清らかに生きると、減災になる。

EUでは健康な10代や20代が新型コロナウィルスで亡くなっただけでなく、ソーシャルディスタンスを守り、不要不急の外出を本当にしていない人まで、新型コロナウィルスに感染し始めています。日本には未だ、ソーシャルディスタンスという意識すらありませんね。ぞっとします。

その上で、みなさん、マンホールのふたにピンヒールが嵌っちゃったかのように、新型コロナウィルスにばかり気を取られていないでしょうか?この状態で、地震・水害・風害など、毎年起きていることが重なってくると、どうなるでしょうか?

全体をみているでしょうか?例えば、滅菌にばかり気を取られて、自分の身体の細菌バランスを崩していないでしょうか?そんな視点から、2014年9月1日にアップした記事を引用します。よかったら、読んでくださいね。

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こんにちは、吉野実岐子です。

防災の日です。今年は身に染みる方も、多いのではないでしょうか?

水害だけでも、西日本に限っても、福岡・広島・兵庫・京都などで、水が出ました。広島の被害が大きかったことで、他のエリアの報道はあんまりでしたが、JR福知山線は10日ほど全線復旧まで時間を要していましたし、丹波(兵庫)では、農家さんのニュースレターに、このようにご報告がありました。

たんばる関係の農家さんの方は、平飼い卵の橋本農園さんが、一番ひどく、1メートル以上の土砂が堆積しました。他にも、知り合いの農家さんで、床上、床下等、家に被害が出たのは4件。田んぼに土砂等が入ったのは、8件程になります。

田んぼの普及はまだですが、家の方の土砂出し等はようやく終わりを迎えた所です。心配された、2次災害の土砂崩れ等は発生しておりません。今から準備をする冬野菜等には影響がでますがとにかく、皆さん元気です。一人も農業をやめることなく、今後も美味しい作物を作る決心をされています。また、秋の味覚である、丹波栗、黒枝豆等の圃場、生産者さんはすべて大丈夫です。

今後も、丹波からおいしい食べ物をお届け出来るようがんばっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

一方で、熊野のように、毎年のように水が出たり、台風の影響を受けている地域では、台風が来ると聞くと、とにかく1階の畳は上げることを、習慣にされているそうです。熊野でタクシーの運転手さんがおっしゃっていました。

平成23年の台風第12号(ちなみにこの時の台風の名前は「鋭さ」)の時には、上流のダムの水が満タンで「台風来るって言ってるのに、なんで満タンにしているのか」と、話していたところ、紀伊半島大水害のあの状況になった、だから人災の側面もあると、おっしゃっていました。

熊野では、バスの運転手さんも親切で、なぜか普通の路線バスなのに解説付きで、熊野本宮大社から新宮への道を走って下さり、「あの建物の二階まで水につかったんだよ」「この道路も水の下」「特にこの場所は、毎年水が出る」などと、おしえて下さいました。特に水が出やすいと仰った場所では、稲穂がふさふさしていました。

ローカル情報で恐縮ですが、京都も地震などが起きたら水だと、保険会社の方が言っていたと、先日ある方が教えて下さいました。減災のためには、実は、昔のように、川底を掘ったらいいだけだそうです。みんなが欲を捨てれば、ぐっと減災につながることが、ここでも見えてきますね。

みなさん、一緒に、欲をうんと減らしていきましょう!

最後に、土砂崩れの前兆現象を書いておきます。

・地震のような揺れを感じる。
・ガス漏れのような匂いがする。
・なんともいえない嫌な匂いがする。
・生臭いような、なにかが腐ったような匂いがする。
・こげたような匂いがする。
(石や岩がぶつかりあいながら、流れる)
・普段聞いたことのない音がする。
(ゴーッという地鳴り音の前に、きこえる)
・どこかから、ちょろちょろ水が流れ続けている。
・雨量が多いのに、川の水量は減っている。
(木などが流れ、どこかで自然のダムができている)
・水の流れに、木などが混ざっている。

遠くへ逃げられない場合は、高いところ/山や崖側でない/トイレ(面積に対して柱の多い部屋)に、逃げるとよいそうです。

そして、何より、欲が減っていくにつれ、清らかな空間をつくっていけるようになると、揺れても、不思議なほど物が落ちなくなります。清らかに生きるということは、あなたが思っている以上に、根源的な、力のあることです。

普段から、しっかりと備え、清らかに生きていきましょう!

