カメムシにジョーカーに。

これだけ、地球環境が正常な状態から程遠くなると、害虫が大活躍する時代に入ります。もちろん、農家さんや家庭菜園をされている方は、もうそれを嫌というほど感じていると思います。無農薬や有機栽培をされている方は、本当に底知れぬご苦労があると思いますし、またそれを可能にする環境を限定的にでもまもるために、多くの知恵をお持ちだろうと思います。

そうではない方は、気楽に殺虫剤を使ったり、農薬をさくさく使い始めます。わたしの住むエリアでは、今年から水稲栽培に農薬を使い始めた農家さんがいらっしゃいますが、稲刈り後のモミなどを燃やすその煙は、薄い水色で非常に気持ちが悪く、稲刈り後なのに、まさに毒薬が四方八方にまかれていました。これからは住む先に農家さんがいる場合「そこで農薬を使う予定がありそうか」というポイントに対しても、念入りに確認しないといけないのか…と、その瞬間すごく疲れました。

さて、虫の気持ち悪さというのは、あります。セミだって、いきなりあなたの部屋の中で100匹舞ったら、さすがにヒッチコックの映画が思い出される感じになるでしょう。山中に住む方は、1000匹近いカメムシに春も秋も悩まされる(部屋にも相当数入ってくる)方がいるようです。

そうなると、やはり酢やミントを使う方法では効き目が薄く感じられ、化学的な薬という、あなたの身体にも自然環境にも悪い方へ、手が伸びやすくなるのかもしれません。心がポッキリ折れそうになるその感じ、すごくわかります。そんな時(うちは1000匹はきませんが)わたしが使うのは、相手がどんな虫であれ、比較的小さくまた原則として地面にいるなら、まず熱湯をかけることです。そして、飛ぶものには、逆に凍えさせる方法を使います。例えば、こちらです。

もちろん、植物の上にいる虫に対して、熱湯や凍えさせる方法は使えませんし、植物の根が張っている辺りに熱湯をかけることもできません。その場合は、自然農薬や効果の薄い自然な忌避剤と合わせて、熱湯や凍えさせる方法を使える場所に、虫を誘導するなど、工夫が必要でしょう。

この不快な空間で、どんどん自分のことしか考えられなくなっている、中心を自分にしかおけない人が増えています。その状態にあると、やることなすことすべて、無自覚なまま地球環境にマイナスのことしかできなくなります。つまりいわば「害虫」になります。自粛のときに「普段気づかなかったけど、○○にすごく感謝だよね~」と言っていた方たちは、ここドンピシャです。

意識しないと感謝にも至れないその可笑しさは、トランプのジョーカーの顔をみているようでもあります。そして、既にこの社会は、ジョーカーと化け物だらけです。欲を追い求める者の出す「異臭」は、カメムシの比ではありません。ジョーカーや化け物の前では、臭いカメムシのなんとかわいいことでしょうか。

アクセサリーはお好き?

もうすぐオンラインWS「感謝」の締め切りです。そんな中、アメリカでは蚊が大発生したり、山火事がどんどん広がったり、24時間以内に猛暑から吹雪へと変わる天候を見せているようですが、わが家の近所ではカメムシ大発生中です。何も置いていないベランダには、秋なのに、トンボでなくツマグロヒョウモンやアゲハチョウがたくさん遊びに来ます。

そんな風にして、狂いが進行した中で、航海の際の北極星のように正しくあることは、ますます難しくなっていくに決まっていると思いますか?

クライアントさんたちを見ていると、全然そんなことはないのです。自粛下でも、オリンピック選手たちが素晴らしい家トレの数々を披露して話題になっていたように、淡々と自分の在りたいところにつながっているのです。だから、自分を責めたり誰かに怒ったりという「もんどりうつ」感じは、ありません。はっきりいえば「もんどりうつ」というのは、アクセサリーです。アクセサリーをじゃらじゃらつけたい、人目を気にする人たちが、よく「もんどりうって」それだけでなく、そこに人を巻き込む快感から逃れられずにいるのを、よくお見受けします。

進みたい場所があると、自分の今の居場所もすぃっと認められるのです。「これがわたしの現実です。実情なんです」と、あっさり言えるのです。そして、そこには自分を責めたりまして誰かに怒りをぶつける動きはなく、まずはその状態で済んでいるところの感謝があり、感謝できるだけの広い視野を生きています。

虎や豹がおびただしくいた国

「お隣さんはだあれ?」の第三弾で、分厚い文庫本を一冊読んでいます。コリアにルーツの一部をもつ知人に「あなたの曽祖父母の時代は、虎や豹がおびただしくいたみたい」と伝えたら、私以上に驚いていました。

以下の記述などは、国を拠らず今の時代に必要な視点を含むでしょう。

「仏教はかつて有力であったものの、三世紀前に「廃止」され、主に山岳地方の幹線道路からずっと離れたところに行かなければ見られない。一種のシャーマニズムである鬼神信仰が国中いたるところに浸透し、無学な一般大衆およびあらゆる階層の女性をとりこにしている。」

(引用元:『朝鮮紀行』イザベラ・バード(著)、講談学術文庫、p34)

