怒らないから生まれる損失

命を長らえたい方は、こちらご覧ください。

さて、多くの方が誤解しているのですが、怒りは相手を傷つけません。むしろ、怒りを抑圧して生じる恨みこそ、相手を破壊します。「怒り→手を挙げた→ケガさせた」のように見て「はじめの怒りを抑圧しよう」という発想は「怒れば必ず手をあげるし、それも怪我をさせてしまうほどだ」と、一緒くたにしています。

怒りほど、あなたを守ってくれる感情はありません。怒りは、相手との関係を続けようとするから生じるポジティブなものです。

例えば「今こんなことをされて嫌だった、怒っている」と紙に書くことだって、怒りの表現です。決して、怒り=暴力のようにはなりません。

心に傷があると、怒りという自分をまもる力についても誤解し、むしろ本当に人を傷つけてしまいます。さらに、恨みをもっていれば、人と親密な関係を築けなくなり、「がんばらないと!」という意識的な状態にばかりはいって、無意識がその力を失い始めます。恨みがあなたにもたらす損失、つまり怒らないことで生まれた損失は、非常に大きいのです。「がんばらないと!」という意識的な状態が、無理しちゃうfakeを生んでいきます。

隠ぺいのミルフィーユ大国では、恨みも降り積もって、その厚さはかなりのものです。その破壊力を、非常に危惧しています。

未来にいてほしい事業者をまもる

スペインにいらっしゃるサッカーの柴崎岳選手からのメッセージ、ぜひ読んでいただきたいです。

さて、お気に入りのお店が急に閉店になったり、ずっと続けてくれていると思っていた治療者が、その人自身病気に罹られてビジネスをクローズするようなことは、ウィルス感染がなくとも、あることです。

そんな時に「えー困る!」「残念~」で終わらせていませんか?みなさんが、未来にいてほしいと願う、つまり現在なんらかの恩恵を受けている事業主(お店や会社含む)に、こんなcatastropheの時こそ(三月中旬のフランスのTVでは、10分間にこんなに何度もいう?っていう程、このワードが繰り返されていました)、お金が巡るように、消費していきませんか?

笑顔がすてきな販売員さんに励まされたり、「これ取っておいたよ」と伝えてくれる八百屋さんの優しさにじんわりしたり、「それだけ悪いこと続きなら、来年は絶対いい年になりますよ!」と歯科衛生士さんに親身になって話をきいて頂いたり(これ私です(笑))、そういう心の交流があったり、質の高いものを提供してくれることでこちらの気持ちがしゃんとしたり安心できるような、そんなお店・オンラインサービス・職人さんなどを、何人か思い浮かべてみて下さい。

そして、今ちょうど買いたかったものがあるなら、そうした場所で買えば、あなたはあなたの未来にいてほしい事業者を、少しだけですがまもることができます。「ま、いっか」と見放す道もありますが、この態度は自分にいつか返ってきます。

ちなみに、わたしはこの夏行くはずだった富良野で、ラベンダーのアイピローを買いました。わたしは、ちょうど夏時間・冬時間の切替えと重なったこともあって、海外で毎日だされる決断の嵐でクライアントさんのご都合がどんどん変わり、事実上鎖国状態に入った国の方もいて、一緒になってその荒波を潜り抜けた疲れを癒しています。

望む未来は、こうして創り出していくことができるのです。

靴のかかとに黄色のステッカー

結婚式は5人以内で/お葬式は10人以内でと、細かく制限のかかったオーストラリアでも、かなり面白いことになっています。

さて、わたしはまだ見かけたことがありませんが、靴のかかとに反射剤でできた、黄色のステッカーがあったら「認知症です。声をかけて」という発信だそうです。ちなみに、赤色のステッカーもあり「認知症です。すぐに守ってあげて」というSOSだそうです。

ステッカー自体は、兵庫のNPO「日本ハートフルサポート」が2011年に作り、2020年2月現在で、約200もの自治体で採用しているそうです。

歩いているとき、なかなか靴のかかとは見ないかと思うので、バスに乗っていたり車を運転中の方が目線が低くなりやすく、また夜間の方が意外に気づきやすいのかもしれません。新型コロナウィルスで、物理的には人と近づきづらいかもしれませんが、心理的に人と近づくことは可能です。警察に一報してあげるなど、できる範囲で、心の距離は近づけていきませんか?

トイレットペーパー騒動は、いかに信頼のない社会かをあぶりだしました。それでも、こうして私たちが生きているのは、あなたの知らない誰かがあなたを気にかけてくれた瞬間があるからです。今、その恩返しをしませんか?尊厳をまもりあえる心に傷をつくらなくていい社会を、あなたからつくり始めませんか?

あれ?おやっ…

社会経済システムが、地震に手もあったかのようにぐらぐら動いていると、今まで信じて疑わなかった思い込みや決めつけに、気づかせてもらいやすくなります。

普段から「あれ?おやっ…」と疑問や違和感が浮かび上がる瞬間には、全く同じことが起きているのですが、社会経済システムが大きく動くとき、それが今まで以上に大きく起こってきます。

本来こうした「あれ?おやっ…」は、思い込みや決めつけから脱皮し、新しい考えに導いてもらえる貴重な機会です。この機会に、めちゃくちゃ恵まれている今です。

それなのに「これからどうなるんだろう?」と、今を生き切らない選択をしていませんか?心に傷があると、すぐに未来や過去が気になってしまい、今を十分に生きられないのです。何が起こるかわからないのは、いつも同じではありませんか?

