心を通わせていますか?

心に深く傷を負うと、ハートを通さなくなります。自堕落になってしまうのです。

ハートを通して自分の気持ちや相手の気持ちを知る代わりに、「正しい」「まちがっている」とジャッジし、自分の思う正しさに沿って行こうとします。これは、真実を追求する態度とは真逆です。

そうやって、ハートを通さない、すなわち心を閉じた時期を長く経験すると、高血圧や心疾患はもちろん、ホルモンバランスなど体内のシステムが崩れていき、多くの深刻な疾患を招いていきます。その手前が、いわゆる不定愁訴です。

心を通さないから、不定愁訴の自分を憐れみます。自己憐憫に走るから、自堕落という自分の状態の改善にはいたらないのです。そして、この悪循環からは、抜けることができます。

これが最期かも。

特に昨年秋から、人に会う時、それがオンラインや手紙であっても「これが最期かもなぁ」と思うようになりました。悲壮感があるわけでも、自分が死にそうな感じがしているわけでもありません。ただ「これから色々なことが地球上で大規模に起きるなぁ」と感じ、今まで以上にふつうの当たり前のことの価値が上がり「あれがあの人と話した最期だった」となる回数が増えると、直感したのです。

だからと言って、別に人にいい印象を与えようとか、絞りだすように感謝を伝えきろうといった、特別な何かは一切していません。ただ、一瞬一瞬を自然と噛みしめ、より潔さを身につけるようになったと思います。

そして、現実において、みなさんの生活の中でも「あれが最期だった」と振り返る時が増えていくと思います。ただ、頻度こそ違えど、それは今までにもあったことで、特別ではありません。いつもただ清らかに、それを志向するのみです。

ゴミを半分に。

まな板、うんと軽いものへ新調しました。台所に来て、パッと桜色が目に飛び込むのは、うれしいです。

今年は、新年の目標/決意の1つに「我が家からのゴミを半分にする」が含まれています。ちなみに英語の先生が「似てるー、僕もプラスチックゴミを半分にすることが、レゾリューションの1つに入ってるよ」と、話してくれました。

ふくろうの置物を同時期に買ったり、何かとシンクロする相手の1人です。

さて、話を戻しまして、そう思ったのは12月あたりから、10リットルのゴミ袋が必要なくなってきたからです。「なかなかゴミ箱がいっぱいにならないなぁ」とゴミ出しできない日が続き、ゴミが減ったことを実感していました。特に意識しないでも、自然とそうなったので、意識したら半分ぐらいにはできそうだなと目処が立ったのです。

全体として買い物を減らします。また、ベジブロスもはじめてみようと思っています。大体、スーパーに行くと一気にゴミが増えるのです。オーガニックストアで野菜が揃わなすぎて、スーパーに行っていましたが、野菜くずを冷凍しておくことで、ここに打開策を見出せそうです。

泥のついた野菜なども、新聞紙に包んで渡してくれればいい程度だと思います。昔は、魚屋さんも新聞紙に魚を包んでいたと聞きます。ゴミが多いと、買い物自体もめんどくさくなりますよね。小売にとってもプラスにならないと思うのですが、みなさんはどう思いますか?

清潔にできる喜び!

掃除がもたらす喜びとは、清潔にできる喜びです。

(これは、思い込みで自分を縮こまらせるような、潔癖症の話ではありません。それは、既に自分をけがした状態に見られる現象です。)

私たちは、不潔だと苦しみを感じるようにできています。清潔になることでその苦しみが消せる、そんな風に自分を救えることは、喜び以外の何物でもないのが、わたしたちのデフォルトです。

ところが、自分の尊厳をまもらなかったり、汚いところにたたずむような、自分を汚すことが当たり前になると、不潔であることと同化しようとします。例えば「どこでも眠れる」が、目標になってしまうのです。

そして、不潔と清潔の境目を夕暮れのように曖昧にすることで、自分を傷つける人や出来事に近づけてしまうのです。そしてその痛みに支配され、回復する方向と、痛みだけを消す方向を取り違えるようになります。

清潔にできることは喜びなのです。もし、掃除をすることをめんどくさいと感じるなら、すでに自分をだいぶ汚してしまったのです。

自分をけがさないと、退屈は消える

自分をけがさない練習を、一針一針縫うかのように練習してきたクライアントさんは「何もしていなくても、見た目にはきついことが起きても、どこかいつもうれしく楽しい」と話すようになります。

楽しいことがないから退屈なのではなくて、自分をけがしていると自分がボロボロになってきて、傷に染みる痛みはあっても、いのちが守られ力づけられることが全くないので、退屈に感じるのです。

自分をけがさないと、風の日に蝋燭の火を守るように、命が守られ大きくなるから、自分の命の躍動感を「楽しい」と感じられ、躍動感に任せていけば物事が進むので、緊張や焦りがぐんと減ります。