「祖先崇拝と、大自然の力をびくびくと盲信的に恐れるゆえの鬼神信仰は、朝鮮人にとって宗教の代わりとなるものである。わたしはどちらも恐怖の産物ではないかと考えている。祖先崇拝が守られるのは、子孫としての敬愛よりも、祖先の霊がその子孫にたたることへの恐れからではなかろうか。」

(引用元:同上、p86)

新型コロナウィルスによって、形は変わっても、質については逆にどんどん露呈してきて、すごくいい流れになってきています。形でごまかしていた時代の最後のあがきが、あちこちにみられる面白みもあります。

クライアントさんの多くが「お金の使い方がよりシェイプされた」「頭の中もスッキリしてきた」「迷いをどんどん捨てられて、毎日が明るくなった」と仰っています。わたしたちはただ、潔く上質にフォーカスしていけば、玉石混交でなく玉が残っていくことが当たり前の時代になっていくのでしょうか?

人に頼り過ぎないライフスタイル

地球に元々あった循環の中に身を置くことは、様々な負担を減らして行ける「楽」な道です。それは、自分の負担も減らしてくれます。

近所で無農薬だった農家さんが、農薬をまき始めてしまいました。ご高齢ですし、よくよくご苦労があってのことだろうと思いましたが、本来は農薬をまくということは「他の生物の協力を断ち切る」ということです。そうやって、一時的に狙った一つの植物だけを守っているようで、よりアンバランスにすることで、さらなる狂いを生んでいく方法です。しかし、それをよく知っているだろう方がそうなさるということは、そこに対応していけるより繊細な感覚を求められるほどに、生態系を人間が狂わせたということです。

循環の中でつつましやかに暮らしていれば、すなわち「思い通りにしたい」という欲によって、他の生物の協力を断ち切っては悪循環を生む方法と無縁であれば、人にも頼り過ぎないライフスタイルが生まれていきます。人に頼らなくても、植物や動物が支えてくれて、その分人に思いやりを持ちやすくなり、また植物や動物の働きに目がひらいて、自分は慎ましやかにならざるを得なくなるのです。

「慎ましくしよう」とそこにフォーカスすることは、無農薬だった水田を農薬を使った水田にすることと、似ているかもしれません。結果的に生まれるものを、初めから獲得しようと躍起になることこそが、自分の負担を増やし、自分を大変にしてしまう方法ではありませんか?

ごまかすから孤立する

理解していないことに気づかずに済んで、だから自分はうまくいっていると思い込めるものを「好き」と認定していませんか?例えば、化粧品を選ぶときに「ビタミンC」とあって、もうそれでいい感じがします。どう作用するかの詳細は、理解していません。でもたまたま、その製品が本当に良かったとします。そうすると、自分が肯定された感じがします。だから「好き」というのです。

一方で、自分が理解していなかったから、良さそうだという思い込みで選んだだけだと露呈すると、その商品を悪く言っていませんか?自分が貶められた感じがして「嫌」だからです。でもこれは、自分の妄想の世界の中で起きていることで、現実に起きていることではありません。

この延長が「香りがいいから好き」です。「このシャンプー香りがいいから好き」のように、目的から逸れてしまっているのです。シャンプーの果たすべき役割の第一は、香りのよさではありません。が、みんな「どのシャンプーがどう髪や地肌に作用しているか」を感じることができないために、それがわからないことを覆い隠してくれる「ボトルがかわいい」「香りがいい」に飛びついています。そうやって、第一義的な役割を果たさないシャンプーが、量産されていくのです。

自分の嫌なところを覆い隠せるものを望むほど、実際には不潔に不健康になっていきます。いい香りが何かをわからない人たちがいい香りだと認定する柔軟剤が、実際には汚れを内包して強烈な臭い匂いを放っていくのと同じです。「自分の感覚が鈍って、狂っている」「わからないことをごまかせると安心するほど、自分は嘘に慣れっこだ」という現在地を認めていけないと、残念ながら現実は余計にひどくなるばかり、それに気づかぬのは自分ばかりと孤立していきます。

「自分はいい感じだ」と安心しているつもりの塗り重ねが、どれだけ自分を孤立へと確実に導いているか、内省できて認められると、打つ手のなかった現実に打つ手がたくさん戻ってきます。

地球をぐるっと旅する風

外へ出て歩いて、ベランダで伸びをして、地球をぐるっと旅する風に出会う度、わたしたちは大事なことを教えてもらえます。

それは、幸福な人ほど、人目につくことをしないということです。メディアを見れば、一目瞭然ですよね? 奇抜な服装や行動や会話をすれば、目を疑ってしまうから話題に上り、あまりのことにみんなの記憶に残ります。

地球をぐるっと旅する風は、人目につかないままやってきて、幸福になるコツを教えてくれます。

清潔だと寛容になる。

多くの方が、感覚や気持ちを排除して、なんとか自分を自分の思い通りに生きることをよしとしています。例えば、疲れていてもとにかく朝5時に起きられるとか、やる気のない日も朝運動してから会社に行くと言ったことです。しかし、それは壮大なあやまりです。