無理してる!の質

「あの人無理しちゃって〜」は、英語でなんて表すと思いますか?考えた方が面白いので、面白いのが好きな人は、考えてから先を読んでくださいね。

「あの人fakeだ」と表すんです。ほら、頭の中が引っ越し直前の部屋みたいに、すっきりしました?

みんな無理して何してるかというと、ストレスためて地球よごして自分もけがして、不幸に苦しんでいます。それがfakeの終着駅です。

「無理してない感じが気持ちいいね〜」の人、つまりauthenticな人はストレスは減らせて、地球への負荷を最小にするのがレジャーで、自分はいつも澄んでいて、幸せがスパークリングしているわけです。

「無理してるのは、がんばってるからだ!」のみなさん、頭からもう一度読んでみてください。

一緒にいたいのは?

問題解決力がないと、仲間を作り一緒にいたがります。何となくの雑談で、問題だと認識していないことが、解決される可能性が高まると勘づいているからです。

例えば、わたしは先日「服にしわを作りたくないなら、その服のしわができそうなところにジーンズなどしわになってもOKなものを挟めばいい」と聞いて、今まで自分がそれに気づかなかったことにびっくり仰天しちゃったのですが、そんな感じです。

しかしそこで「だから仲間が必要」と発想するのは、心に傷があると認めたくない人の発想です。そこで必要なのは、より踏みとどまり深く思考できる力の方だからです。わたしの例なら「しわにしないために!」と粘り強く考えたことがなかった態度を生んでいた思考などの癖を改善するのが、王道です。

「だから仲間が必要」と発想する人はそこに何となくの不安を持ち込むため、互いに離れられなくなります。互いを阻み損いもたれあう依存関係にもなるのです。心の傷同士で癒着するから、やっかいです。

そんなふうに、自分には心の傷があり回復できると認められないと、傷を維持したりさらに深める方へ進んでしまいます。

例えば、多読を好む人は、自分事として考えられないからこそ、一冊や一文から得るものが僅かとなり、多読が可能になっていたりします。本来なら本一冊を理解することは、人生を変える力を持ちます。しかし、プライドが高く人に聞けないと、知識の吸収に余念がなくなります。理解はなされないから、思考や自覚は深まりません。そうして、傷は維持されたり、無自覚に深まっていきます。

継続は美徳として捉えられがちですが、実際は問題解決力がないから動けず、同じ職場や同じ土地にいることがほとんどです。心の傷はこんな風に、人生に不自由さを浸透させてしまうのです。

庇い合う裏に

心に傷があると、痛みを感じないように、心を通さないという自分を貶める時が流れていきます。「それは正しいのか?まちがっているのか?」にいって「ふぅー正しかった。セーフ」と思って、隠れ家にいるような安心感(安心ではない)を味わうのもつかの間「これはまちがっているのか?」と次に対処しようとします。常に怯えていて「こんなにこわいのだから、不安なのだから、庇ってほしい」という気持ちを強く抱えて、震えています。

この態度は、全体をつらぬく理を生きる態度・理自体を進化させる態度の真逆です。この態度で、真実を追求できることは一切ありません。

ジャッジをリファーするのでなく、自分の気持ちそして相手の気持ちをリファーするのです。気持ちがわからない人は、まず身体感覚を丁寧に拾う練習から始めていくのです。例えば不安な時とショックな時の、身体の状態の違いを知って、そこから「今自分は不安なのではなく、ショックなのだな」と、自分を認識する回路を生んでいきます。心を通さない人は、ご自身のことも無自覚にだましていますから、気持ちの掴みようがない状態にあるため、これが一番早くて確実な方法です。

こうしたハートを通さない態度は、相手を怯えさせますが、そうした自分のインパクトにも全く気づきようがないため、心を通さない仕組みを変えない限り、健全にリーダーシップを発揮することや、健全な教育者になることは、不可能なんです。自分がハラスメントを起こしていることにも、無自覚です。自分の痛みを見ない人が、人から信頼されることはないんです。庇い合いは、あくまでも自分しか見ていない閉じた行為なのです。相手を見ずにできる行為が、愛であるわけがありません。

溢れる洋服

これだけ中古市場が発展しているのに、国内だけでも、毎年作られる新品の服の半数が廃棄されるそうです。「ブランド価値」をまもりたいからと、ブランドの服を廃棄しゴミ処理場でもえたところまて見届ける専門業者まで存在します。

実(本来の価値)ではない虚をまもろうとするから、複雑なプロセスや余分なコストや汚染がうまれていきます。

さて、洋服が溢れている人をみると、ナンバー2やナンバー3の服を買っています。そうすると少しずつ不満が残るから、逆に捨てられなくなってしまい、蜘蛛の巣にひっかかったチョウのように、身動きを封じられます。

洋服が溢れるとは、内的な混乱をあらわしています。つまり、心に傷があるのです。性的トラウマや愛着障害との関係も、深いのです。誰にも気づいてもらえぬまま、精神疾患を抱える人も少なくありません。

自分にとってナンバー1の服を選び切り、自分にとってナンバー1の服を身につけるようにしてみませんか?

大人も『こども六法』

皆さん六法全書を読んだことがありますか? 私は法学部出身でもなく、法律を部分的に調べることはあっても、六法全書はお門違いだと感じていました。

もちろん、本屋で何回か六法全書を手に取ったことはあります。開いてパラパラめくったことも何度もあります。しかし、日常でどう生かすのかイメージができず、そのまま棚に戻していました。

しかし『こども六法』は手に取りパラパラめくって、迷わずレジに直行できました。自分の中では「ついに!」と言う感覚です。この感覚最高じゃないですか?