サブスクは嫌い

この数年で定番化したサブスクリプション・サービス、わたしは嫌いなんです。利用者の質も提供サービスの質も無自覚に落としやすい仕組みだからです。これ以上、そうして人間社会の質がおちたら、人類は破滅です。

そんなサブスクリプション・サービスの中でも、セキュリティソフトについて、今年は大幅に見直しました。以前から、更新時のメニュー画面が「顧客にとって選びづらく、混乱してうっかり必要がないのに高いものを選んでしまえる」デザインに移行したことに嫌気がさしていましたが、2回ほどカスタマー・センターとやり取りをした際、会話が不成立なまま、何時間×数日も時間を吸い取られ、尊重のなさに愕然としました。

市場も変化し、他にもいいサービスを提供するところが多くなったので、市場を一番占めているところにお世話になる理由が消えたことも一因です。

今回は、こちらに変えてみています。今年に入って、みなさんも認識されていると思いますが、あらゆることが今までにない規模やスピードで起こるようになっていますから、突然崩壊する社会システムも出てきます。つまり、3年先ですら地球が火星化しているかもしれないわけですから、あえて1年しばりのものにしました。

長いスパンで考えるのは、長期で物を見ているようで、単に「そうすればこの後考えなくていい」という思考停止を含むことが、多々あります。

こうした「(他人にとっては)小さくみえる」不快をどんどん減らしていけないのは、心の傷のせいなんです。実際には「(自分にとって)巨大な」不快を減らして行けないと、今の新型コロナウィルス絡みで、ストレスがたまっているでしょう。

選択の正当化が愛着に。

冬のおうちヨガはモコモコを着て、やっています。

さて「愛着があるから手放せない」という場合、自分の思い入れでそのもの・人・場所の価値を、過剰にあげてしまっていることがあります。そこには「意味がなかったことにしたくない」「失敗なんかしていない」という、選択を正当化する動きも内在しているから「別れたら大した男/女じゃなかった」「辞めたら、世の中はもっといい会社だらけだった」という思いをすることになります。

過ぎた時間に向かって注いだエネルギー量を計算し、沼地にはまったようになると、なかなか前向きになりづらいでしょう。一方、潔く損や失敗を認められる人は、さっさと前に進んて行きます。

「でもこんなところがいいから」「こういう面もあったから」と思い直していると、真っ白なはずの今日がどんどん真っ黒になっていき、入ってくるはずだったチャンスも入ってこなくなります。周りが見えなくなっていき、すぐそこにある選択肢がないも同然になり、一つ失敗したときに「もうだめだ」とお先真っ暗になりやすくなります。

愛着を理由に迷う状態にある人は、過去にばかり目が向き、利益ばかり追い、自らの失敗を認められない状態であることがほとんどです。潔く失敗を認め、損得をこえる洒脱をまとえば、あっさり消える苦しみにまみれているのが、世の中やあなたです。

変わっていないところばかり見てしまう。

奈良は柿酢があるんですが、そこに大和当帰をつけたものを見つけてしまいました。焼き魚やカルパッチョに合うそうで、楽しみです。

さて、改善したところより、変わってないところに目が向き、怒りにとらわれてしまうのは。それだけ傷ついてきた証です。

心にたくさん傷を作りながら、頑張って絶望の中で生き抜いてきた自分は、うんと誇りに思ってください。そして、どんなに仕組みを作ろうと意志の力を使おうと、やっぱり自分にダメ出ししてしまうのは、心の傷が「そろそろ癒して」と言っているサインだと思ってみませんか?

自分でなんとかしようと、それでもさらに踏ん張ってしまうなら、それもまた心の傷であることを、どうぞ受け取ってください。自律とは、そんな風に意固地になっていない状態です。自立とは、もっと軽やかでフレキシブルな状態です。

フレキシブルに生きるコツ

突然のデータ流出ももはや仕方ないと片付けられるなあなあさも、デジタルに深入りしたくない理由の一つです。

さて、損得の見極めが賢さだと思っていると、結果的に自分をがんじがらめにしやすいでしょう。

例えば、数年縛りに同意すれば、安くなるサービスがありますよね?一見、中期的に得する良い選択肢のように見えるかもしれません。でもそれが原因で後々「もっと良いサービスを見つけた。だけど、もう少し我慢していれば、割引になるから」のように、むしろ自分から選択肢を奪う展開になりやすくありませんか?

そして、その数年縛りの感覚に慣れてしまって、その感覚をひきずり、逆に時代のリズムからずれていくのです。例えば一昔前なら、10年後を見据えてキャリア形成することが推奨されていましたが、今は10年後が見えない時代です。10年後を見据えるのが当たり前の時に数年縛りのサービスに申し込むのと、10年後が見えないのが当たり前のときに数年縛りのサービスに申し込むのは、意味が全く違います。

損得を見極めたつもりだったあの時、実際に選んでいたのは「考えなくていい」でした。

これがやがて「やめたいのにやめられない」へつながっていきます。やめたいのにやめられない時を俯瞰すると、目的を達成する他の手段がない時でもありませんか?他に選択肢がないと感じるから「やめたい」「これは間違っている」に手を出さざるをえなくなるというのが、本人の内側の世界で起きていることでしょう。

自分から選択肢を奪うことを、損得に基づいて考えられる賢さと誤解していると、選択肢を増やせない状況に入っていくのです。止めるのが大変な状況を作る習慣が身についているといえます。

なんでも1カ所にまとめれば支払いが割引になったり、長期的に使えば優遇されるようなものを好む方は、このパターンにはまっています。止めるリスクを下げておかないと、フレキシブルに生きられなくて当然ですよね?

