起きません。それは死ぬということです。つらいことを乗り越えればいいことが待っていて、そこまでするのがメンタルの強い人だという幻想も、いい加減に破棄しましょう。それは、もう下ろせなくなった銀行預金の通帳みたいなものです。現実を見て行ける強さは、いつもあなたの中に内在していて、それが難しく感じるのはちょっとした工夫が足りないだけです。創造性の発揮へと、意識を向けてみましょう。

かんざし一本

現在はロングヘアにしていることもあり、そもそも季節ごとにしか行かない美容院に、新コロの影響でもう半年以上行っていません。その結果、前髪がなくなって、デコ出しです。

しかし、いつもならもうとっくに梳いているはずの髪がいてくれるために、今まで髪の量が足りなくて止まらなかったかんざしが、一発で止まるようになりました。見た目はともかく、ピンなどを使わずにかんざし一本で髪の毛が止まると、すごく便利です。ちなみに、かんざしは20代から、ベトナムでつくられた水牛のものを使っています。しなり具合が扱いやすく、また適度に感じる装飾が施されている上に、リーズナブルなことが多いです。

こんな風にして、わたしたちは常に変わり続けては、新しい機会を頂きます。その新しさにすぃっと乗っかってみると、新しい世界に連れて行ってもらえて、新たな心地よさを知り、次に選ぶものがまた変わっていく…、これが自然な流れです。

経験のない暑さ対策

年々、地球が病む度合いは深刻化し、それは毒を持つ生物の増加や頻発する災害といった、わかりやすすぎる形を伴って、私たちの身に骨にめり込みそうなほどしっかりと、感じられてきます。今年もとんでもない暑さになるという警告が、すでに気象庁からも発信されています。

10年前には、グリーンカーテン+朝夕の水打ち+年10回未満のクーラー使用で、どんな年も十分暮らせていました。しかし、5年前まで近づくと、グリーンカーテン+朝夕の水打ち+年1ヶ月はクーラー使用となりました。さらに、昨年はグリーンカーテン+朝夕の水打ち+年3か月はクーラー使用(除湿含む)+クールアッププラス使用でした。

去年は、近隣からの迷惑行為により洗濯物を外に干せなかったので、太陽光がまともに窓に当たっていましたが、今年は洗濯物を干せるので体感で2℃は下がるでしょう。しかし、さらに今年は、農業用遮光ネットも外側に設置することにしました。黒い色だと遮光率が90%を超えるのですが、暑くて真っ暗だとホラーなので、白を選んでいます。洗濯物の干しやすさも考えて、部分的に配置することにしました。また、強風の日に外しやすいようなタイプで、1~数年で廃棄したとしても気楽な値段のものを選びました。風をある程度通してくれるタイプであることも、考慮しました。

単純計算で行くと、クールアップ・プラス(遮光率:53%)と農業用遮光ネット(遮光率:55%)の両方を設置した部分については、何もしないところに比べて1/3くらいの光のみが届くようになるはずなので、その分涼しくなるはずです。だから、この後様子を見ながら設置したいと思っています。持ち家の方は、温度を下げてくれるペンキを塗るなど、他にもできる対策があると思います。

夜になれば気温がぐっと下がり、涼しい風にホッとできた地域でも、最低気温自体が年々上がってきていますから、今の内にしっかり対策しておきましょう。今だからできることがあります。

身体を休めるというアポ

一日のスケジュールを書き出したとして、最近では「将来についての不安」と書く時間帯が、生まれてしまっていませんか?

そうなると、身体はきちんと休まっていないでしょう。不安になりながら、リラックスして身体の余分な力が抜けて気持ちいいなんて、聞いたことがありません。

「身体を休めよう」と決めてみてください。一日のスケジュールに「身体を休める」時間を、きちんと書き込んでいくのです。先んじて、自分自身とアポイントメントをとってしまうのです。わたしたちにあるすべては、常に今だけです。そして、身体は常に今にしかいられません。だから、身体に意識が向けば、気持ちも落ち着きやすくなります。

さらに、不安を追いかけるといかに身体に負担がかかるかを、自覚できるようになるでしょう。そうすると、不安との付き合い方は、自然と激変します。

何より、とりあえず今、何事もなくいられているなら、思い切りそれを祝うことからはじめてみるのも、スタートラインとしてはありですね!