では「自分をけがさない」ために具体的に今していることをどうしていけばいいのかを、お一人お一人に合ったオーダーメイドの形でお伝えするのが、今年初の単発コーチングです。自分から敷居を上げず、ひょいっと申込んでみて下さい。


~立春の単発コーチング~

■ 日 時:≪土日は他の時間もOK≫

– 2月14日(金)20:00~21:00
– 2月15日(土)15:00~16:00
– 2月16日(日)20:30~21:30

■ 対 象:≪以下を一つでも望む方≫
□ 退屈な日々から抜けたい
□ 自分をけがしたくない
□ 力が湧く経験をしたい
□ 幸せが何か、理解したい
□ 緊張を減らしたい
□ いつもうれしく生きたい
□ 誰も不幸にしたくない
□ 脅かされない心身創り
□ 感覚器や神経系の回復
□ 自分を引き上げる目標
□ 守護が何か、理解したい
□ 転落しない人生の設計
□ コーチングを試したい

■ 手 段:スカイプ or 電話
■ 参加費:33,000円(税込)
■ 定 員:3名まで
■ 〆 切:2月11日(火・祝)21:00

▼ お申し込み:https://is.gd/fy18ke

~ キャンセレーションポリシー ~

お申込みと共にキャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずともセッション費はそのままお支払い頂きます。幼児の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などは、日程を調整し対応します。過去にクライアントだった方に限りお子様と一緒のコーチング・お子様へのフィードバックも承ります。コーチングを申込んでいいかわからない状態にある場合、そう感じる状態を詳細に表しご連絡下されば、一緒に判断します。


この世は、玉石混交ではありますが、これを読むあなたは、玉を石に変えお金や仲間を手にし、転落することのないようこの機会を、ご活用頂ければ幸いです。

世界の主役になるアイデア

いつの時代も、世界の主役になるアイデアは「人間を幸せにするアイデア」ではないでしょうか?今「そうか、人間を幸せにするアイデアか!」と前のめりに突っ込もうとしましたか?そうではなく「人間を幸せにするアイデア」を含む文脈全体をみようとすることが、考える行為です。

「人間を幸せにするアイデア」から一歩引いて、それを含む文脈をみると「地球を/いのち全体を幸せにするアイデア」が、生まれて来ませんか?だって、食べ物を与えてくれるのも地球で、食べ物自体もいのちです。わたしたち人間が先にあったのではなく、地球が先にありました。人間は甘えん坊の末っ子として、地球に最後に生まれた存在です。

でも、昨今はその甘えん坊の末っ子ぶりが、地球を蝕み、戦国時代の武家であれば「あの末っ子を殺せ」と命じられていただろう存在になり果てています。すべてに害を与えている存在なら、駆逐されて当然ですよね。本当に末っ子がすべきことは何でしょうか?親を骨の髄までしゃぶりつくすことでしょうか?兄や姉に殺戮を働いたり、組み伏すことでしょうか?息の根を止めて「やったー!ぼく/わたしの方が強い!」と小躍りすることでしょうか?

ぜひ「地球を/いのち全体を幸せにするアイデア」が、末っ子の私たち人間をも必然的に幸せにしてしまうように、考え方に「清らかさ」を織り込んでいっていただきたいのです。なぜなら「清らかさ」こそ、人の本意であるからです。それはきっと、それまであったカラフルな毛糸のどれにも生めない、ラメの毛糸のような存在感を放ち、既に持っているものに命を吹き込み、素敵にしてくれます。日常のすべてに「清らかさ」という発想を織り込んでいけたら、人間は末っ子として真に愛される存在になっていくのではないでしょうか?

臭くないもの出そう。

このシリーズいいので、台所でも使うことにしました。

さて、この数年で、日本はあっという間に香料天国(毒物地獄)になりました。では、この逆を行くにはどうしたらいいでしょうか?

都市部の皆さんは気づかないかもしれませんが、公衆のお手洗いに入ったときに、私たちが出したものの残り香が年々強くなっています。特に、都市部ではその臭いがかなり強いのを感じます。

もしも鹿や猪などの動物が、今までになく臭い分などを知ることがあったら、それはその動物にとっての危機です。なぜなら、天敵に見つかりやすくなります。だから、自分の出すものが臭くなって、それを人工香料でごまかしてしまえという発想は、生き物として完全に狂っています。

香料天国(毒物地獄)から抜けていくには、わたしたち一人一人が、布を出しているものの匂いに、まずは敏感になることです。それは「臭い物に蓋」ではなく、排泄物から赤ちゃんの体調を知るお母さんのように、自分の出している物の匂いの変化にきちんと気づいていくことです。

そうすれば、香料天国(毒物地獄)からは抜けられます。つまり、今年の目標の1つに「年末には自分から出るものが、今日現在よりもうんと弱いかすかな(願わくば無臭)臭いになっている」を含んでみませんか?