イギリスでの実験ですが、嫌悪を感じる映像を見せた後、半数のグループには石鹸で手を洗ってもらい、半数のグループはそのままにしました。その後、罪を犯した人に対して、どれくらいの罰を与えたいか、それぞれのグループに尋ねると、石鹸で手を洗わないグループメンバーは、石鹸で手を洗ったメンバーより、重い罰を与えたがりました。

つまり、どんなに冷静でいようとしようと、他の要素を加えずに判断したつもりでも、実際には自分の身体の不快感が強ければ、他人に対して懲罰的になるのです。普段から感覚や気持ちを排除していると、自分の身体の不快自体を認識しません。そして、自分は冷静だと、強く思いを込めてしまうのです。自己認識はここまで大きく歪むのです。

簡単に言うと、清潔な人が増えれば(強迫的な意味合いではなく)、懲罰的な人が減ることになります。清潔が気持ちいいと感じるのが、人間のデフォルトだからです。

また、普段から感覚や気持ちを排除していると、自分が不潔であることに気づけないのです。何が不快で何が快感か分からなくなってしまうと、そんなつもりはなくても、他人に対して懲罰的な表現しかできなくなってしまうのです。そして、自分の願った通りの自分として振る舞えているというとんだ勘違いが、当たり前になってしまうのです。

花を飾る真意。

田舎暮らしがスタートしてから、どんどん花を買わなくなりました。東京に住んでいた時は、室内にグリーンも花もどんどん増えていっていました。

結局、外が不快だから、せめてもと家の中に花を飾りたくなるのです。外が不快でなければ、着飾りたいとだって思わなくなるのです。室内をきれいに掃除することはしますが、時間とお金をかけて行かなくても、身近に美しく元気な自然がある豊かさを、家の中でも外でも感じられて、飾るという不可思議な行動が消えていくのです。身近にある美しく元気な自然に対しても、ただ守りたいという気持ちや感謝が生まれるだけです。

個人の中も同じです。言葉で着飾ってプライドを守ったり、知識や名誉を集めたがるのは、自分の中が不快だからです。それくらい自分が汚くて穢れていてmessyだと、自分でちゃんと知っているからそうするのです。

内側がきれいな人は、総じて正直で誠実です。そして、自分をきちんと守り、例えば自分の身体にも眠る前にきちんと感謝を抱いています。

もらいっぱなしだから、孤立する

めちゃめちゃ賛同するでしょ!

さて、ひとりぼっちを恐れる人は、もらいっぱなしで平気な人です。恩を誠実に返していくことや、相手に敬意をはらうところから感謝を伝えることや、誠実さから相手に詫びることをしていません。

つまり、清算されていないのです。ひとりぼっちになるよう仕組んでいるのは、ご自身です。

清算についてとてもわかりやすい部分が、先日ポットキャストでご紹介した『そばかすの少年』にあったので、引用します。なお、電子書籍で見たため、ページ数は記載しないことにします(文字の大きさを変えると、ページ数が変わるため)が、物語後半にあります。主人公が愛するエンジェルに指輪を贈りたいのだど…というシーンで、彼を我が子のように思い接してきたマクリーンさんの台詞です。

「お前は、エンジェルの指輪を金で買い与えたくない。初めてリンバロストの森に来たときに味わった恐ろしさと引きかえに、指輪を与えたいのだよ。あそこでお前を苦しめた孤独と寂しさ、冬の境界線の凍えるような寒さ、夏の焼けつく太陽に、代金を支払わせたいと思っている。あの湿原で立派に契約を守るために命をかけたすべての時間を、あの指輪を通じてエンジェルに伝えたいんだ。宝石の値段は、お前の心を凍らせた恐怖と、お前が流した汗と血からできているのだね」

この小説は、わらしべ長者のようでもあるのですが、仕事に対する真正な姿勢等も含め、とにかくきっちり清算していく人間性の高さを学べる本でもあり、非常にオススメです。「運をあげたい」なんて思うなら、バイブルになるでしょう。

そして、孤立している人は、ちっともかわいそうではないのです。恩を仇で返したり逆恨みするなど、例外なく、もらいっぱなしだからです。

新しい形で生きていく?

お部屋でちょぴっとガーデニングしています。

新コロ後について、多くの方が「今までの生活に戻るだけでなく、新しい価値観を生きていく必要がある」と、考えているようです。そこで「そうだね、新しい形で生きていく必要があるね!」と、思いましたか?

こもることは、人間の成長にとって時に大切です。何種もの蝶が外を舞う最近のわが家ですが、蝶でいうなら、さなぎの時期を迎えられるからです。ただ、さなぎになったから蝶になれるとは限りません。さなぎのまま死に至ることもあります。つまり、このこもっている時期に、蝶になるという変容の準備を終えられるかどうかが、鍵です。

これから必要なのは、新しい形だけでなく、新しい形を要する新しい質です。清さという価値観がすべてに組されることが、人類の繁栄や地球の存続に不可欠です。清さを重んじることで、すべての質を上質にしていくことができなければ、再び人類は行き詰まり、地球は人間を駆逐せざるを得ないでしょう。

外出禁止や自粛が終わり、今までとは全然違う思いで外に出た時、新たな価値観を組み込もうとしても、多くの方は流されてしまい難しく感じるでしょう。今、家の中で、清さを重んじて生きる方へシフトするのが、ベストです。

見たこともない新しさ

墨汁を流し込むように、未来を不安で染め上げていませんか?つまり、未来を決めつけて、未来らしさを奪っていませんか?