『こども六法』とはいえ、小学校高学年以降対象の印象てす。内容は大人にとっても、頭がすっきりすることばかりです。子供に焦点を当てた形で制約はあるものの、全体像が見える喜びを味わえました。

クラウドファウンディングで作られた本で、子供時代にいじめ被害者と加害者側の両方を経験した著者が「あの頃の自分に」との思いで、たくさんの人を動かし、生まれました。

圧倒的なわかりやすさだけでなく、生まれた経緯も素敵でした。お子さんのいる方はもちろん、お子さんのいない方にも読んでいただけたら、助けになると思います。

どうぞ自分の命を守ってください。それは、肉体よりむしろ魂や霊を守るということでもあります。虐待に関する法整備は、やはり肉体に向けられたものが多いように見えます。魂の殺人とまで言われる性的虐待は、今もなお随分と軽く扱われている印象です。だからあえてこう言いますが、あなたやあなたの大切な人の魂や霊を、つまり尊厳を守ってください。

真の変容はスムーズで軽い

本当に人が変わる時には、重い腰を上げる感じはないものです。それどころか、本人も自分の行動に驚きながら「あれ、すごく大事だと思っていたものが、急に大事じゃないとわかって…」と、砂の城に気づくような感覚で、スムーズに軽やかに行動を起こし、その習慣・もの・人脈などからすぅっと離れます。そこに、苦しみや痛みがありません。

あらゆる選択が変わりますが、意識の上で「自分を変えよう」とすると、今まではABCをみていたけれど、これからはDEも見てみようといった発想になり勝ちで、その結果得るものがあまりなかったりします。一方で、上のように変わる時には、今まで見ていたABCの内、今までちゃんと自分で吟味してAを選んでいたつもりだったけど、実は内心Bがほしいと言ってはいけないという気持ちがあったから、Bはきちんと吟味するふりだけして「ほら、自分はちゃんと選択するプロセスを経て、やっぱりAを選んだのよ」と、自分を説き伏せるような感じだったことに、何の抵抗もなくBを選んだ後に自覚できたりします。

痛みや苦しみを変化に見る方たちは、本当の変化は未経験でしょう。

若さだけに支えられていませんか?

以下にみなさんが、毎日時間を使うものは、入っているでしょうか?

– Facebook 16年
– Uber 11年
– Twitter 14年
– Google 22年
– Netflix: 23年
– Amazon 26年

費やす時間は、1日の何パーセントくらいでしょうか?年数は、創業からの年数です。パーセンテージが高いほど、みなさんの毎日が、若いものに支えられていることになります。他にお持ちの物や洋服も見てみて下さい。

最新のものに囲まれていることは、若いものだけに支えられていることとイコールのこともあります。転じて、住み処である家が若い木ばかりでつくられたとしたら、どうでしょうか?せめて、100年以上続く店で買い物をしたり、三世代先も利用してそうなサービスを利用することを、生活の2割くらいは混ぜませんか?

あなたが滅ぼさずとも。

靴の色を変えてくれるサービスが、あるんですね!

さて、特に、事件や事故で人を亡くすと、置き場のない気持ちがたくさん湧いて、足場を奪われたような感覚にだって、なりやすいでしょう。

仮に交通事故ならば、加害者と被害者が明確にいます。事件はよりこんがらかりやすいので、時をずらし、同じ人が加害者で被害者にもなることがあります。

そうすると、わたしたちは加害者あるいはそう呼べそうな人を断罪したくなり、自分がいかに怒っているか主張したくなり、死者が浮かばれるようにと、たたかいたくなります。

ただ、その動きに同調する加害者も被害者もあるいは関係者も、その時、死者のことをみていないのです。死から目を背け、時に死者を盾にして自分が崩れないようにします。

あなたの選択であり、何の強制力もありませんが、もし亡くなった方に本当に安らかに眠ってほしいなら、平安を贈りたいなら、死を死者を見てください。例えば、太陽がのぼれば、どうしようもなく朝です。「いや、もうすぐ夜だ」とあがいても、太陽はどんどん高く上ります。そんな風に「望んでいなくても、今は朝だ。朝が来たのだ。次は昼が来るのだ」と理解し、解釈せず、その状況を受け入れるのです。

加害者も被害者も死者を見ることで、互いの平和が始まります。関係者全員が死をみたとき、初めて大事な人も安らかに眠れます。

あなたが加害者を滅ぼさなくても、つまりあなたが断罪せずとも、自らの罪で死んでいきます。あなたは、加害者より、死者を見てください。それが根底にあってこその、訴訟です。そうすると、裁判で物事が整理された後、あなたにも深い平安が訪れます。加害者も平和の中にあれるから、本当の意味で罪を償うことができるようになります。

命を力づけられる喜び

食事がもたらす喜びとは、命を力づけられる喜びです。つまり、命を力づけないご飯が食卓に並べば、食卓はざわざわし、余計なおしゃべりも増え、マナーもおかしくなり、食べ物も粗末に扱うようになります。

水も土も空気も、そこで育つ生き物も、調理する人間も含めみんな汚れていますから、食事をとっても「食べた気がしない」感覚になりやすく、あるいは「食べたくない」と思い始め、バランスを崩しやすくなっています。

強いて言うなら、自分より汚れていないものは食べられるけれど、自分より汚れているものは食べられません。つまり「おいしそうなものがたくさんあって、迷う」とは、そういうことなのです。