皆さんがお手洗いでだすものの臭いが弱くなれば、いろいろ気にされれている他の部位の臭いも弱まります。全体として健康に向かっていくことは、言うまでもありません。

自分をけがさず生きる

節分が視野に入ってきた頃ですが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

もう日常の汚穢に塗れ、ぐだぐだになっていますか?それとも、今年初めの決意に、生活全体を引き上げてもらっていますか?

今日は最近よく読まれている記事をご紹介します。見逃されていたら、この機会をご活用くださいね!

○ 自分をまもる練習
https://wp.me/p2ZjtS-e8a

○ 子育てとは何か。
https://wp.me/p2ZjtS-a2q

○ Trust Your Life
https://wp.me/p2ZjtS-bEL

○ かわいくてどこまでも澄んだ音
https://wp.me/p2ZjtS-bM4

○ まくとぅそーけ、なんくるなさ
https://wp.me/p2ZjtS-8Ol

お気に入りは入っていましたか?

この後も a)汚穢の中で活発に動こうとするのか ↔︎ b)自分を穢さぬよう汚さぬよう生きるのか(すなわち、周りを穢さぬよう、汚さぬよう生きるのか)、しっかり選び続けて生きましょう。

幸福と希望

体内からのメッセージカードである大便、わたしたち一生に約9tも出すそうです。ティラノサウルス一匹ですよ、みなさん!毎日のこともあわせるとすごいことになりますね!

さて、幸福に向かうつもりで、満足を目指していませんか?希望を叶えようとしていながら、実際には欲望を叶えていませんか?

これは実によくある取り違えで、これをするほど、皮膚が分厚くなりギラギラした感じがでてきますので、ご自身の変化もそちらから捉えてみてください。他にも、積極的なつもりで、攻撃的になったりします。

まずは、青信号が幸福と希望と積極性で、その逆の赤信号が満足と欲望と攻撃性と捉え、自分が今日はどちらに行ったか毎日確認するところから、始めませんか?二択でまよったらどちらが青信号に近いか、考える練習も、大切です。

数値目標

無農薬のみかんが安価で手に入り、うれしいです。概して、無農薬や有機の物には、あとを引く変な甘さがありません。

より健やかでありたいクライアントさんにお伝えしている数値目標は、以下です。

・毎日最低でも睡眠8時間
・毎日最低でも運動2時間(ストレッチ含む)
・毎日最高でも仕事4時間(アウトプットのみ)
(・売り上げは前年比0.9〜1.1倍)

これで、残り10時間あることになります。この10時間に掃除・洗濯・食事作り・移動・インプットなどを入れていきます。

例えば、仕事前に机を拭くとか、仕事に関連する勉強会に参加する(インプット)は、仕事の下ごしらえに当たるものですから、上の仕事時間には当然換算しません。会社内でしたら、会議時間を削減するため、経営の実行力を落とすようなパワポで大量に企画書を作る文化から脱し、A4一枚にまとめる文化に変える必要がでてくるでしょう。

そして、上の仕事時間(最高でも4時間)の中身は、うんと濃厚にしていきます。濃厚にするための仕組みづくりは、残り10時間で行っていくことになります。

年末年始は、暮らし方を変えられるいい機会ですから、ぜひ上の数値を使って、みなさんも暮らし方を変えてみて下さい。実際にこの数値をかなえている人ほど、健康診断の結果が良くなり、取引先の質が良くなり、家庭でのコミュニケーションが改善しています。

お金持ちは1円を大事にします。料理上手は大根の葉を捨てません。雑じゃない主婦は、襟の汚れだけ洗濯石鹸で洗ってから洗濯機に入れます。そんな風に、あなたは5分を「かけがえのないいのち」として扱う、自分の尊厳をまもれる人になってください。

田舎の飲食店

川べりに実っていた赤い実が美味しそうでした。そう、わたしは田舎に住んでいます。

人が多いところつまり都会だと「この料理がおいしかったから他の料理もおいしいだろう」と言う発想が、大抵当たります。

しかし、人が少なかったり過疎化が激しかったり人の振る舞いがひどいところほど、つまり質の悪い田舎ほど、上記が当てはまりません。

例えば、ごまのケーキはおいしいけれどガトーショコラはイマイチで、ランチに至っては最悪だったりします。食べログ等の評価が一定以上を超えている場合でも、一点だけおいしいものがあるに留まります。

カフェや飲食店に求めるのは、おいしさだけでなく人とのつながりや休憩所としての機能など多々あると思いますが、人が少なくて店も少ないと、美味しくなくても高くなければ成立してしまうことが一因でしょう。

本当に、冗談抜きで記憶に残るまずさのお店というのが存在しています。評価サイトでの評判は、そこそこ良かったりします。そういうことが楽しめる幅を持つと、みなさんさらに自由に生きられるでしょう。