 

 

新コロがらみの素敵なこと

新コロ絡みで得たいい変化、クライアントさんに聞いてみました。(掲載許可済/ご協力ありがとうございました!)

・「オンラインなんて…」と思ってたけど、オンラインピラティスが気持ちいい(子供はオンラインバレエ)
・アパルトマンのみんなで、マルシェに出ていた農家さんに連絡して、直販してもらえることに!(支払いも小切手にクレジットカードに現金と融通をきかせてもらえた)
・在宅で仕事するから、子供(小学校高学年以上)にとって、社会科見学的効果
・子供が早起きして、自分のことをさっさとするようになった
・パートナーの仕事ぶりがかっこいいし、何が大変なのかを具体的に知れた
・今まで会社に期待していた幻に、ケリをつけられた
・何となくやっていた資格の勉強に、熱が入るようになった
・「もっと感謝したい」という気持ちが湧く自分に、自分を好きになれた
・ひと駅分あるく気持ちよさを知った
・自炊率が上がり、外食で得られなかった満足感を得られている
・学校が休みだから道が空いていて、通勤時間が今までになく短くて楽
・田舎への移住に、ついにパートナーが同意してくれた
・「人混みは恋しくならないけど、自然は恋しくなるんだね。郊外も悪くないのかも」と、頭でっかちのパートナーが呟いた。
・職場のタバコの混ざった変な匂いからの解放で、鼻の調子が改善した
・信頼があるから、研修の仕事も特別にオンラインに変えてもらえたと知り、それまでの仕事の仕方に◎を送れた
・新人研修が減った分 < 経営者からの相談 となり増収した
・外出許可証をコピーしてくれたりと、近所に親切な人が多いことを実感
・土地柄、そもそもあきらめていたサービス(オンライン診療やミニシアター系オンライン上映)に、手が届くようになり、前より便利
・交通量が減ったせいか、近所で前よりも鳥が鳴くようになり、音環境が改善した

全体として「あるべきスピードに戻っている」「より人間らしくあれる」と感じている方も多いようです。もちろん、学校の教科書がドライブスルー配布/病院での精密検査がキャンセルされた/オンライン授業には親が結局つきっきり(小学校低学年以下)で自分の時間がなくなった/教師をしているとむしろ一日の労働時間が格段に長くなった(宿題たくさん出してたくさん丸つけなど)など、マイナスととれる面もあると思います。「テラスがあってよかった!毎日ピクニック気分!」「庭があってよかった。何とかランニングできました!」といった住環境がらみの良かった/悪かったも、多数えりました。両方をちゃんと見た上で、それでもみなさんが見つけたいい変化には、どんなものがあるでしょう?

どんな変化を「いい」と思うかだけをみても、その人らしさが表れますね!自分らしいところに、ストレス耐性をあげる鍵があります。

深く立ち止まる

ジャッジしている人は、基本的に深く立ち止まることができません。

例えば、何か問いを見ても「いい問いなのか。悪い問いなのか」や「この問いを自分は初めてみるのか(≠初めて考える)」といったジャッジに忙しく、その問いに対する答えは考えません。しかし、そうして問い自体をジャッジすることを「問いについてよく考えた」と認識しています。これは第三者から見ると、もはやコントにしか見えないほどの滑稽さですが、本人には気づく余地がないのです。

この余地のなさが、ストレス耐性の低さとして現れて行きます。

雪だるま式改善

今、気に入っているリップクリームです。

さて、何かを改善(回復もその一部)するとき、①得たいものを、まるでその説明書を誰にでも分かる形で書けるようなレベルで、観察する ②小さな成果(説明書に書かれるだろう一つ一つのステップ)を実際の行動に移せる という2つのステップを経ることができると、雪だるま式に改善がなされます。

その意味では、わたしたちが逆境と感じる体験や大失敗と感じる状況では、上の2つのステップを「おびただしい」レベルで行うことが可能になります。そして、その時に、本当の意味で「ピンチはチャンス」が生まれていきます。逆境や大失敗こそを先生と呼べるような、感謝を覚えるような状態に、自然とはいっていけるのです。

逆に言うと、上の2つのステップを行わないなら、逆境や大失敗により、より閉じこもったりより偏っていき、いつまでも応用力が身に付きません。おそれずこわがらず、とにかく経験していくことです。

さぁ、力を呼び戻そう!