みんなある仕事の悩み

デジタルの世界だとバックアップを最低2つはとらないとのように、やたらやることが増えるのも嫌です。紙なら「これだけなくさなければいい」とシンプルだから好きです。

さて、日常生活に問題を感じていなくても、仕事上で「取引先のあの怒鳴る人が苦手で、あの人が会議室にいると緊張する」「なぜかミスを多発して、ミス防止機能をつくっても、あまり改善できない」といった、能力が発揮できなくて悩んでいる方は、実はほとんどです。

そんな時に、知識不足や前の晩の睡眠不足など、何かの不足のせいにして「もっと頑張ろう」と思い直して解決した風を装っては、形を変えて悩みが続くのです。

そういう方が、仕事や職場に一切触れなくとも、トラウマ治療受けると、仕事や職場のあれこれに対する不安や不満や恐怖が消えて、自分の可能性に注目できるようになり、未来の展望が見えてきたり、元気に過ごせるようになったりします。

目標設定をがんばってもできなかった転職も、ひょいっとしてしまったり、苦手だった人になかなか言えなかった「ノー」さらっと言って後でそんな自分に驚いたりします。

トラウマ治療では、「気になること」を持っていっていただいています。気になることは、嫌なことだけじゃなくて「気になる人=好きな人」であるように、好き嫌いを問わず、とにかく自分の注意が自然と向いてしまうことを、持ってきていただいています。

例えば、冬だからだとわかっているけれど「冷えが気になる」や他の天気の時よりもやっぱり「雨が気になる」や「最近妙にトマトがおいしい。なんでか気になる」といった、普通の会話でも流されてしまいそうなことも、非常に重要なトラウマ治療の入り口になります。

今はまだ、期間限定で初回無料で受け付けていますので、よかったらふわっと変わったような変わらないような感じで、数ヶ月経つと大きな変化を生んでいるけれど自覚できないトラウマ治療の醍醐味を味わいに来てみてください!

本を読むのが苦手?

お正月休みに、本を読み進めた方もいらっしゃるでしょうか?

本を読むのが苦手と言う方に提案するよくある2つは、①音声読み上げ機能を使って、音で聞いてしまう ②この本を読む時間は1時間だけのように決めてしまって、目次を読み全体像をつかみかつ、その中の最も読みたいと思うところだけを読んで、その本を読む事はもうやめる です。

「全部読まなくちゃ」「初めから読まなくちゃ」が内側にある方もいらっしゃると思いますが、それは自分を助けるルールなのかどうか最選択しましょう。特に、アウトプットのための読書なら、自分の意見を出すために本を使えばいいわけですから、全部読む必要がそもそも消えます。

はじめに時間を割り当てることで、どんどん割り切っていく事は、皆さんの欲望を減らすことも助けてくれるでしょう。つまり苦しみが減るので、本に対して以外にも応用してみてください。根本的に解決したい場合は、実は心の傷が潜んでいるケースも多いのでトラウマ治療を試してみるのが、お勧めです。

それ、ストレスです。

お酒を全く飲まないので知らなかったんですが、大和橘や大和当帰をつかったジンがあるそうです。お酒を嗜む際は、ストレス解消ではなく、お酒の作り手さんや材料を大切に思って、飲みましょうね!

「このままではダメだと焦るのは、仕事の状況が~だから」と、片づけていませんか?これは、あなたがストレス状態にあることを示しています。食べすぎたり飲みすぎたり、お金を使いすぎるといった「過ぎる」ことも、ストレス状態を示す信号です。

自分が嫌いになるのも、ストレス状態にあるからです。周りの人と折り合いが悪くなって、人付き合いが億劫になっているのも、ストレス状態にあるからだから、そういう人を見かけたら、気分転換を進めてあげましょう。

寂しさを感じることが増えたのも、今がクリスマスシーズンだからではありません。ストレス状態にあると、段々孤立していくので、その一環で寂しさを感じていきます。朝起きても「素晴らしい1日!」とは思えないし、イライラしやすくなるのはレジのお姉さんの対応がひどかったからなだけではないのです。

ストレス状態にあると、攻撃的な言動も増えていきます。「話を聴いてあげよう」と自分が似非カウンセラーになろうとするのではなく、気分転換をすすめたりプロの対人援助職を紹介してあげる方が、お互いのためです。

「なんだか集中できない」という悩みも、ストレス状態を表しています。効率を上げる仕組みを探しても、同じようにまた「やっぱりなんだか集中しづらい」と、繰り返していくでしょう。

こうした状態の自分/他人が、まずはストレス状態にあることを、しっかり認めましょう。そして、自分の領域にきちんととどまり、プロの真似事はしないことですね。

人を傷つけてはいけない?