凄い技術を持った、世界的に認められたシェフが作るご飯も、残念ながら「素材は良いのだから、そのまま出してくれたらよかったのに」と思うレベルであることが多いのです。工夫を重ねた努力は十分に理解できても、いかんせん命を力づける食事にはなっていないのです。

かわいい器に盛り付けたり、素敵なランチョンマットを引くような飾り付けは、新たな視点は与えてくれても、なかなか命までは力づけてくれません。

調味料にこだわったり、珍しい料理を作ったり、手の込んだ長時間かかる料理を作るよりも、命を力付ける湯豆腐やおひたしのような簡単な料理の方が、子供も大人も呼吸が深くなって、穏やかな幸せそうな顔をします。

命を目減りさせる食事をしていないか、命を力づける食事作りを始めるためのファーストステップは何か、整理整頓から始めてみてください

資質でも努力でもなく、環境。

目標が苦手な方を見ていると、目標達成には資質や努力が大切だと考える一方で、環境を軽視している傾向があるように思います。

もちろん、どんなに劣悪な環境でも、資質があれば伸びたり、努力を淡々と続けられたら伸びるということはありますが、それは資質や努力できる才能がずば抜けている場合です。そうではないと自覚できるなら、環境を重視した方が、圧倒的に目標達成率は上がります。

目標は叶えることが目的ですし、目標を達成すればそこに新しい環境も広がって、さらに目標達成率が底上げされるわけですから、素直に「目標が叶いやすい環境づくり」に精を出すのが、賢いんじゃないかと思います。

例えば、わたしは都市在住だった頃、水筒を持ち歩くことが習慣化しませんでした。そこにすぐ自販機やコンビニがある環境でした。そうなると、わざわざお茶を作って水筒にうつすことが、手間に感じられてくるわけです。

ところが田舎に住むと、その辺に自販機やコンビニなどないので、特にうんと寒い日や猛暑の日には水筒を持っているかどうかが生死に直結してきます。そこで、わざわざお茶を作って水筒にうつすことが、いのちをまもる行為として感じられるようになります。さらには、実際に水筒を持ち歩いてみると、それだけでは水分が足りないことがあるのです。そこで、自販機やコンビニで買うと、買ったもののまずさが際立つのです。さっきまで飲んでいた自分の水筒にあったお茶と、手間暇かけたと書かれているお茶の味が、愕然とするほど違うという事実を、毎回目の前に突き付けられて、うんざりするのです。そうなると、都市部にいてすぐそこに自販機やコンビニがあっても「あんなに愕然とするまずさのお茶、絶対に買いたくない」と思うわけです。わざわざお金を払ってまずい物を買う、そんなあほらしいことはしたくないと思うわけです。これは、新しい環境がわたしを連れてきてくれた世界です。

実際、都市部の人ほど味覚や嗅覚がめちゃくちゃで、ツボ押しみたいに舌のポイントをおす仕組みの味に「おいしい!」と反応するという、仕掛け側がニンマリする人間になっているのが、なれの果てです。おいしさとは、もっと全体に人生を優しく底上げしてくれるようなじんわりとしたもので、ツボ押しみたいな感じではないということも、都市部の人は受け取る余地がないようです。

そんなわけで、資質や努力にこだわって環境の力を使っていないなら、それはもったいないだけでなく、能の前帯状回も活発になって、簡単に言うといい方向にあなたを進めていません。ぜひ、環境整備に目を向けてみてください。

パーフェクトに循環する人生

今日、水瓶座の新月みたいですね!

さて、理想としては「亡くなると同時に、全てのものが行くべきところに行く」から、自分が亡くなった後に誰も煩わされず、ゴミも出ず、すべてがすいっと次のステージに進むような感じになるといいと思っています。そうしたら、亡くなったインパクトが悲しみに沈むというより、ハッと姿勢を正すものになるでしょう。

寿命を全うすること自体難しい地球環境ですが、寿命を全うすることはとても前向きなことです。亡くなることは後ろ向きなことではありません。

使わないものをいつまでもため込むことは、物を大切にすることではないですし、大切にしていた物を置き去りにすることも、物を大切にすることではないですよね。

整理整頓は、自分の命/時間を大事にするだけでなく、周りの命/時間も大事にできると思っています。まだ伸びしろがあるので、楽しみながらやっていきたいなと思います。

風美しいこの丘を

私は父の転勤などで、公立の小学校を三校経験しました。どの学校ももちろん校歌がありましたが、覚えているのは、1つだけなんです。なぜ覚えているかというと、初めて聞いたときに「美しい」と思ったからです。

「学校はどこと聞く人に 見せましょう 風美しいこの丘を 秩父の山の紫を」

わたしが覚えている小学校の校歌は、こんな風に始まります。豪華なことに、作詞は「ぞうさん」などでおなじみのまどみちおさんでした。

この小学校のあった場所は、ランドマーク的なものがあるわけではなく、そういう意味で自慢できるものはない場所なのです。いわゆる「何もない」で片付けられると言う印象をみんなが持ちそうな場所で、僅かに見える、言われたら紫にもみえる秩父の山々をたたえ、風という目に見えないものの美しさをたたえ「そんな素晴らしさが隠れていることにちゃんと気づけた?」と、まどさんがウィンクしてくれる感じがするんです。