見たことも無い新しさに溢れているのが明日です。誰にとっても平等に、それは見たことも無い新しさに満ちています。それが明日の本質です。

未来をけがしてしまうのは、欲望が強いからです。「そんなことない」と抗うのも、欲望が強いからです。受け入れられずに苦しむことこそ、欲望の強さの表れです。

その欲望で、明日をけがさないでください。未来はいつも、見たこともない新しさでだけ溢れています。何かが起きたから不安なのではなく、あなたのその欲望が未来を汚している、ただそれだけのことです。

未来が見えないから不安なのではありません。未来は本質的に見えないものです。ただあなたの欲望の強さが、露呈しただけです。

不安な自分を「かわいそう」と思っているでしょう。苦しんだ自分を慰めてもらえて当然だと思っているでしょう。苦しみと不安で周りにどれだけ迷惑をかけたかに、思いは至らないのでしょう。欲望が強いからです。

明日をけがないでください。未来の本質を無視して、捌ききれない欲望を注ぎ込まないでください。明日はいつもみんなに平等に、見たこともない新しさそのものです。今のチャレンジにどう対応していったか、それが未来のあなたの新しい欠片に誇りになります。

心を通わせていますか?

心に深く傷を負うと、ハートを通さなくなります。自堕落になってしまうのです。

ハートを通して自分の気持ちや相手の気持ちを知る代わりに、「正しい」「まちがっている」とジャッジし、自分の思う正しさに沿って行こうとします。これは、真実を追求する態度とは真逆です。

そうやって、ハートを通さない、すなわち心を閉じた時期を長く経験すると、高血圧や心疾患はもちろん、ホルモンバランスなど体内のシステムが崩れていき、多くの深刻な疾患を招いていきます。その手前が、いわゆる不定愁訴です。

心を通さないから、不定愁訴の自分を憐れみます。自己憐憫に走るから、自堕落という自分の状態の改善にはいたらないのです。そして、この悪循環からは、抜けることができます。

これが最期かも。

特に昨年秋から、人に会う時、それがオンラインや手紙であっても「これが最期かもなぁ」と思うようになりました。悲壮感があるわけでも、自分が死にそうな感じがしているわけでもありません。ただ「これから色々なことが地球上で大規模に起きるなぁ」と感じ、今まで以上にふつうの当たり前のことの価値が上がり「あれがあの人と話した最期だった」となる回数が増えると、直感したのです。

だからと言って、別に人にいい印象を与えようとか、絞りだすように感謝を伝えきろうといった、特別な何かは一切していません。ただ、一瞬一瞬を自然と噛みしめ、より潔さを身につけるようになったと思います。

そして、現実において、みなさんの生活の中でも「あれが最期だった」と振り返る時が増えていくと思います。ただ、頻度こそ違えど、それは今までにもあったことで、特別ではありません。いつもただ清らかに、それを志向するのみです。

ゴミを半分に。

まな板、うんと軽いものへ新調しました。台所に来て、パッと桜色が目に飛び込むのは、うれしいです。

今年は、新年の目標/決意の1つに「我が家からのゴミを半分にする」が含まれています。ちなみに英語の先生が「似てるー、僕もプラスチックゴミを半分にすることが、レゾリューションの1つに入ってるよ」と、話してくれました。

ふくろうの置物を同時期に買ったり、何かとシンクロする相手の1人です。

さて、話を戻しまして、そう思ったのは12月あたりから、10リットルのゴミ袋が必要なくなってきたからです。「なかなかゴミ箱がいっぱいにならないなぁ」とゴミ出しできない日が続き、ゴミが減ったことを実感していました。特に意識しないでも、自然とそうなったので、意識したら半分ぐらいにはできそうだなと目処が立ったのです。

全体として買い物を減らします。また、ベジブロスもはじめてみようと思っています。大体、スーパーに行くと一気にゴミが増えるのです。オーガニックストアで野菜が揃わなすぎて、スーパーに行っていましたが、野菜くずを冷凍しておくことで、ここに打開策を見出せそうです。

泥のついた野菜なども、新聞紙に包んで渡してくれればいい程度だと思います。昔は、魚屋さんも新聞紙に魚を包んでいたと聞きます。ゴミが多いと、買い物自体もめんどくさくなりますよね。小売にとってもプラスにならないと思うのですが、みなさんはどう思いますか?

清潔にできる喜び!