今年は、身体はサツマイモの歌を歌い出すんじゃないかと思う位、サツマイモをよくいただきました。サツマイモに限らず種子をまもることは、わたしたちを依存的になってしまわぬ方へ、導きます。

「依存的になってしまう」と自覚できている方が、まずご自身にいってあげたいのは「そんなにつらかったのに、今まで気づかずにいて、本当にごめんね」です。依存的欲求が出てくるとき、強烈な辛さ苦しみが、必ずその人の内側にあります。その苦しみや辛さを過小評価していると「そんなことない、だって、ここで頑張ったんだから、ちょっとご褒美なだけ」のような握りつぶす動きを繰り返して、事を大きくしてしまいます。

依存絡みで法に触れる方が増えていますが、いつもそうしたニュースを見る度に、壮絶な苦しみが伝わってくるなぁと、私は思っています。

あなたが「依存的になってしまう」と自覚できていて、なおかつ複数の第三者が「生活が破たんするような未来は一切みえない」と判断する程度なら、見自分の中に今から引用する5つの考え方があるか/ないかを、考えてみて下さい。

A.危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなる
B.過ちや失敗をしたら、責められるのは当然だ
C.物事が思い通りにならないとき、苛立つのは当然だ
D.誰からも好かれ、愛されなければならない
E.人を傷つけてはいけない

(『アサーション入門』平木典子著、講談社現代新書、2012年/71ページ)

あるかないか、こたえることができましたか?実は上は、主語を入れていないから、人によって読み方が変わる文章なのです。Aを「危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなるものだ。そんなの当たり前じゃないか」と捉えたなら、一般的にそうだと考えたことになるから、主語はWeだと言えます。でも「あぁ、そういえば、人事部のBさんは、危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなったって、話してたなぁ」と捉えたなら、主語には自分が来ていません。「危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなっちゃうのよ、そうなの。兄や親友は違うんだけど、わたしはそうなの」と思ったなら、主語はIだったと言えます。

改めて、三つの主語をそれぞれに当てはめ、「ある」と言えた時をメモしてみてください。ここまでいいでしょうか?

それで、どの主語であっても「ある」と言えたなら、適切に柔軟に主張していくことに、伸びしろがあるのです。依存的な状態だと、適切に柔軟に主張していくことに、うんと伸びしろがあります。先日も書きましたが、改めて依存的な状態にあるなら、アサーティブであることが、助けになるでしょう。

決断力がないから、浪費する。

近くを流れる川の水が透明度をましていて、日に日に冬の深まりを感じています。さてさて、時間やお金を浪費しているなら、決断力が鍵です。

時間を浪費してない状態とは、朝起きてすぐから「ああこうしよう」と思い悩む瞬間がなくて、無心にやるべきことをやっている状態です。

お金も時間も、浪費している人はとにかく妄想が多いのです。「いつか使うかも」と買って、いつかがいつまでたっても来ないと、それは浪費と呼べますよね?「あれを先にやるとこうなるけど、こっちをやっぱり先にして。いや、あれを忘れてた。じゃあ先に…」とか、ごちゃごちゃ考えるのが時間の浪費です。

一瞬一瞬で、決断に時間がかかっているのが、お金や時間を浪費している人がしていることです。決めた後で「でもやっぱり」と思うのは決断したとは言いませんし、決断は基本的に即座にするものです。

というわけで、旅費を減らしたいなら、決断力をアップさせましょう。

〜しないようには、必要を理解してない。

こちらは、最低気温マイナス2度まで下がっています。皆さんがお住まいの地域はいかがですか?

さて「無駄遣いしないように」「失礼に当たらないように」のように「〜しないように」に意識を置く人は、単に自分が何を必要としているのか認識していないのです。

「何が必要なのか」にフォーカスせず「これは浪費かな?」と思い悩んでも、浪費の定義をこねくり回して、スッキリしきらずにおわるでしょう。同様に「何が必要なのか」にフォーカスせず「これは失礼かな?これくらいならセーフかな?」とさじ加減の調整に励んでも、相手との適切な距離感はつかめず、人づきあいが面倒になっていくでしょう。

「〜しないように」に意識を置いて、正解探しに勤しむ幼児性は卒業し、単に自分が何を必要としているかに意識を置いてみましょう。

ネガティブ・ケイバピリティ

わたしは、陽ヨガ(ハタヨガなどが該当)と陰ヨガの両方をやっています。寒くなった今の時期は、陰の時期なので、ウォーキングや陽ヨガや筋トレといった陽にあたることを、自然とやりたくなります。一方、暑い夏は静かに同じポーズを何分もホールドする陰ヨガが、本当に心地よいのです。

また、人によって好みもあります。極論を言えば、わたしは陰を好むので、夏でも陰ヨガをやり過ぎないように、気を配っています。身体がバラバラになりそうな激しいスポーツが好きな人は陽を好むといえますし、暑い夏が好きな人も陽を好むと言えるでしょう。もちろん傾向の話で、絶対的な陽も陰もありません。

陽ヨガでは「呼吸を止めない」ことを推奨されます。つまり、意識的なコントロールが推奨されます。一方、陰ヨガでは「呼吸を止めたい時には止めましょう」と言われます。ただ、ポーズと呼吸の関係を見て行って、身体が呼吸を止めたくなったら、コントロールせずに止めていいのです。