つまり、あまりの奇妙さや変な様に、怒るより笑っちゃう感じになるときには、見えないものがかなり感じとれている状態にあるということです。

今年の9月

見ていると、今年は9月に人生における方向感覚や自分自身を見失った方が多かったです。

そんな時の自分の特徴を知っておくと、危機管理上の仕組みにはなります。よくあるのは「やたらと天気のことを言い始める。それもまるで今でも四季がちゃんとあるかのような物言いをする」「妙に深刻になり、穴にはいった動物みたいになる」「(多くの重いことに耐えきれず、優先順位を見失い)何事も起きてないように「運動会晴れるといいなー」のような能天気な発言をする」でしょうか?

これらは、自分にとっての警報だと思うと、いいでしょう。つまり上は警報の例でした。

海で泳いでしばらくすると、どちらが岸かわからなくなります。9月は波にさらわれたように、岸と逆の方に向かい、方向を見失っては酔っ払ったような能天気で乱雑な状態に入る人が、とても多かったです。さらに一段深く狂ったということです。

そして、未だブイの近くでたゆたって「空が広いなー海は大きいな」といって、自分が方向感覚や自分自身を見失ったことに無自覚な人が、たくさんいます。岸はこっちです!

フェイクはあなたから力を奪う

毎日がちょっといいものになっていくには、あなたから力を奪うフェイクから手を離していく必要があります。「なんだかいいんだよね」「つい寄っちゃうよね」「イマイチって思ってたけど、この間見たらすごくかっこよくて、そこからハマって」こんな調子で語られることが多いのが、フェイクの特徴です。

こうしたフェイクは、みなさんの中で満足感や安心感として語られます。つまり、満足や安心は得られていないんです。「満腹感を得るために、ごはんに〇〇を混ぜて」と自分をだますダイエット同様、満足感や安心感を届けてくれるものは、みなさんを堂々とだましていて、みなさんはそうした騙しを両手を広げて招き入れている状態です。

「好きっていうより、手軽だから。満足感が得られるのよね」「安心感があるから、つい手にとってしまうの」「あの人と話していると落ち着いて。落ち着くっていうのともちょっと違うかなぁ?なんか安心感があるの」こんな感じでみなさんが、日々誰かに話している〇〇感というフェイクに、手を伸ばすことを止めて、〇〇そのものを生活に招き入れるんです。

みなさん自身は、決してフェイクではありませんよね?リアルに存在している自分の中に、フェイクを詰め込んでいくと、何となくの不安や不満や焦りが、毎日感じられてしまうようになります。だから、その逆をいくんです。

より大きな視野でバランスをとる

みんな被災者の時代に入りました。天災がふえ、それに伴う人の争いがふえ、さらにはタバコや違法薬物や抗菌洗剤や柔軟剤などの毒物や、以上を理由に狂った人の異常な行動により、みんなが被災者へとなっていくのです。

悩む具体的な要因が違うだけで、みんなが被災者で、もう平穏な生活は望めません。そんな時代には「自分はこれを満たすと心身共に調子良くあれる」という条件を極めて正しく知ったとしても、バランスはとれません。

むしろ「自分はこれを満たすと心身共に調子良くあれる」という条件を満たせない日が多すぎてイライラし、段々と強迫的になるのが落ちです。手すりを握りしめることが、怪我をうむこともあるのです。

だから、健康にいきたいなら、より大きな視野からバランスをとっていくことが必須です。そのためには、失敗の力と絶望の力に背中を押してもらえるようになる必要があります。

くさくないうんち

山によく登る方には常識かと思いますが、山で困るのはお手洗いです。わたしたちから出る尿と便は、基本的には生態系を壊します。

災害時だって、人目を気にしないとしても犯罪の心配がゼロだとしても「じゃあ、電気と水が来るまで、その辺で!」とできないですよね?匂いだけだって、大変なものです。

それで、新生児のうんちはそこまでは臭くなかったことを、思い出して欲しいのです。色々余計なものを食べだすと、くっさいうんちになります。

災害時や山で経験のない方も、くっさいうんちとそこまでくさくないうんち、どちらがより健やかだと認識しますか?くさくない方ですよね。

さらに、くっさいうんちとそこまでくさくないうんち、どちらが地球に優しそうでしょうか。厳密には菌の種類や土壌の状態によるとしても、やはりそこまでくさくないうんちの方が、地球には優しいです。

つまり、わたしたちは自分の健やかな未来を見据えても、子供にのこすきれいな地球を思っても、そこまでくさくないうんちを出していく必要があります。

地球環境を考えるなら、自分にも優しい未来をもたらしてくれる、くさくないうんちを出せるように、毎日をお手入れしてあげましょう!