掃除がもたらす喜びとは、清潔にできる喜びです。

(これは、思い込みで自分を縮こまらせるような、潔癖症の話ではありません。それは、既に自分をけがした状態に見られる現象です。)

私たちは、不潔だと苦しみを感じるようにできています。清潔になることでその苦しみが消せる、そんな風に自分を救えることは、喜び以外の何物でもないのが、わたしたちのデフォルトです。

ところが、自分の尊厳をまもらなかったり、汚いところにたたずむような、自分を汚すことが当たり前になると、不潔であることと同化しようとします。例えば「どこでも眠れる」が、目標になってしまうのです。

そして、不潔と清潔の境目を夕暮れのように曖昧にすることで、自分を傷つける人や出来事に近づけてしまうのです。そしてその痛みに支配され、回復する方向と、痛みだけを消す方向を取り違えるようになります。

清潔にできることは喜びなのです。もし、掃除をすることをめんどくさいと感じるなら、すでに自分をだいぶ汚してしまったのです。

自分をけがさないと、退屈は消える

自分をけがさない練習を、一針一針縫うかのように練習してきたクライアントさんは「何もしていなくても、見た目にはきついことが起きても、どこかいつもうれしく楽しい」と話すようになります。

楽しいことがないから退屈なのではなくて、自分をけがしていると自分がボロボロになってきて、傷に染みる痛みはあっても、いのちが守られ力づけられることが全くないので、退屈に感じるのです。

自分をけがさないと、風の日に蝋燭の火を守るように、命が守られ大きくなるから、自分の命の躍動感を「楽しい」と感じられ、躍動感に任せていけば物事が進むので、緊張や焦りがぐんと減ります。

では「自分をけがさない」ために具体的に今していることをどうしていけばいいのかを、お一人お一人に合ったオーダーメイドの形でお伝えするのが、今年初の単発コーチングです。自分から敷居を上げず、ひょいっと申込んでみて下さい。


~立春の単発コーチング~

■ 日 時:≪土日は他の時間もOK≫

– 2月14日(金)20:00~21:00
– 2月15日(土)15:00~16:00
– 2月16日(日)20:30~21:30

■ 対 象:≪以下を一つでも望む方≫
□ 退屈な日々から抜けたい
□ 自分をけがしたくない
□ 力が湧く経験をしたい
□ 幸せが何か、理解したい
□ 緊張を減らしたい
□ いつもうれしく生きたい
□ 誰も不幸にしたくない
□ 脅かされない心身創り
□ 感覚器や神経系の回復
□ 自分を引き上げる目標
□ 守護が何か、理解したい
□ 転落しない人生の設計
□ コーチングを試したい

■ 手 段:スカイプ or 電話
■ 参加費:33,000円(税込)
■ 定 員:3名まで
■ 〆 切:2月11日(火・祝)21:00

▼ お申し込み:https://is.gd/fy18ke

~ キャンセレーションポリシー ~

お申込みと共にキャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずともセッション費はそのままお支払い頂きます。幼児の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などは、日程を調整し対応します。過去にクライアントだった方に限りお子様と一緒のコーチング・お子様へのフィードバックも承ります。コーチングを申込んでいいかわからない状態にある場合、そう感じる状態を詳細に表しご連絡下されば、一緒に判断します。


この世は、玉石混交ではありますが、これを読むあなたは、玉を石に変えお金や仲間を手にし、転落することのないようこの機会を、ご活用頂ければ幸いです。

世界の主役になるアイデア

いつの時代も、世界の主役になるアイデアは「人間を幸せにするアイデア」ではないでしょうか?今「そうか、人間を幸せにするアイデアか!」と前のめりに突っ込もうとしましたか?そうではなく「人間を幸せにするアイデア」を含む文脈全体をみようとすることが、考える行為です。

「人間を幸せにするアイデア」から一歩引いて、それを含む文脈をみると「地球を/いのち全体を幸せにするアイデア」が、生まれて来ませんか?だって、食べ物を与えてくれるのも地球で、食べ物自体もいのちです。わたしたち人間が先にあったのではなく、地球が先にありました。人間は甘えん坊の末っ子として、地球に最後に生まれた存在です。

でも、昨今はその甘えん坊の末っ子ぶりが、地球を蝕み、戦国時代の武家であれば「あの末っ子を殺せ」と命じられていただろう存在になり果てています。すべてに害を与えている存在なら、駆逐されて当然ですよね。本当に末っ子がすべきことは何でしょうか?親を骨の髄までしゃぶりつくすことでしょうか?兄や姉に殺戮を働いたり、組み伏すことでしょうか?息の根を止めて「やったー!ぼく/わたしの方が強い!」と小躍りすることでしょうか?

ぜひ「地球を/いのち全体を幸せにするアイデア」が、末っ子の私たち人間をも必然的に幸せにしてしまうように、考え方に「清らかさ」を織り込んでいっていただきたいのです。なぜなら「清らかさ」こそ、人の本意であるからです。それはきっと、それまであったカラフルな毛糸のどれにも生めない、ラメの毛糸のような存在感を放ち、既に持っているものに命を吹き込み、素敵にしてくれます。日常のすべてに「清らかさ」という発想を織り込んでいけたら、人間は末っ子として真に愛される存在になっていくのではないでしょうか?

臭くないもの出そう。

このシリーズいいので、台所でも使うことにしました。

さて、この数年で、日本はあっという間に香料天国(毒物地獄)になりました。では、この逆を行くにはどうしたらいいでしょうか?