陽ヨガでは、神経や筋肉が鍛えられ、意識的なコントロールで安全を叶えようとしていきます。陰ヨガでは、骨が鍛えられ(強くなり)、静けさや正確さ(自分の骨格を生かす正確さ)が重要になります。骨だけで生きる人もいなければ、神経と筋肉だけでは立つことすらできません。呼吸も止めずにいられることも、自然と止まる様を見守ることも、どちらも大事です。身体がバラバラになりそうな運動も、静かに正確に行う運動も、わたしたちの幅を広げてくれます。

簡単に言うと、幅があるほど人生における望みに近づきやすく、またバランスをとれるようになります。バランスを取るとは、空間を感じられるということでもあるからです。この幅の部分にあたるのが、レジリエンスという概念ではとらえきれない、ネガディブ・ケイパビリティと呼ばれる力だと、わたしは思っています。

男性の産後うつ

育休をとっていない男性にも、子供を生んでいない男性にも、産後うつという状態が生まれることはご存知でしょうか?

不眠や食欲が落ちるなど、一般的なうつ病の症状以外に、男性に特徴的なのは激しい怒りです。その反動で、笑ってはいけない時に笑いが止まらなくなるようなことも起こったりします。

外で長く働いて帰ってきているだけで、ちっとも子育てに協力していないとしても、産後うつという状態になることはあります。どんなに子供を可愛く思っていたとしても、家に帰ってきて赤ん坊がいるという環境の変化が、産後うつの状態を生むことがあります。

子育てに参加していないから、男性の側も「最近、職場のメンバーが変わったからかな?」「1番好きな仕事から離れているからかな?」のように、原因とは遠いところを見てしまいがちです。

鬱病から十分に回復したら、原因をきちんと探し出せるための問題を締めくくらない力を身に付けていくと、未来が軽快になるでしょう。

自己犠牲の先

役割が自分をしばると、自分を誰より大切にすることに罪悪感をもつようになります。子供時代に、誰かや何かを世話することで、自分の居場所を確保してきたなら、よりそうなります。

ただ、そうやって自己犠牲を重ねた先には、ご自身がバーンアウトしたり、誰のためにもならないことが展開します。

というのは、そうして自己犠牲を重ねる際には、閉じた世界を生きているからです。実際には、断じて、あなただけが何かをしてあげているのでは、ありません。専門家などご自身を「上」と位置付けている人も、「下」と位置付ける人からちゃんと何かをしっかり受け取っています。もし、そう感じられないなら、必ずバーンアウトしたり、誰のためにもならないことが起きます。

人生に燃え尽きたり、仕事に燃え尽きずに今あなたがいるのなら、あなたが「下」とみた人からも何かをしっかり受け取り、「上」と見た人にも何かをしっかり渡して、もらいあいをしています。自分一人ではすぐ枯渇してしまうという感覚は、本当は誰もが本能的に知っているものだろうと思います。

既に始まっている解決

わたしたちは「これがとにかく問題」「もうこのことにずっと悩まされていて、色々やったのに全然解決できない!」と思ったりすると、余計に問題を凝視してしまうことがあります。さて、問題とにらめっこするように問題を監視するとき、見落とされるものは何でしょう?

それは、既に水面下で始まっている解決の動きです。既に始まっている解決の動きは、問題と関係なく見えたり、問題とすごく関連が深く見えたり、一時的に見えたり、些細だと言いたくなる顔をしています。

簡単に言うと「たまたまこの時だけうまくできちゃった」「そういえば水曜日はましにできた」といったことが、既に始まっている解決への動きなのです。

 

ストレスになんか負けない

責任感が強かったり、それが使命感とも呼べそうな感覚になると、それらはみなさんが立ち向かう状況においての誇りとなっていく一方で、だからこそみなさんをとことんまで追い詰めてしまう諸刃の剣となります。

「ストレスになんか負けない」という歯を食いしばる感じは、まさにその責任感(使命感)の強さを示す、一つの現象と呼べるでしょう。

特に人の命の安全に関わる職業だとそれに加えて「ミスがない(完璧である)」を求められるため、よりストレスを強化する構造を、職業自体が内包しているとも言えます。

身近に「もうストレスで」と言える、ごろごろできる実家のような相手をひとりでも持っておくと、燃え尽きるリスクを減らす第一歩となるでしょう。

 

ストレスへの自然な反応

ストレスを抱えていると「もっとちゃんとしないと」「まだ頑張れるから。ここが課題だとわかったから、大丈夫だから」のような言葉が、多く発されます。孤立するような雰囲気が強くなっていきます。人を遠ざけるとも表せるかもしれませんが、回復を目指す動物は、何も食べず飲まず周りから離れたりするので、自然なことのように見えます。

同時に、ブレーキとアクセルを同時に踏む状態にも、入っているでしょう。「Aがしたいのに、Aをできない」や「Bをしたくないのに、Bをしてしまう」といった、状態です。そんな時、人に言うより自分で何かできたらと思うのは、恥の感覚を除いても、これもまた自然なことだろうと思います。なぜなら、ケアの基本はセルフケアだからです。