お客様という仮面

先日、オンデマンドで「マスカレード・ホテル」を観ました。(以下、ネタバレします)

二軸として、一見逆に見える高級ホテルと警察があります。高級ホテルでは、ホテル滞在を仮面舞踏会のようにとらえて、お客様の素顔が見えながらも、その仮面に沿って動くことが良いサービスとされます。警察は、お客様(人)の素顔を同じように見抜いたら、その素顔をどんどん暴く方向で動くことが、職を全うすることになります。

どちらも「素顔を見抜いている」共通点がありつつ、その後の対応が真逆であることが、この物語を支えていました。それで、上記の職種に限らず、「お客様」になること自体が「仮面」になるのは、本質をついているなぁと思ったんです。

「お客様(患者なども含む)」になった途端、横暴になるなど、態度が変わる人はすごく多いです。新幹線のグリーン車に飛行機のビジネスクラスやファーストクラス、どちらも自由席やエコノミーより、ずっと使い方が汚くて、通るとスラム街のように感じます。「うわー心がすさんでいる人が座っていたんだな」と、思わざるを得ません。「お金を払えば、横暴になったり粗雑になっていいんだよ。そうやってお金で自由を買うんだ」と、お家でも子供に教育中でしょうか?

一方「お客様」を「仮面」にしない人もいます。「相手も仕事だからいいんじゃない?」ではなく「相手も自分と同じ人間だ」という姿勢が、人生を通じて貫かれているのです。そういう人がする仕事には、その人の生き方が現れるから、その仕事内容が何であれ、きれいだったり気持ちよいものになります。

日々、うつくしくありたいと「お客様」であることを堪能しているなら、この記事は何度でも読み返していただきたいです。

使命や天職を超えて

使命や天職という発想は、基本的にはキリスト教に代表される「神が人間をつくった」という視点が生んでいます。

あなたがまだ20代なら、こうした視点に立ってみて、進めるところまで進んでみるのは、悪くないと思います。

しかし、30代後半以降なら、こうした個人的で高揚感のある視点に、行き詰まりを感じたいところです。個人的である窮屈さに、触れていないと、人としての成熟度合いは低いといえるでしょう。

個人的な夢や欲望を追って現実にしてみて、その虚しさに視野を広げ、自分個人を超えていくことが当たり前になるのが、30代後半以降なら謳歌したい人生の在り方です。

使命や天職を超えて、人間という大海の一滴として、同じ地球に住む動植物に否応なく与えてしまう影響として、人生の目的に置くべきは、やはり物質として清まること(概念としてではない)以外にないように思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?

何事も机上の空論で受け取る方は「自分はもう40過ぎてるのにダメだ」「ストレスがかかると個人的なところに戻る自分を戒めなきゃ」のように、心身の統合が失われていないと出てこない発想をします。

そうやって、自分に蓋をしてしまわず、自分を決め付けて深く傷つず、時にそこに揺れが生じる自然を受け入れるだけの心身の統合を、まずは目標にしてみてはいかがでしょうか?

正しさと自由

みなさんの中で、正しさと自由は対立するものとして存在していることが多いようで、驚いています。正しさと美しさが対立軸になっていることもあれば、正しさと面白さが対立軸になっていることもあります。何でしょう…、サッカーとオーストラリアンフットボールとラグビーと…のように、似ているど同じではないスポーツが並んでいるのを、見ているような気分になります。

さて、正しさと美しさが対立している人の中では、正しさって何かを漂白するようなインパクトがあるみたいで、なおかつ必ず罰を連れてくるようなものとして、位置しているようです。正しさと面白さが対立している人の中では、正しさって窮屈なインパクトがあるみたいで、面白さによって解放されるみたいです。つまり、どちらにおいても、美しさと面白さが自由を連れてくるものとして位置し、正しさは不自由を連れてくるものとして位置しているようです。

でも、理にかなうという正しさだけが、どこまでも自由であることを可能にしてくれます。その正しさに沿わないと怒られるとか、仲間外れにされるとか、廊下に立たされるとか、そういうものではなくて、その正しさに沿うことで、みんなが調和して楽になって笑顔になって、無理しなくてよくなるからです。そうするとみんなの力が引き出されるから、どんどん自由になっていくんです。

正しさと自由は、同じ方向を向いている仲良しです。だから、わざわざ仲たがいさせないであげてくださいね!お願いします。

無事も幸運のひとつ

みなさん、幸運というと棚ぼた的な利益を、連想されがちではないでしょうか?

でも、今無事に生きていることも、幸運のひとつです。何か「嫌な」ことがあった方も、「うわぁ、嫌」にとらわれはせず、そこから学んで、未来にたくさんお土産を持ち込みませんか?