都市部の皆さんは気づかないかもしれませんが、公衆のお手洗いに入ったときに、私たちが出したものの残り香が年々強くなっています。特に、都市部ではその臭いがかなり強いのを感じます。

もしも鹿や猪などの動物が、今までになく臭い分などを知ることがあったら、それはその動物にとっての危機です。なぜなら、天敵に見つかりやすくなります。だから、自分の出すものが臭くなって、それを人工香料でごまかしてしまえという発想は、生き物として完全に狂っています。

香料天国(毒物地獄)から抜けていくには、わたしたち一人一人が、布を出しているものの匂いに、まずは敏感になることです。それは「臭い物に蓋」ではなく、排泄物から赤ちゃんの体調を知るお母さんのように、自分の出している物の匂いの変化にきちんと気づいていくことです。

そうすれば、香料天国(毒物地獄)からは抜けられます。つまり、今年の目標の1つに「年末には自分から出るものが、今日現在よりもうんと弱いかすかな(願わくば無臭)臭いになっている」を含んでみませんか?

皆さんがお手洗いでだすものの臭いが弱くなれば、いろいろ気にされれている他の部位の臭いも弱まります。全体として健康に向かっていくことは、言うまでもありません。

自分をけがさず生きる

節分が視野に入ってきた頃ですが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

もう日常の汚穢に塗れ、ぐだぐだになっていますか?それとも、今年初めの決意に、生活全体を引き上げてもらっていますか?

今日は最近よく読まれている記事をご紹介します。見逃されていたら、この機会をご活用くださいね!

○ 自分をまもる練習
https://wp.me/p2ZjtS-e8a

○ 子育てとは何か。
https://wp.me/p2ZjtS-a2q

○ Trust Your Life
https://wp.me/p2ZjtS-bEL

○ かわいくてどこまでも澄んだ音
https://wp.me/p2ZjtS-bM4

○ まくとぅそーけ、なんくるなさ
https://wp.me/p2ZjtS-8Ol

お気に入りは入っていましたか?

この後も a)汚穢の中で活発に動こうとするのか ↔︎ b)自分を穢さぬよう汚さぬよう生きるのか(すなわち、周りを穢さぬよう、汚さぬよう生きるのか)、しっかり選び続けて生きましょう。

幸福と希望

体内からのメッセージカードである大便、わたしたち一生に約9tも出すそうです。ティラノサウルス一匹ですよ、みなさん!毎日のこともあわせるとすごいことになりますね!

さて、幸福に向かうつもりで、満足を目指していませんか?希望を叶えようとしていながら、実際には欲望を叶えていませんか?

これは実によくある取り違えで、これをするほど、皮膚が分厚くなりギラギラした感じがでてきますので、ご自身の変化もそちらから捉えてみてください。他にも、積極的なつもりで、攻撃的になったりします。

まずは、青信号が幸福と希望と積極性で、その逆の赤信号が満足と欲望と攻撃性と捉え、自分が今日はどちらに行ったか毎日確認するところから、始めませんか?二択でまよったらどちらが青信号に近いか、考える練習も、大切です。

数値目標

無農薬のみかんが安価で手に入り、うれしいです。概して、無農薬や有機の物には、あとを引く変な甘さがありません。

より健やかでありたいクライアントさんにお伝えしている数値目標は、以下です。

・毎日最低でも睡眠8時間
・毎日最低でも運動2時間(ストレッチ含む)
・毎日最高でも仕事4時間(アウトプットのみ)
(・売り上げは前年比0.9〜1.1倍)

これで、残り10時間あることになります。この10時間に掃除・洗濯・食事作り・移動・インプットなどを入れていきます。

例えば、仕事前に机を拭くとか、仕事に関連する勉強会に参加する(インプット)は、仕事の下ごしらえに当たるものですから、上の仕事時間には当然換算しません。会社内でしたら、会議時間を削減するため、経営の実行力を落とすようなパワポで大量に企画書を作る文化から脱し、A4一枚にまとめる文化に変える必要がでてくるでしょう。

そして、上の仕事時間(最高でも4時間)の中身は、うんと濃厚にしていきます。濃厚にするための仕組みづくりは、残り10時間で行っていくことになります。

年末年始は、暮らし方を変えられるいい機会ですから、ぜひ上の数値を使って、みなさんも暮らし方を変えてみて下さい。実際にこの数値をかなえている人ほど、健康診断の結果が良くなり、取引先の質が良くなり、家庭でのコミュニケーションが改善しています。

お金持ちは1円を大事にします。料理上手は大根の葉を捨てません。雑じゃない主婦は、襟の汚れだけ洗濯石鹸で洗ってから洗濯機に入れます。そんな風に、あなたは5分を「かけがえのないいのち」として扱う、自分の尊厳をまもれる人になってください。

田舎の飲食店

川べりに実っていた赤い実が美味しそうでした。そう、わたしは田舎に住んでいます。

人が多いところつまり都会だと「この料理がおいしかったから他の料理もおいしいだろう」と言う発想が、大抵当たります。

しかし、人が少なかったり過疎化が激しかったり人の振る舞いがひどいところほど、つまり質の悪い田舎ほど、上記が当てはまりません。

例えば、ごまのケーキはおいしいけれどガトーショコラはイマイチで、ランチに至っては最悪だったりします。食べログ等の評価が一定以上を超えている場合でも、一点だけおいしいものがあるに留まります。