そんな時には「Aをいつでも易々とできちゃうようになったとして、万が一にも困ることはない?」「Bをいつでも自分の思うように楽にやめられるようになったとして、万が一にも困ることはない?」と、自分に尋ねてみませんか?一歩、駒が動くでしょう。その隙間が、人生に新たなバランスを贈ってくれます。バランスそのものへの誤解から自由になるには、「聞くワークショップ」の「Balance / バランス」と「Ease / 気楽さ」が、いいパートナーになってくれるでしょう。

大丈夫、やっていける

「うん、大丈夫。ここでやっていける」「これからも自分なら、どうにかなる」といった感覚を、新人は持っているのに、ベテランの先輩が持っていなくて、不思議だなぁと思ったことはありませんか?驕りとはまた違う話です。

医療や福祉の分野では、こうしたことが他の分野とは違う要因で起きることがあります。例えば、患者になったみなsなんは、医師や看護師にミスがないこと、つまり安全を求めると思います。いくら人間は失敗すると言われても「年賀はがき24日までに投函しようと思ってたのに、玄関に置いてきちゃった」と同じ感じで「おなかの中にメス置いてきちゃって」や「薬似てたから間違えちゃいました~」とは、言われたくないですよね?こうした「絶対の安全を確保してほしい」と利用者側も願い、提供者側もそれを目指す分野では、上述したような自分の経験や力を信じる感覚は、どうしても薄れやすいのです。(他にもパイロットなど安全といのちが隣り合わせの職業で、同様のことが起きやすいです)

また、お年寄りの介護や看取りなどに携わると、認知症だからとわかっていても最後まで感謝どころか罵倒されたり、あんなにお世話した人が急変して亡くなるなど「やった分だけ伸びる」ようなわかりやすい努力への報酬が見られず、「限度や限界がある」という安全を感じられる状態とは遠いきりのなさと直面することになります。そうするとやっぱり「これまで、あんなに誠実に仕事してきたのに。そういうつもりなだけだったのかな…」のように、思ってしまいやすくなるのです。

該当する方は、まずは「この職業のせいで、そう思うだけだ」と思ってみて下さい。そして、職場の中で互いがこんなに役立っていると感じられる仕組みづくりをするといいでしょう。介護の現場なら「Aさんのご家族が、あなたにとても感謝して、こう言ってましたよ」とちゃんと伝えられるような仕組みや、朝礼や帰りのあいさつの際「いつもこういう動きをしてくれるから、とても助かっています」のように伝えるような仕組みなど、互いに感謝を胸にしまわず、表現していく仕組みを創っていくのです。

感謝は思うだけでなく、伝えたり書いたりと表現することで、増幅されていきます。ステップを二つ書きました。よかったら、やってみて「やっていける」という感覚が自然と「ただいまー」と戻ってくる柔らかい職場や家庭をつくってくださいね。聞く「聞くワークショップ」の「Ease / 気楽さ」と「Hope / 希望」(各50分)も「やっていける」という感覚が自然と呼び戻される内容になっているので、よかったらあなたのサポートをする仲間にいれてあげてください。

 

ほんとに「毎日」必要?

何かを継続することに憧れる方は、一定数いらっしゃいます。そこから、いいと感じたものと出会うと「毎日やりたい」と思うようです。

でも、実際に始めてみると5日目位でふと忘れてしまっていたり、2週間位したら、あんなに気持ちよかったものも、気持ちよくなくて、スルッと掌から溢れてしまうのです。

そして「やっぱり自分は続けられないんだなぁ」と残念がるのです。あるいは怪我をしているのに続ける、すごく寝不足なのにフラフラしながら続けるような無理をして、本当に続けることが難しい状態にはいったりします。

こんなとき本当に憧れの「毎日続ける」を握りしめるべきでしょうか?その憧れは、あなたを本当に助けているのでしょうか?

「続けられない」という解釈が間違っていることの方が、実はあるんです。「毎日続けられない」ではなく、「それは毎日は続けない方が良い」という、より大きな視野からのバランスに基づく判断が無意識レベルでなされて「つい忘れちゃった」「あまりやりたくないなぁ」と言う心の声として現れることがよくあります。

だから、何かが続かないときは、自分の意識が知るごく小さな視野からのバランスに基づく判断に固執してジャッジに走らず、大きな視野からのバランスに基づく無意識の判断に身を委ねたり、意識と無意識の新しいハーモニーを経験し始められるチャンスに他なりません。

謙虚さと尊敬。

「もう十分です。足りています。ありがとう」と、何の我慢も捻った思いもなく言えるとき、あなたは謙虚という状態に入ります。これは最強なんです。あらゆる勧誘を、スルーできるようになって、すくっと立ち続けられるようになるからです。

「もう十分受け取りました。十分もらっています」と言えないと、恨みになります。あなたの足元は色々がんばっても、崩れ続けてしまいます。それは、親に対してだけではありません。