「こんな嫌なことがあった!二度といや」と嫌なことを回避する方へエネルギーを注ぐと、あなたは過去の住人のままです。嫌なことをズルズル未来を引き込むことになり、未来は狭まり窮屈になります。

「無事で退屈で、何もいいことはない」とふてくされれば、人生の輝きは翳りを見せていきます。今日も無事であったことに感謝して、自分の人生の輝きを絶やさぬよう、わたしたちはわたしたちの人生を愛していきましょう。

鬼から電話

「ほーら、鬼から電話かかってきちゃった!早く寝ないから」と、子供に思わせてくれるアプリありますよね?

でも、たいていのものって、大人の方が必要としています。ディズニーランドやシーも、LGBT絡みの教育も明らかに大人の方が、必要としていませんか?

国会中に「○○議員、閻魔大王からお電話です」とくるなら、もう少しみんな私利私欲を超えられるでしょうか?自分の弱さを子供に支えてもらおうとする大人には、ウルトラマンの口元のモデルになったとされる弥勒菩薩から「そんなことをしてはいけませんよ」と優しいお叱りの電話がくるといいでしょうか?

ちょっと責任ある態度を取ると、周りがひどいせいで「神がかっている」と、あまりに大仰に形容される時代です。ほんものの神様達は、こんな人間有り様をどう思っていると思われますか?

利益 ≠ 存在

「ご利益があったから、神様は存在する」そんな風に発想する人は、格別にわたしを悲しくさせます。

例えば、木陰に助けられたり落ちた銀杏が臭かったりといった、利益(=良い影響)/損害(=悪い影響)のどちらも私たちが感じないとしても、街路樹はいつもそこに変わらず「存在」しています。

このように、あなたにとっての利益とそれが存在するかは、関係ありません。こうした関係のないものを結びつける動きは、欲望によって先導されます。

良い影響(=利益)を受けたいなら、自分がまずその対象の役に立つことを考えましょう。神様がいるかどうかを自分の利益に照らし合わせてこねくり回す前に「どうしたら神様の役に立てるか」考えたことはありますか?

いのちがいのちとして在れますように。

明けましておめでとうございます。旧年中はお一人お一人に大変お世話になりましたこと、深く御礼申し上げます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

いのちがいのちとして在れるからこそトラウマというものが存在しえず平らかで和やかな人間社会の出現と、いのちがいのちとして在れるために概念としてではなく実際に体感として清い地球が取り戻されていくことを、切に願っています。

心とは脳ではなく、心臓とイコールでもありません。心ではなく心が宿る身体全体の方に、注目してください。その上で、身体全体が喜ぶ時間をうんとたくさん持ってみましょう。いい一年が始まっていくでしょう。お一人お一人のご多幸、心よりお祈り申し上げます。

暮れゆく2018年

暮れゆく2018年、いかがお過ごしでしょうか?10年前と比べて、地球上に天災は倍速で増えました。テロを含め人災はすさまじく増えました。遺伝子など操作してはいけないものを操作して、手近な利益を得ようとする動きは、ますます支持され、人間の思考能力は低下し、とんでもない方向へ進むことを進化と丸め込む、異常さがより際立ってきた社会になってきたことに、みなさんは、すごく気づいたか/わけがわからな過ぎて永遠に気付きそうにないか、どちらかでしょう。

全体としていえるのは、とにかく劣化し悪化しているということです。いいもの・真に発展したものを探すのは、至難の業です。その見分けがつかない人も、もちろん大半でしょう。見分けがつかないと「面白いから」と「否定は良くないよ」の二軸を振りかざしていくことになります。この二軸を振りかざす人が周りにいるなら、距離を置いていくことで、あなたの頭の中は少しはクリアになるでしょう。

いずれにしても、地球環境がみなさんがが生まれたずっと以前まで回復しないと、ますます何かわからない幸せに進んでいってはより過ちを犯すという、多くの人がすでに巻き込まれている流れの一派が、増えるだけです。他の人から賛同を得られたとしても得られないとしても、あなたにとって幸せとはこれだといえるものは、何なのか、変わらない答えを見つけましょう。

メディアや人数の多さで創り上げられるムードに巻き込まれ、そこに属することではなく、真実/理に属する生き方を始められると、それが幸せになる道だということに、歩きながら気づかれて行かれることと思います。

本年もたくさんの温かな支えやかわいらしい感謝を頂きましたこと、心より御礼申し上げます。来る2019年が、みなさまお一人お一人にとって、幸せと幸せへの道の両方をみあやまらない、健やかな一年となることを祈念しております。どうぞ佳いお年をお迎えください。

正しい気持ちよさ。

苦しいと「がんばっている感じがする」と、何かをやり遂げるプロセスにおいて、不快をなぞっていく方がいらっしゃいます。気持ちよくない方、もっと言うと気持ち悪い方を選ぶと、安心できるのです。「結果を出せないかもしれない」という不安の免罪符にもなるからでしょう。