カフェや飲食店に求めるのは、おいしさだけでなく人とのつながりや休憩所としての機能など多々あると思いますが、人が少なくて店も少ないと、美味しくなくても高くなければ成立してしまうことが一因でしょう。

本当に、冗談抜きで記憶に残るまずさのお店というのが存在しています。評価サイトでの評判は、そこそこ良かったりします。そういうことが楽しめる幅を持つと、みなさんさらに自由に生きられるでしょう。

つまり、あまりの奇妙さや変な様に、怒るより笑っちゃう感じになるときには、見えないものがかなり感じとれている状態にあるということです。

今年の9月

見ていると、今年は9月に人生における方向感覚や自分自身を見失った方が多かったです。

そんな時の自分の特徴を知っておくと、危機管理上の仕組みにはなります。よくあるのは「やたらと天気のことを言い始める。それもまるで今でも四季がちゃんとあるかのような物言いをする」「妙に深刻になり、穴にはいった動物みたいになる」「(多くの重いことに耐えきれず、優先順位を見失い)何事も起きてないように「運動会晴れるといいなー」のような能天気な発言をする」でしょうか?

これらは、自分にとっての警報だと思うと、いいでしょう。つまり上は警報の例でした。

海で泳いでしばらくすると、どちらが岸かわからなくなります。9月は波にさらわれたように、岸と逆の方に向かい、方向を見失っては酔っ払ったような能天気で乱雑な状態に入る人が、とても多かったです。さらに一段深く狂ったということです。

そして、未だブイの近くでたゆたって「空が広いなー海は大きいな」といって、自分が方向感覚や自分自身を見失ったことに無自覚な人が、たくさんいます。岸はこっちです!

フェイクはあなたから力を奪う

毎日がちょっといいものになっていくには、あなたから力を奪うフェイクから手を離していく必要があります。「なんだかいいんだよね」「つい寄っちゃうよね」「イマイチって思ってたけど、この間見たらすごくかっこよくて、そこからハマって」こんな調子で語られることが多いのが、フェイクの特徴です。

こうしたフェイクは、みなさんの中で満足感や安心感として語られます。つまり、満足や安心は得られていないんです。「満腹感を得るために、ごはんに〇〇を混ぜて」と自分をだますダイエット同様、満足感や安心感を届けてくれるものは、みなさんを堂々とだましていて、みなさんはそうした騙しを両手を広げて招き入れている状態です。

「好きっていうより、手軽だから。満足感が得られるのよね」「安心感があるから、つい手にとってしまうの」「あの人と話していると落ち着いて。落ち着くっていうのともちょっと違うかなぁ?なんか安心感があるの」こんな感じでみなさんが、日々誰かに話している〇〇感というフェイクに、手を伸ばすことを止めて、〇〇そのものを生活に招き入れるんです。

みなさん自身は、決してフェイクではありませんよね?リアルに存在している自分の中に、フェイクを詰め込んでいくと、何となくの不安や不満や焦りが、毎日感じられてしまうようになります。だから、その逆をいくんです。

より大きな視野でバランスをとる

みんな被災者の時代に入りました。天災がふえ、それに伴う人の争いがふえ、さらにはタバコや違法薬物や抗菌洗剤や柔軟剤などの毒物や、以上を理由に狂った人の異常な行動により、みんなが被災者へとなっていくのです。

悩む具体的な要因が違うだけで、みんなが被災者で、もう平穏な生活は望めません。そんな時代には「自分はこれを満たすと心身共に調子良くあれる」という条件を極めて正しく知ったとしても、バランスはとれません。

むしろ「自分はこれを満たすと心身共に調子良くあれる」という条件を満たせない日が多すぎてイライラし、段々と強迫的になるのが落ちです。手すりを握りしめることが、怪我をうむこともあるのです。

だから、健康にいきたいなら、より大きな視野からバランスをとっていくことが必須です。そのためには、失敗の力と絶望の力に背中を押してもらえるようになる必要があります。

くさくないうんち

山によく登る方には常識かと思いますが、山で困るのはお手洗いです。わたしたちから出る尿と便は、基本的には生態系を壊します。

災害時だって、人目を気にしないとしても犯罪の心配がゼロだとしても「じゃあ、電気と水が来るまで、その辺で!」とできないですよね?匂いだけだって、大変なものです。

それで、新生児のうんちはそこまでは臭くなかったことを、思い出して欲しいのです。色々余計なものを食べだすと、くっさいうんちになります。

災害時や山で経験のない方も、くっさいうんちとそこまでくさくないうんち、どちらがより健やかだと認識しますか?くさくない方ですよね。

さらに、くっさいうんちとそこまでくさくないうんち、どちらが地球に優しそうでしょうか。厳密には菌の種類や土壌の状態によるとしても、やはりそこまでくさくないうんちの方が、地球には優しいです。

つまり、わたしたちは自分の健やかな未来を見据えても、子供にのこすきれいな地球を思っても、そこまでくさくないうんちを出していく必要があります。

地球環境を考えるなら、自分にも優しい未来をもたらしてくれる、くさくないうんちを出せるように、毎日をお手入れしてあげましょう!