「もう十分受け取りました。十分もらっています」といえるとき、あなたにはそう伝える相手の、とても美しい姿が見えています。その美しさにうっとりするのではなく、ハッとしながら、ただいつまでもその美しさをみるとき、あなたはその人のことを尊敬するという状態に入ります。

その先に、他者との調和が展開します。

親に感謝するということ。

募集中の単発コーチング、明日の晩まで受け付けています。親に感謝するということは「お金を稼いでくれてありがとう」や「病気の時に面倒を見てくれてありがとう」といった行為に対してではありません。してもかまいませんが、もし行為に対して感謝をするものだと理解してしまうと「虐待してくれてありがとう」「殺してくれてありがとう」ともなってしまいます。

そうではなくて、あなたの親があなたの求める行動をしたにせよしなかったにせよ、それでもいのちは親からもらったということに、フォーカスすることです。「すべてのはじまりであるいのちを、わたしはあなたからもらいました。それだけでもうわたしは満足です。これで十分です。これ以上何も求めません」と、親に気持ちを向けられるということです。

「ひどく虐待された。こんなこともあんなこともあって、今でもこんな風に不調だ。あなたのせいだ。あなたがこうしてくれていたら…」と求めるのではなくて「もうこれで十分です」と言い切ることです。それは親からの卒業でもあります。そして、あなたが虐待されたり今不調なことやこれまでの大変なことは、もちろん事実です。その原因に親が関与しているのも事実です。それらを否定しましょうという話ではありません。

「ただ、もう十分受け取りました。十分もらっています」といえること、満ち足りた自分を演じるのではなく、本当にもう十分だと知ること。その時、膠着状態だったあなたの人生は、音を立てて前へ進み、今の不調が解消されるための風穴があき始めます。

緊張の高い家庭

緊張の高い家庭は、既に深刻に機能不全です。そして、面白いことに「うちの奥さん/だんなは…(文句)」といい始めたときに「あなたの奥さん/だんなさんは〇〇よね」と指摘すると、ちゃぶ台返しをしてきます。「そんなことない、うちの奥さん/だんなは、それでもいい母親/父親です」と。

ちゃぶ台返しの際に言われたことは、家の中で奥さん/だんなさんが担うのをやめたら、消えてしまい幻想だったと知ってしまう役割を、表しています。自分を役割に当てはめるから、自分の気持ちや発想に不正解があると、困ります。

例えば「あー子供が面倒」「自分だけの時間がほしい」と思います。でも、そう思った自分をたしなめてしまいます。「父親は自分しかいないのに、なんてことを思うんだ」「まだ小さいんだから、そんなこと思うのは身勝手だ」というように。

そして、そんな思いを封じ込めるべく、目の前の子供やパートナーに尽くします。自分を見失っているのです。自分は埋まってしまったのです。封じたい思いを封じるために、いのちがけといってもいいくらい、目の前の子供やパートナーに尽くします。

だからこそ、その見返りに子供に要求がましくなります。パートナーに過度に期待します。そうしてある日、勝手に手が動いて、子供を突き飛ばしてしまったりするのです。それで余計に自分を叱責しますが、そうではなく、これは対人援助職につく人に「助けて」と言うタイミングです。

幼児は、自分が微力で依存していることを、理解できません。(それが健やかな状態です)上の状態にある大人は、同じように自分が微力で依存しているという現実を、今日もまだ認識できていません。

もっとオファーされたいのに。

仕事などで「もっと人から求められるように」と「うまく見せたい」にフォーカスしていくと、自分らしさが失われていきます。だから、あなたにオファーする理由が消えて、人から求められなくなります。

「うまく見せたい」にフォーカスしているとき、まるで光に向かっているような感覚に陥っているのでしょう。そうすると、いつの間にか足元に何もなくなっていて、そこは闇なんです。「うまく見せたい」と光に向かっていたはずのとき、本当に生まれていたのは「また求められなくなったらどうしよう」という、闇を恐れる気持ちの方です。それを消すために、光に見える方に向かってしまったのえす。

実際に、一寸先が闇のことはあります。そして、その一寸先には光があるのです。だから、闇を恐れてあわあわしながら、何とか光を探すより、ずんずんと闇に入っていってみてください。枯れていた井戸も満ちます。

感情のまま、行動する?

感情のままに行動している人は、自分の感情を認識してはいないんです。危険な状態にあるんです。だから、感情に飲み込まれて行動する様をみると、危険なものを見せられているから、わたしたちは迷惑に感じたり、時に勇気をもらった気持ちになったりします。

特に日本では、怒りが忌み嫌われて、悲しみが良しとされますが、悲しみはきずなを結びなおしてくれるものです。311の後の動きを見ても、それはクリアでしょう。遺されたわたしたちは、きずなを結びなおそうとしましたし、悲しみ続けているのは自分との絆を結びなおし続けているからに、他なりません。

「悲しんでないで前を向いて」なんて言いますが、悲しみは前に踏み出していく感情の一つで、決してわたしたちを後ろに引っ張ったりはしないのです。

明日に続きます。

ウワバミにならない!