また、そもそも何が気持ちよくて何が気持ちよくないかもわからない方もいらっしゃいます。さらには、気持ちいいこと=やましいことと捉える人もいます。お酒やセックスやランナーズハイの気持ちよさ、過去に経験した気持ちよさを並べてみて、途方にくれるようです。

正しくない気持ちよさは、つまり自分だけでなく、みんなにとってマイナスになる気持ちよさは、事実として不自由をもたらします。お酒の例がわかりやすいかと思いますが、お酒で気持ちいいとき、身体の一部は機能不全に陥っています。千鳥足になったり、ろれつが回らなくなったり、話したことを覚えていなかったりと、身体は不自由です。周りも迷惑します。

正しい気持ちよさは、事実として自由をもたらします。例えば、水泳をして気持ち良い時、実際に肩の可動域が広がります。仕事をして気持ち良い時、何かを否認したり抑圧することなく、自分のエネルギーをきちんと統合した状態で、フルに使えています。周りも「なんかいいな」と思えています。

わたしたちは、やりたいことを選んだつもりでも、結局やらなくちゃいけないことからは逃れられません。また、やりたいことだったはずなのに、プロセスにおいて「気持ちよくない」を選び続けてしまうと、しまいには何がやりたかったのか分からなくなります。

やらなくちゃいけないことから逃げるのではなく、やりたかったことにすがりつくのではなく、やると決めたことは完遂するのが大切であることは、言うまでもありません。だからこそ、プロセスにおいて、正しい気持ちよさを選択し続けられる自分に変容しておくことは、文字通りあなたの人生を変えます。

欲望の変形・変種。

悪口の多い人や「あの人/組織/地域は、ここが嫌だよね!わかる~」で人とつながっていく人は、悪い面だけみたいという欲にかられているかもしれません。

あくまでも一時的に慰めあい、ストレス低減をはかったり、感じている違和感を言語化するプロセスを一時的に共有しただけなら、一見すると悪口にも聞こえる一言や「あの人/組織/地域は、ここが嫌だよね!わかる~」という会話は、OKなのです。

でも、これを読んで「悪口言わない」「あの人/組織/地域は、ここが嫌だよね!わかる~と思わない」と、自らの中で押し込める感覚が生まれたなら、それは上に同じく、悪い面だけみたいという欲望があなたの中に住んでいることを、あばいてくれます。

ちなみに「良い面だけみたい」もやはり欲望です。上に書いたことと、表裏の関係にあります。「楽しいことだけ考えていたいから、台風のときはワイン飲んで映画みて、いい時間を過ごせました~」は、賢いのではなく、単に欲望なんです。

「楽しいことだけ考えていたい(良い面だけみていたい)」も「悪い面だけみたい」も、欲望の変形・変種に他ならないのです。ちなみに、相手の欲望を受け止めることは愛ではないこと、欲望を受け止めてほしいと願う相手をあなたは愛してなんかいないことも、付加しておきます。

欲望は相手も自分も傷つけ、傷がしみるからこそ、求め方はエスカレートしていきます。世の離婚劇や別れ話には、それがよく表れているでしょう。攻撃に欲望はつきものなのです。

深刻さは人を攻撃する

先日、プールの解約に行ったら「どうかされましたか」と深刻なエネルギーが飛んできて、ウッとなりました。その深刻さたるや、まるで私が血まみれか何かのようでした。

こうした深刻さが、相手を思いやって放たれることは一切ありません。撤退的に自分目線で、自分中心で、自分を安定させるためのものとして、放たれます。つまり、欲望です。相手の負担になるのです。だから、相手であったわたしはウッとなりました。

「どうかされましたか」という音だけ、つまり形だけみている人は、こうした内実は、一切自覚されないでしょう。

ちなみに、こうしたことは、たった一言のメールでも起きます。例えば「こないだの写真送るね」と書いて送る、電話番号だけを書いて送るといったことでも、全く同じことが起きます。形が「こないだの写真送るね」なのか、電話番号なのか、「どうかされましたか」なのかという違いがあるだけで、質は同じです。

エネルギーレベルでの事実として、欲望は相手を攻撃します。「ありがとうございます」という形の中に「利用してやる」が黒々と渦巻いているなんて、しょっちゅうです。

自分が相手を攻撃する回数を減らすことが、真の礼につながっていきます。そして、思いの他、あなたもこうした軽いレベルからもっと重いレベルまで、日常攻撃されまくっていたと実感できる機会を大切にしていただければと思います。

ストレスを解消する時間もない?

ストレスを解消する時間もない方はいらっしゃると思います。むしろ「ストレスなんてない」と思い込むことで、なんとか溺れないようにするのが精一杯位かもしれません。

「ストレスが溜まっている」「これはストレスなんだ」と認識できる方が、不健全度合いは低いです。その上で、どうやってこの先をひらいていきましょうか?