お客様という仮面

先日、オンデマンドで「マスカレード・ホテル」を観ました。(以下、ネタバレします)

二軸として、一見逆に見える高級ホテルと警察があります。高級ホテルでは、ホテル滞在を仮面舞踏会のようにとらえて、お客様の素顔が見えながらも、その仮面に沿って動くことが良いサービスとされます。警察は、お客様(人)の素顔を同じように見抜いたら、その素顔をどんどん暴く方向で動くことが、職を全うすることになります。

どちらも「素顔を見抜いている」共通点がありつつ、その後の対応が真逆であることが、この物語を支えていました。それで、上記の職種に限らず、「お客様」になること自体が「仮面」になるのは、本質をついているなぁと思ったんです。

「お客様(患者なども含む)」になった途端、横暴になるなど、態度が変わる人はすごく多いです。新幹線のグリーン車に飛行機のビジネスクラスやファーストクラス、どちらも自由席やエコノミーより、ずっと使い方が汚くて、通るとスラム街のように感じます。「うわー心がすさんでいる人が座っていたんだな」と、思わざるを得ません。「お金を払えば、横暴になったり粗雑になっていいんだよ。そうやってお金で自由を買うんだ」と、お家でも子供に教育中でしょうか?

一方「お客様」を「仮面」にしない人もいます。「相手も仕事だからいいんじゃない?」ではなく「相手も自分と同じ人間だ」という姿勢が、人生を通じて貫かれているのです。そういう人がする仕事には、その人の生き方が現れるから、その仕事内容が何であれ、きれいだったり気持ちよいものになります。

日々、うつくしくありたいと「お客様」であることを堪能しているなら、この記事は何度でも読み返していただきたいです。

使命や天職を超えて

使命や天職という発想は、基本的にはキリスト教に代表される「神が人間をつくった」という視点が生んでいます。

あなたがまだ20代なら、こうした視点に立ってみて、進めるところまで進んでみるのは、悪くないと思います。

しかし、30代後半以降なら、こうした個人的で高揚感のある視点に、行き詰まりを感じたいところです。個人的である窮屈さに、触れていないと、人としての成熟度合いは低いといえるでしょう。

個人的な夢や欲望を追って現実にしてみて、その虚しさに視野を広げ、自分個人を超えていくことが当たり前になるのが、30代後半以降なら謳歌したい人生の在り方です。

使命や天職を超えて、人間という大海の一滴として、同じ地球に住む動植物に否応なく与えてしまう影響として、人生の目的に置くべきは、やはり物質として清まること(概念としてではない)以外にないように思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?

何事も机上の空論で受け取る方は「自分はもう40過ぎてるのにダメだ」「ストレスがかかると個人的なところに戻る自分を戒めなきゃ」のように、心身の統合が失われていないと出てこない発想をします。

そうやって、自分に蓋をしてしまわず、自分を決め付けて深く傷つず、時にそこに揺れが生じる自然を受け入れるだけの心身の統合を、まずは目標にしてみてはいかがでしょうか?

正しさと自由

みなさんの中で、正しさと自由は対立するものとして存在していることが多いようで、驚いています。正しさと美しさが対立軸になっていることもあれば、正しさと面白さが対立軸になっていることもあります。何でしょう…、サッカーとオーストラリアンフットボールとラグビーと…のように、似ているど同じではないスポーツが並んでいるのを、見ているような気分になります。

さて、正しさと美しさが対立している人の中では、正しさって何かを漂白するようなインパクトがあるみたいで、なおかつ必ず罰を連れてくるようなものとして、位置しているようです。正しさと面白さが対立している人の中では、正しさって窮屈なインパクトがあるみたいで、面白さによって解放されるみたいです。つまり、どちらにおいても、美しさと面白さが自由を連れてくるものとして位置し、正しさは不自由を連れてくるものとして位置しているようです。

でも、理にかなうという正しさだけが、どこまでも自由であることを可能にしてくれます。その正しさに沿わないと怒られるとか、仲間外れにされるとか、廊下に立たされるとか、そういうものではなくて、その正しさに沿うことで、みんなが調和して楽になって笑顔になって、無理しなくてよくなるからです。そうするとみんなの力が引き出されるから、どんどん自由になっていくんです。

正しさと自由は、同じ方向を向いている仲良しです。だから、わざわざ仲たがいさせないであげてくださいね!お願いします。

無事も幸運のひとつ

みなさん、幸運というと棚ぼた的な利益を、連想されがちではないでしょうか?

でも、今無事に生きていることも、幸運のひとつです。何か「嫌な」ことがあった方も、「うわぁ、嫌」にとらわれはせず、そこから学んで、未来にたくさんお土産を持ち込みませんか?

「こんな嫌なことがあった!二度といや」と嫌なことを回避する方へエネルギーを注ぐと、あなたは過去の住人のままです。嫌なことをズルズル未来を引き込むことになり、未来は狭まり窮屈になります。

「無事で退屈で、何もいいことはない」とふてくされれば、人生の輝きは翳りを見せていきます。今日も無事であったことに感謝して、自分の人生の輝きを絶やさぬよう、わたしたちはわたしたちの人生を愛していきましょう。