そして、そんな隠れた素晴らしさに気づけたんだから「学校はどこと聞く人に、その目に見えないものを見せてあげて」と、誇りの本質を教えてくれています。

「(お金や能力や機会)がない」からと、買い物にがめつくなったり、パートナーに嫉妬したりして、苦しみを深めてギリシャ彫刻みたいにしている人をみると、わたしはいつも、この私が数年通った小学校の校歌を思い出すんです。

そして「この人の中の隠れて見えない素晴らしさはどこかな?」と、楽しくなります。

人生の躍動感

わたしはGoogle Calenderは使わないです。7年ほど前、パソコンとスマホやiPadの間で、時差も作用し、スケジュールがうまく同期されずに、迷惑を被った経験が二回あるから、信用してません。

それで「時間を大事にする」ことを、スケジュールを詰め込むことだと思っていると、残り時間や締め切りが壁のように迫ってきて、不自由を感じると思います。

そして、ダラダラできる時に自由を感じるようになって、どんどん緊張感か解放感がだけを味わうようになります。この状態は、人生に躍動感を与えているとは言いません。ただ振り回されているだけです。この状態にあるときに、その人を動かしているものは欲望です。強い欲望を満ためにやっているだけです。

一方、時間をかけがえのないものと捉えて本当に「時間を大切にしている」状態にあると、残り時間や締め切りだけではなく、そもそも自分の人生のビートをその時々で選んで、違う音楽を奏でているような感覚が生まれます。

だから、予定を立てるときも、分単位で立てて、それがビートになっている感覚を持っています。時に来る締め切りや残り時間は、その音楽を盛り上げてくれるものと言う感じで、打ちのめすようなプレッシャーと違います。締め切りや分刻みのスケジュールや残り時間が、人生に躍動感をもたらして、充実感を高める素材としてあるのです。

何かにつけて「頑張ろう」と思う瞬間の実像は、自分に対してすぐスパルタになってしまう中身は、自分の欲望を野放しにし、強欲に身を委ねる姿勢です。だから、どんどん息が詰まっていくのです。

一方、時間によって自分の人生に躍動感を生んでいると「忙しい」もなかなか口をついて出なくなります。息が上がることはあっても、呼吸はきちんとされています。自由なままなんです。

クリアになりましたか?

歯医者の麻酔のように

わたしの住む辺りは雪がふると、山が神隠しにあったように消えることがあります。

さて、歯医者で麻酔をされ、麻酔が完全に切れる前に軽くご飯を食べてしまったりして、思いっきり口の中をザクッと噛んでしまった経験はありませんか?

食べ物と唇の区別がうまくつかなくなっているのです。麻酔が完全に切れると口の中を深く噛んでしまったとやっと自覚できて、傷の深さに驚いたりします。

心がショックを経験すると、心でも同じようなことが起きるのです。「そろそろ麻酔が切れてきて、食べても大丈夫なんじゃない?」と状態を正確に把握できなかったのと同様に「ショックだったけど割と冷静に対処できた。もう大丈夫なんじゃない?」と、やはり状態を不正解に把握します。

このいわば麻酔が切れていない状態で、残業を頼まれたり、徹夜することになったり、急な案件が続いたりすると「むしろいつもより頑張れるかも」くらいに思ってしまいます。感覚が麻痺しているので疲れた自覚を持てなくなっているのです。ここで気づけないと、どうなるでしょうか?

コミュニケーションが雑になったり、ミスが多くなったりして、全体としてめんどくさくなって、いつも何かだるく感じます。そのうち、それまで気にならなかった音を気にするようになったり、前ならスルーしていたことにイラッとするようになったり、いつも不安になったりして、自分に集中することが難しくなっていきます。

こんな状態は多くの方にとって、経験ずみだったり、想像できる状態ではないかと思います。トラウマは、こんなふうにみんなのものなのです。

やり遂げた瞬間こそ、感謝。

部屋が水仙の香りでいっぱいです。

さて、何かをやり遂げたとき、みなさんは何をしていますか?打ち上げで解放感味わったり、気が抜けてしまって寝込んだり、何もやる気がでなかったりしていませんか?

もしそうしているなら、ゴールは同時にスタートであることを理解していませんね。

「こういう結果を出せたので、いつもお世話になっている(社外の)あなたにも報告しようと思って」「今日無事に成功できたので、この間相談乗っていただいたことに改めて御礼を伝えたくて。」

そんなふうに連絡すれば、思わぬ知恵やチャンスを授けてもらえたり、あなたが本当はどんなことを頑張っている人なのかよりきちんと理解してもらえて次につながったり、良い未来に向けて良い波紋を広げていけるのです。

やり遂げた瞬間こそ、少しでもお世話になった方や気にしてくださった方に、ちゃんと感謝の報告をしましょう。

かける時間より、密度。

今年のスケジュール帳は、書き心地が気持ちいいMDノートシリーズにしてみています。モレスキンは数年すると表紙がポロポロとれて気持ち悪いので、やめました。

さて、いわば時間破産して、無力感にとらわれていませんか?