まずは、静かな時間を持つことをお勧めします。百貨店に行くより、森の中に行きます。テレビをつけるより、雨音に耳を済まします。そう言われてみて「たしかに」と自分が過去に経験済みの静かな時間を思い出せるなら、悪くないでしょう。

そうしたら次に、中でもどんな空間で過ごす静かな時間が格別だったか、記憶を探ってみてください。ゴミが落ちていないところや植物が生き生きとしているところや人が多すぎない場所を思い出された方も、少なくないでしょう。

それでは、本当にたくさんのことが一度に入ってきて混乱し、キャパ山越えでどうしようもなかった時、たった15分をどこで過ごすことで、切り抜けてきましたか?それは上では思い出した空間と、同じだったろうと思います。

その空間で、静かな時間を過ごすことを大事にしていくと、ストレスを解消する時間そのものが、不要になっていきます。

スマホを見たり気持ちに巻きこまれてうつむいてばかりいないで、たまには拝殿で神様の前で、顔を挙げましょう。そしてしばらく境内にたたずんで、静かな時間を味わわせていただきましょう。

思いと欲望を区別する。

「色々やっているのになぜうまくいかないんだろう?」そんな思いをしている人は、まだ欲望と思いを混同しています。

例えば「好きな人のそばにずっといたい」は、多くの人にとって甘く響いたり切なく響くでしょう。何か良いものとして、受け止められていると思います。しかしこれは欲望です。つまり「好きな人のそばにいられない」は、あなたの心身の負担になる思いに過ぎないのです。

「えー!」「ひどい」なんて思ったかもしれませんね。ラディカルに聞こえるかもしれませんが、もう少し読み進めてみてください。

特に子供の頃、入院中の友達や寝たきりのおばあちゃんに、何かきれいな感覚を感じた人もいると思います。それは、お友達やおばあちゃんが体が動かなくなって、欲が減った状態だったからです。そのとき、お友達やおばあちゃんは、心身にとって本当に必要なことと欲望を混同しづらい状態にありました。だから、そうなる前よりも、少し深い話をしやすかったはずです。

もしそこで「好きだから一緒にいて」と、何年も何ヶ月も言われ続けたとしたら、そのお友達やおばあちゃんを思うと、あなたも苦しくなるだけだったろうと思います。欲望を向けられることは、あなたの心身の負担になるからです。

何度も読み返して、あなたの中でどこかいいものとして評価されている思いの中に混ざっている、実はあなたの心身に負担をかけている欲望を見つけだしては、思いと欲望を区別してみましょう。

畏怖の念から動けない?

「畏れ多くて近づけない。動けなくなる」という方が、時々いらっしゃいます。良さそうに聞こえるだろうと思います。

でも、畏怖の念から動けなくなる裏には、ごっそり欲望があります「畏れ多くて近づけない。動けなくなる。だって近づけるように自分を変えようとは思わないから」が、本音です。

新陳代謝が象徴するように、私たち人間にとって自然なのは、変わり続ける態度です。何かに押されるように、変化を強制されるのではなく、自分の意志で自分のなりたい姿に変わっていく態度が、人間の自然な姿です。

その自然な有り様を否定し、不変という不自然さを生きようとするから「畏れ多くて近づけない。動けなくなる。だから、近づける自分に自分を変えていこう」という人間として自然な発想が、出て来れなくなるのです。

そして「良さそうに聞こえるからいいや」と思考を閉じてしまえるのが、他律的な態度であるのは、言うまでもありません。

まもられるべき存在。

精神的に脆弱な(fragile)人は、いつも自分中心で自己主張から入ります。

例えば、子供中心にするなら「こぼさないようにお皿を手前に置くのよ」と言えばいいだけですが、精神的に脆弱な人は「お母さんがいつも言ってるでしょう?なんでそんなふうにこぼすの」と「私はちゃんとやっているのだ」という正当化から入るのです。

例えば、子供中心にするなら「ウェストゆるくない?」と確認すればいいだけですが、精神的に脆弱な人は「お母さん昨日の夜、ウェスト詰めておいたから。履きやすくなったでしょう?」と、承認欲求丸出しです。さらにそれをわざわざ、大声で言ったりして「私はちゃんとやっている」と主張します。

精神的に脆弱だと、自分がまもるべき相手から「褒められたい」「認められたい」と願い、それが叶うと広げた風呂敷のようにベターッとして、思考が止まります。

私たち人間がまもるべき存在は、大きくいって、1) 神様と名付けられたようなずば抜けて清い存在 2) 成長途中であるため未熟さを当たり前とする子供、です。神様と子供は、まもられるべき存在なのです。

大人がまもるべき存在に、大人のあなたが「癒された〜」と感じ「あれもこれも叶えてください」と伝えるのが、いかにお門違いか、ご理解いただけましたか?