ウワバミみたいに「これも自分でできるようにならないと」「もっと人の役に立たないと」と、他人や会社の問題を引き受けていませんか?

会社の新人教育自体に問題があるのに「私の能力が低いからだ。早く慣れないと」と責任を引き受けても、会社はちっともよくならず、あなたは自分を見失うだけです。奥さんの役に立とうと、カウンセラーぶっても、奥さんが夫を失う、つまりあなたも奥さんを失っていくだけです。

そうやって、ウワバミみたいに自分の輪郭をにじませながら、他人の領域に侵入して「今はできません」と事実をいう代わりに、壊れそうな自分に鞭打って「もっと~しないと」と煽るのは、あなたが頑張り屋だからではなく、あなたが強欲だからです。

強欲さはわたしたちを破壊して、周りから無理難題を引き出し、すべてを見失わせて、迷子をたくさんつくります、

つまり、自分が壊れる方に自分を連れて行かず、壊れそうな状態の自分には鞭ではなく、休息をあげるのが、欲を捨てる方向です。ウワバミになる先には依存しか展開しません。欲を捨てる方へ自立が現れます。

こうしようと思うのにできない

「こうしようと思うのにできない」「ただこうすればいいだけなのにできない」と思って、自分が嫌になったことありませんか?

こんな時は「こうしたい」に辿り着く近道を見間違えています。近道は、しばしば論理的に考えても導き出せません。

そんな時はやりたい順にやっていくと、抜け道が見つかるかのようにすーっと「こうしたい」にたどり着いてしまえます。

行き詰まったら「近道を導き出す思考」自体をアップデートできるチャンスが、訪れています。そう、息を吹き返せるんです。

八月の匂い

稲が実っていく今の時期は、水田の横を歩くと、なんとも香ばしいんです。あえて言うなら、そら豆を口の中に含んだときに鼻の中に抜ける香りに、少し近いかもしれません。

夕方5時を過ぎても33℃あると、川べりを歩いても、あまり涼しくなく、水の匂いが際立つばかりです。

みなさんはこの8月、どんな匂いと出会いながら、過ごしているでしょうか? そこに、自然の営みがもたらす香りは、含まれていますか?

万能感を生きるのは、父親が機能的に不在だったから。

現実的に物事を進めていくために、自分の限界を知りそして尊重し、そうすることで自分を守っていくブレーキを子供の中に育てていく役割は、父親が果たします。

万能感、つまりヒーローのように自分には何でもできて何でも許されて際限のない満足をあきらめられない状態から、子供が抜けられるようにするのが、父親なのです。

無理するという自分の限界を認識せず尊重もしない状態や、万能感にい座り続けて相手をいつも下に見ていることに気づきもしない状態は、あなたが育った環境において、機能的に父親が不在であった事実を浮き彫りにします。

いずれにせよ、今から変えていけます。

父親「不在」で育つと? 

父親がきちんと家庭に存在しなかったために、母子分離できていないと、自分の愛する存在と自分が融合する(境界があいまいな)形をとりたがります。この状態はつまり、父親との間がうまくいっていない状態のままだということです。

その結果、男性の場合は、他者との距離をうまくとれず、自分の愛する女性を所有物のように扱って、ハラスメントやDVに発展しやすくなります。父親との間に葛藤を抱えたままなので、女性と支配の関係でしか関われません。性的倒錯も、ここに大いに関わります。

女性の場合は、同じように他者との距離の取り方がわからず、父親代わりになりそうな男性に精神的にも経済的にも依存し、主体性を放棄して、所有物としての自分を受け入れます。父親との間に葛藤を抱えたままなので、プライドばかり高く、仕事を転々とするような社会不適応を生じます。

父親が「機能的に不在」という形で子供に与える影響は、とてつもなく大きいのです。

父親がストレスに強い子をつくる

小さい時から何度か、子供は反抗期を経験します。それは母子分離のチャンスです。子供は頼りたいと言う気持ちと探検に行きたい気持ちの間で揺れますが、都度程度を変えながら、子供の不安を減らし安心して外に歩み出せるように手を引くのは、父親の役目です。

そうやって、母親業務でパンパンになっていた自分の妻に、ただ自分自身でいる時間を返していくということでもあります。

そうすることで、母が子に依存するというおかしな動きがうまれないようにし、子供にとって母親が「収容所」にならないようにするのは、夫である父親がになっていく役目です。

父親がきちんと助けていないと、ストレスに弱い子供が育ちます。アイデンティティーも確立できず、現の厳しさに耐えながら社会に歩みだしていけない子供が育ちます。東日本大震災の頃よく聞いただろう「レジリエンス」を高めるのは、父親なのです。

父親の場合、母親と違って「もう父親をやめていいよ」と言われたいと願うほどまで、父親をしたことがある人がほとんどいないと思います。

父性がみられない今の社会だからこそ、ここまで疑似恋愛がいいもののように扱われてしまっているのでしょう。父性は、とりあえず雷を落とすような怖さとは全然違います。

今日はここまでにしましょうね。異常な高温下で生きるみなさん、しっかりいのちを繋いでください。