そういう状態にある方を見ていると「過ごす時間を濃密にする」視点は抜けていたり薄いようです。「これは○時間かかるものだから」と決めつけず「今はこれについては○時間をかかる」と、事実のみをちゃんと見るのです。

毎日、わたしたちは時間を濃密にする機会に恵まれています。仕組みの見直しや、新しい技術を使った道具を取り入れるだけでなく「自分がどんな時に集中力を発揮するのか」と言う視点も、そこに取り入れてみてください。

例えば、半日でできる程度の仕事なら戦略的に締め切りまではやらないようにすれば、逆にお尻に火がついて早く終わらせることができ、他に回せる時間をうめます。時間が濃密になります。

また、そもそもその時間の使い方に際し、ポイントをきちんと絞り込む(いわゆる選択と集中)必要があります。「したい✖️必要✖️重要」という、意味のあることだけに打ち込めば、人生の充実度が上がるに決まっています。

また「したい✖️必要✖️重要」をしている中で、理解が及ばなかったり、理解できていてもスキル不足のときに「腕が鳴る〜退屈じゃなくていいぞー!しばらく夢中になれるものができた」と思いながらやることも、あなたの時間を濃密にします。

漠然と時間をかけて価値を上げようとするのでなく、戦略的に明白にあなたの時間を濃密にしていくポイントを3つお伝えしました。ぜひ真似して、自分のものにしてください。



それもパワハラ!

あけましておめでとうございます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。モラルが崩れまくっている昨今ですので、年初ですが、ハラスメントについて続きを書きます。

パワハラには、x先輩や上司に挨拶しても無視されたり挨拶してくれないこと y根拠のない噂を流されて会話してくれないこと z終業間際に過大な仕事をおしつけられることなども含まれます。

他にも、個人所有のスマホを勝手に覗かれたり、休んだ理由をしつこく聞かれたりして、精神的苦痛や身体的苦痛を与えられ、職場環境が悪化する行為は、すべてパワハラです。

ただこちらは、法律の整備等が遅れています。「総合労働相談コーナー」で相談を受け付けているそうです。だから会社内で就業規則などを作る際、盛り込んでいく必要があります。

すべてのハラスメントの加害者は治療が必要な状態です。また被害者はもちろん、目撃しただけでもトラウマになることがあることを、覚えておいてください。

妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント

大晦日ですね。今年1年も読んでいただいてありがとうございました。まだ今年は残っているから、一緒に表題について見ていきましょう。

平成29年1月からは、妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメントについても防止措置を講じることが事業主に義務付けられています。

このハラスメントの行為者となり得るのは、上司と同僚です。また上司が直接的な言動を行った場合は、それが1回でもハラスメントに該当しますが、同僚が行う場合は原則として繰り返しあるいは継続されたものがハラスメントに該当します。

上司が制度の利用を取り下げるように言えば、明確にハラスメントに該当します。会社として請求を取り下げさせる場合は、そもそも法律違反になります。早期の職場復帰については、そのタイミングが利用した本人に委ねられている事がポイントです。

育児・介護休業法第10条では、制度程度利用者に不利益な取り扱いをすることを禁じています。不利益な取り扱いの例には、自宅待機を命じられること/期間を定めて雇用されるものについて契約更新しない/正社員を非正規とする契約内容の更新を強いることなども、含まれています。

育児休業・介護休業・子の看護休暇・介護休暇・所定外労働の制限・深夜業の制限・所定労働時間の短縮措置・始業時刻変更等の措置等については、皆さん堂々とできる制度が整っています。セクハラと合わせて、道府県労働局雇用環境・均等室で相談を受けているそうです。平成30年の是正指導の状況等は、こちらで確認できます。

こちらも、働きやすい環境作りとご自身の心身を守るための足がかりとしてお使いください。上記に書いた事はごく一部です。

自分の尊厳は自分で守る意識も、大切です。そして、それと関連し、年末年始忙しさのあまりぐでんぐでんに酔っ払ったようになって、判断を間違えては、災厄を招き入れるような事はお控えくださいね。

職場のセクハラ対策

今年も仕事納めました!納められる喜びが、わたしの目線を上げてくれます。

さて、少し世の中がゆっくりした今日だから、普段目を向けないことに、一緒に目を向けてみましょうか?

まず、すべてのハラスメントは、①働く人の尊厳や人格を不当に傷つける ②働く人の能力発揮を阻害し、働きにくい環境を生む 点で、対策が必要です。社会的にも経済的にも損失を生む「雇用上の管理」に該当するトピックです。

もちろんここで言う働く人には、パートや派遣社員も含まれ、派遣元事業主だけでなく派遣先事業主も、措置を講じる必要があるのは当然です。

そして、セクハラの場合は ①同性に対するものも含まれること ②加害者が取引先やクライアントである場合も、社内の場合と同様の対応が求められることを、念頭に置くと良いでしょう。

例えば、a日ごろから性的な話題を公然と話していたことに抗議され、抗議した人を降格したり、bセクハラによる苦痛で仕事への意欲が減ったり、c同僚が見ていたアダルトサイトが視界に入り、苦痛で集中力が落ちることなど、すべてがセクハラに該当します。これらはすべて、働く環境を害されたと捉えるのです。

職場におけるセクシャルハラスメントの防止措置ついて、事業主に義務付けられたのは平成11年だったそうですが、だいぶ経つのにまだ正しく認識されていないケースが多いのです。

また雇用されている側のつまり簡単に言うと会社員の皆さんは、知ろうともしなかった方もいらっしゃると思うので、ご紹介しました。働きやすい職場づくりと自分の身の安全を守るために、どうぞ足がかりとしてください。

マルチタスクをやめる

年末忙しくなってしまうという方は、「仕事」というカテゴリーに入れているものの量を徹底的に減らすことに加え、マルチタスクを止めてみて下さい。「え?!」っと思ったなら、ぜひ続きを読まれてください。

「マルチタスク=仕事ができる」「マルチタスク=効率がいい」「マルチタスク=時間短縮」のように思い込んで、マルチタスクに拘っていませんか?聖徳太子みたいなこと、潔くあきらめてしまいましょう。