今日は、自分の力を呼び戻していきませんか?以下に、それを助ける5つの質問を用意しました。

Q1. 今年に入って、あなたが失ったもの・あるいは減ってしまったと感じることは、何でしょう?

Q2. それがなくなって、どんなことが始まりつつあるのでしょう?あるいは、それが減った代わりに、どんなことが表れつつあるのでしょう?

Q3. 今、問題だと感じていることは、どんなことでしょう?

Q4. その問題を抱えながらも、何とかやれていた時期は、いつですか?

Q5. その問題を抱えながらも、依然としてあなたたうまくやれている領域は、どんな領域でしょう?

上にこたえるだけでは力が戻ってこない方には、よかったらこんな道もご用意してございます。

「なくそう」は非現実的

創られているエンターテイメントの厚みが、心底すごいと思います。

さて、不安や恐怖を「なくそう」とするのは、非現実的な目標設定です。むしろそうすると、不安や恐怖を深めてしまうかもしれません。ストレスも同じです。むしろ、ストレスを適切にとらえ、人生の質を高めるチャンスとして考えていきませんか?

自分は大切な価値ある存在だという自尊感情が高いほど、ストレス耐性は高いことがわかっています。さらに「自分はこれまでもよくやってきた。今もこの状況下でやっていけてる。これからも大丈夫」という、いわば自分の実績への信頼が高いほど、ストレスを生む状況を改善していけることも、わかっています。

自尊感情が高い人は、自分自身に対して常に好奇心が向き続けます。例えば、病になったりトラブルに巻き込まれるなどしても、悲しんだりしながら、どこか「自分はこういう仕組みになってたのか~」と面白がっていたりします。自尊感情が低いと、自分に常に疑いと鞭を向け続けているようです。「自分はまたこうなるんじゃないか」と大騒ぎしたり、自分を疑い緊張させることで、仕事などを成し遂げようとする傾向があります。

自分の実績への信頼が高い、つまり自己効力感が高い人は、自分を次へと急かさずに「ここまでよくやってきたなぁ。今もなんとかやってこれてるなぁ。一見ネガティブに見える自分のこの癖は、実はより悪くなることから、自分を守ってくれているのかもしれない、、、それはどんなことか考えてみよう…その上でよりよい癖を身につけていきたい」と、よく考えています。自己効力感が低い人は「あーここまで終わったー。のんびりなんかしてちゃだめだ!そういうところが自分の良くないところだ。ハイ、次!」のように、いつも自分のお尻を叩いています。

ジャッジするのではなく、自分に好奇心を向けながら、細やかに「ここまでよくやったなぁ。今もやっていけてる。何だか知らないけれど、これからも大丈夫らしいよ」と、ご自身に声掛けして、ストレス耐性を高めていきませんか?

ストレス耐性を上げるには?

この方は、エンターテイナーなんですね。

さて、ストレスとは、わたしたちが「嫌だ」「大変だ」感じるもの、と言い換えられるでしょう。

そこで「いやだ」「大変だ」と感じる対象から逃げつづけると、私たちの中で強化されるのは「この嫌なことのせいで…」「あの大変なことのせいで…」という発想です。そうなると、自然災害が起きたり、感染症の流行で経営悪化に見舞われるような逃げ場がないときには、ものすごく追い詰められてしまいます。「この嫌なことのせいで…」「あの大変なことのせいで…」、つまり、自分にはそれをどうにかする力もないと、自分に言い聞かせ続けたも同然だからです。

実は、私たちが嫌なのは「この嫌なこと」自体や「あの大変なこと」そのものではなく、「この嫌なこと」や「あの大変なこと」が、あなたの内側に引き起こしていく反応の方です。

つまり、あなたの内側に引き起こしていく反応の方を変えることができれば、「この嫌なこと」や「あの大変なこと」が、ちょっと顔をしかめる程度の存在にかわるのです。つまり、嫌だったり大変なのは自分の反応そのものの方だと受け取れると、ストレス耐性をあげる余地が生まれていきます。