マルチタスクだと、心を込めてする/今日はこうなんだと気づくといったことが薄れ、作業に見えてきて、とにかく進めていくことにだけエネルギーを取られ、次につながる学びも見えないものです。進めることにだけ注力し、深まりがないというのは、簡単に言うとベルトコンベアになったようなものです。

単純に一度に一つのことをやって、ただ順番に終えていくなら、心が自然と込められて/今度はこうしようと気づいて、毎日の同じことも全く違うことだったのだと理解できます。毎日、ちょっとしたアップデートも可能になるので、自分の在り方も深まっていくのです。簡単に言うと、人間らしいです。

マルチタスクは女性なら誰でもできるといった噓八百がまかり通った時代もありましたが、嘘だとわかっています。昔から「二兎を追う者は一兎をも得ず」と言いますね。女性も男性も、堂々とシングルタスクで物事を進めて、ロボットにならない人としての一生を送りませんか?

強い企業・強い家庭・強い人

わたしは万年日曜日みたいな常に年末みたいな土地に住んでいるので、クリスマスらしさはあまり味わえていませんが、みなさんはいかがですか?

さて、強い企業も強い家庭も強い人も、結局小学生が「しなさい」と言われているようなことを、誰にも見られなくてもきちんとやっています。

例えば、ゴミを見つけたら拾うとか、ごめんなさいを言うといった、人としての基本ができた人が集まった企業は、強くなります。

いかに無理するか無茶するかを考える人より、規則正しく暮らしている人の方が、ホルモンバランスなども安定し、予期せぬ出来事に出会った時にも崩れたりせず強いのです。

家族の誰かに何があっても、支え合う頼りになる家庭は、普段からありがとうが飛び交うし、約束を守り合っているのです。

幼稚園児や小学生に対して教えることを、自分に教えてあげてください。何度も何度も基礎に立ち返るようにすることは、つまらないかもしれませんが、最もコスパが良く、あなたや家族みんなや企業としての欲しいものを手に入れる近道です。

自己肯定とは?

何となく「朝寝坊してはいけない」と、疲れを引きずる方も多いようです。わたしの育った環境では遅く起きると、母がおどけて「おそようございまーす!」と声をかけてくる感じだったこともあってか「朝寝坊してはいけない」は、わたしの中にはいないんです。

「~してはいけない」と思うのは、理解していない状態を表しています。例えば「お酒を飲みすぎてはいけない」と思う時、お酒の適量を知らないのです。つまり、自分の限界を知らず、どうしたらいいかわからないから、とりあえず戒めているだけです。

だから「~してはいけないと分かっていたのに」と言う言葉は、あなたが混乱の中にあって、ずっと自分の限界もわからず苦しかったし、その苦しさは今も変わっていないことを表しているだけです。

こうやって自分の今をきちんと認めていかないと、身体の因数分解はなかなかできません。表面的な問題に見えるものや表面的な問題解決に見えるものに惑わされて、本当の問題はスルーしてしまうからです。

自分を肯定するとは、こういうことなんです。

抽象化が得意という、自負

日中はまだ、秋の虫が鳴き、トンボやモンキチョウがとんでいて、気持ちよく過ごしています。

さて、抽象化が得意だと自負する方は、抽象化が否認の隠蓑として機能していることを、認識されていますか?

抽象化が得意だと思い込んでいると、人の話を聞いたり読んでも、そのまま受け取れません。「これってこういうことでしょ?」と、理解したふりをします。理解したふりを「理解した」と誤認したことを、自覚できません。

抽象化しては「こんなこと知っている」と切り捨て、賢いふりをします。そのまま受け取れない自分は認識できず「自分は賢い」というセルフイメージを、上塗りします。

ただそうなると、ある時点で孤立する他ありません。苦しみは常に極めて具体的なものですが、いつもの抽象化しているつもりが邪魔をして、取り逃がしてしまうから、対処できないのです。

現実は常に極めて具体的です。

自分をまもる練習

葛藤を避けようとして、相手に大事な決定をまかせてしまうとき、「~だけど」といった、語尾お化けが登場します。語尾がふわーっとしてしまうんですね。「最後まで言い切れない」「言い損ねた」と感じることが多い方も、同じです。

こうすると、無責任な状態に入るだけでなく、自分の人権を自ら放棄する道へ入ってしまうこともあるので、注意が必要です。また、こうしたコミュニケーションは「理解してもらえない(言いきれていないことも原因のひとつ)」「苦しい(言いきれていないつまり、自分の欲求を抑えている」「大事にされていない(主張すべきを主張していないのだから、自分でも自分を大事にしていない)」という思いを膨らませます。

そうすると、惨めに感じていったり、なんだか欲求不満だったりと、ストレスを抱えた状態が常になります。この状態から相手を見ると、相手が思いやりなく、鈍感な人にも見えてしまいます。(もちろん、実際に相手に思いやりがなく、鈍感なケースも多々あります)

自分の中では「わかってもらえないから、そろそろ怒りをわかりやすく表そう」と戦略的に振舞ったつもりなのに「急に変わった。キレた」と解釈されたりして、より状況が複雑になったりもします。葛藤を避けたかったのは、安全を確保したかったからなはずなのに、むしろより安全が遠のいてしまうのです。

こうした文脈によく横たわるのは「相手に合わせることで相手を尊重したつもり」という思い込みです。実際には、相手に依存しているから、既に甘えているから、語尾お化けが生まれていくのです。また、それまでに「自分はコミュニケーションが苦手だ」と認識するようなことを経験していたり、自分の欲求を表現したらより事態が悪化するような経験も、存在しているでしょう。

そんな風にあなたが生かされない状態は、社会的損失とも言えます。また、あなたがそうやって縮こまることは、職場にも利益はもたらしません。だから、あなた自身が、社会的損失をもたらす金食い虫のような存在ともなってしまいます。

自分では配慮しているつもりでも、相手にとっては「曖昧なことばかり言う、無責任な人」という印象を与えているかもしれませんし、むしろイライラしたり憐れみを向けられることもあるでしょう。つまり、語尾お化けは、損ばかりあなたに与えているのです。言い切って自分を守っていくこと、練習し始めませんか?

「休めない」裏に、欲望がいる。

何かを始めてもとん挫しがちな人は、途中で欲望に打ちのめされていることが多いでしょう。

「元気に見せたい」「明るく見せたい」「うまくいっているように見せたい」「顔色良く見せたい」「きれいだなと思われたい」「ちゃんとやってると認めてほしい」といった、必死の頑張り・カラ元気・見栄を張る動きは、つまり欲望です。

この欲望の動きがあると「何だか不安だから、進められるところまでやっておこう」「休み切れずにいるのは、方法を知らないからでは?」「このままではダメだから、盛ろう」といった発想が生まれて、さらに欲望が強化されます。

ポイントは、こうした欲望があなたも周りも、ご自身で思っている以上に苦しめているという事実です。だからずっと「欲望を減らしましょう」と、お伝えしています。

逆の立場に立てば、わかりやすいでしょうか?「久しぶりに会うから」とさりげなくよく見せようとしても、その気合は相手から伝わってきて、不自然さに会話がぎくしゃくしたりしませんか?「こう見てほしい!」が相手から伝わってきて、居心地悪くなってしまったことはありませんか?相談しようと思ってあったのに、相手が変に元気で、その不調和な感じに、言えなくなってしまったことはありませんか?

「休めない」とき、自分の中に不調和や不自然さを感じることはできますか?それが、欲望に服従している合図です。つながりが欲しいから愚痴り、愚痴るためにネガティブ探しをするというのも、同様に欲望が隠れていますが、その話はまた今度!

起業したら、ランチの時間を確保できるはず。

「気づいたら午後3時」のように、定期的にお昼ご飯を食いっぱぐれる業務は、確かにあると思います。会社によっては、忙しくもないのに、昼休みの時間内にご飯を外に食べに行き帰ってくると、なぜか怒号を浴びせるところもあります。

(ブラック企業だとか、法的な指摘はここではスルーします)

そんな時「会社を変えたら、お昼ご飯の時間が確保できるはず」や「起業したら、就業規則も何もかも自分で決められるから、お昼もきちんと食べられるだろう」と発想することもあると思います。しかし、意外と自分自身に原因があったりするのです。

結論から先んじると、「どんな時も自分を一番大事にする」ことをしない癖が、根強くあるとこうした悩みが出て来ます。「どんな時も自分を一番大事にする」をしている人は、上のような環境でも全く自分のニーズを無視したりはせず、少しでも自分のニーズを満たすことにだけ、ただ注力しているからです。自分のニーズを満たすことにわき目を振らず注力しているんだけど、どうしても外的要因によって、少ししか満たせなかったということはあっても、一切満たさないことにはまずならないのです。

例えば、昼休みにも取引先との打ち合わせがあって、お昼休みをとれなかったとします。そしたら、まずは「権利」を考えてみて下さい。あなたには昼ご飯を食べる「権利」があります。昼休みにあなたは休む「権利」があったのです。堂々とその「権利」を施行しましょう。それでも、とにかく定時で上がることを重要視したいなら、例えば20分だけ、ストックしておいたレトルトご飯にレトルト中華丼にインスタントみそ汁などで、お昼を取ってしまうのです。社内にレンジがあれば、チンしてすぐ食べられますから、全く食べないより、温かいものをとることでずいぶんホッとできるでしょう。社内に冷蔵庫があるなら、バナナやりんごを入れておくのも手です。すぐに営業に出かけなくてはいけない時にも、食べることができるし、加工品ではない新鮮なものを頂くと、身体に悪くないだけでなく、気持ちもリフレッシュします。

「権利」を考えてみて、「権利」を踏みにじった/奪われたと感じるなら、アサーティブになっていきましょう。(「権利だから」というのではなく、そこから考えるだけです)わき目もふらず、自分のニーズを満たしましょう。「会社を変えたら、お昼ご飯の時間が確保できるはず」や「起業したら、就業規則も何もかも自分で決められるから、お昼もきちんと食べられるだろう」も、結局依存的な態度であったと、おわかりいただけますか?

会社にレトルト食品を置いておけば、天災時にも役立ちますし、緊急用の避難グッズに何を入れるといった思考も、自然と働きやすくなります。

ちなみに、何をどうしてもご飯を食べる時間がない時には、コーヒーや紅茶ではなくお味噌汁を飲みながら仕事をするのがオススメです。目が覚めますし、栄養も摂れますし、粉しょうがや山椒を入れれば、味を変える楽しみも出てきます。レトルトご飯も、お赤飯や五穀米などをストックしておけば「また15分しかない!」となっても、その15分に楽しみが生まれます。小さな嬉しいこと楽しいことが毎日にあるように、毎日を設計していくと、どうしようもない状態に耐えながらも好奇心が生き生きとある自分を、保ちやすくなるでしょう。